ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1911-1912
ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1911-1912 はドイツサッカー協会によって開催された第10回目のクラブチーム全国大会である。ホルシュタイン・キールが初優勝し、1回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3]。 概要大会史上初めて、かつて決勝で顔を合わせたことのある2クラブが再び頂点を争った。今回は二年前とは逆の結果となり、ホルシュタイン・キールがカールスルーアーFVに雪辱を果たし、北ドイツサッカー協会に初のドイツ王座をもたらした。 出場クラブ[2]決勝大会エントルンデには、各地域協会王者7クラブと前回ドイツ王者、計8クラブが出場した。また1911年4月29日、DFBの圧力により、ベルリン=ブランデンブルク地域の主導権争いを続けていた三団体、ベルリン球技クラブ協会・マルクサッカー協会・ベルリン陸上競技クラブ協会が合併し、新たにブランデンブルク球技クラブ協会 (Verband Brandenburgischer Ballspielvereine, 略称VBB) が発足。これにより、過去20年以上続いた紛争に終止符が打たれ、同地域のサッカー統括権・全国出場枠は一本化された。前回王者枠の復活はこれと関係している。ただし今回はベルリナー・ヴィクトリアが前回王者枠を手にしているので、初代VBB王者のBFCプロイセンと合わせ、ベルリンからは2クラブが本大会に出場した。
準々決勝開催日: 1912年5月5日・12日[4]
北東部王者BuEVダンツィヒと対戦したドイツ王者ベルリナー・ヴィクトリアは、エーリヒ・アーントのハットトリックにより前半を3-0で折り返した。後半はパウル・クーグラーとシャイペの得点、ヴィリ・ヴォアピツキーの2ゴールで加点し、7-0で圧勝した。因みに、ダンツィヒの右サイドの選手パウル・レンハルトは、1910年大会決勝にホルシュタイン・キールの選手として出場していた。 中部王者ライプツィヒ=リンデナウは南東部王者リーグニッツと対戦し、3-2で勝利した。前半はエルンスト・ダーテの得点でライプツィヒの1-0リードで終了、後半に入り47分にフェアヴェルトの同点ゴールで1-1となった。ライプツィヒは53分フェルディナント・ミュッケンハイムが決め再度勝ち越し、さらに69分オットー・ホフマンのPKで突き放すと、リーグニッツの反撃を84分の得点者不明ゴールのみに抑え、逃げ切った。 北部王者ホルシュタイン・キールは、2-1でブランデンブルク王者BFCプロイセンに逆転勝ちした。BFCプロイセンはロベルト・クリューガーが前半30分に先制点、キールは試合終盤の84分にヴィリ・フィック、次いで87分ダーヴィト・ビンダーが立て続けに決めた。 西部王者ケルナーBC1901と南部王者カールスルーアーFVによる準々決勝最後の試合では、8-1の大差で下馬評通りにKFVが圧勝した。得点者は、KFVがフリッツ・フェルデラー二点、ゴットフリート・フクス二点、フリッツ・チェルターとマックス・ブロイニヒとユリウス・ヒルシュが一点ずつ。ケルナー唯一の得点は、スコアを1-4とした69分のオウンゴール (KFVのヘルマン・ボッシュ)であった。 準決勝開催日: 1912年5月19日[4]
ホルシュタイン・キールにとって、ヴィリ・ヴォアピツキーをはじめとする昨季ドイツ王者ベルリナー・ヴィクトリアの攻撃陣は脅威だったが、しかしふたを開けてみるとキールの攻撃力も相手を十分に押し込み、0-0のまま90分が終了した。106分にキールのダーヴィト・ビンダーが均衡を破り、その一分後ヴィクトリアも相手GKアドルフ・ヴェルナーのオウンゴールですぐ追いつく。最後は延長後半129分にビンダーがこの日自身二点目を決め、2-1で王者を下したキールが、二度目の決勝進出を果たした。 カールスルーアーFVは、3-1でライプツィヒ=リンデナウを破った。KFVはドイツ代表FWゴットフリート・フクスが負傷欠場したものの、前半のうちにフリッツ・フェルデラーの2ゴールで2-0とリード。後半ライプツィヒのオットー・ホフマンにPKを決められ一点差となるも、70分にフェルデラーがハットトリックを達成し3-1と突き放した。 決勝
1910年度決勝戦の再現となった、ホルシュタイン・キールとカールスルーアーFVの頂上対決は、双方譲らぬタイトな展開から始まり、前半は0-0のまま終わった。52分、キールはヴィリ・フィックが敵陣エリア内で倒されPKを獲得、これをエルンスト・メラーが決めて先制した。先制後キールは巧みに1点リードを守り、対するKFVは高い評価を受けるCFゴットフリート・フクスの怪我が響いた。前半終了までギプスと包帯で膝を固めてプレーしたフクスは、結局その痛みからほとんど力を発揮できず、チームも敗れた。また、KFVのイングランド人監督ウィリアム・タウンリーは、この試合限定でSpVggフュルトからレンタルした指導者であった。 FVホルシュタイン・キールのマイスターマンシャフト
得点ランキング[7]ATVリーグニッツは1ゴールだけ得点者不明である。
脚注注釈出典
参考文献
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