ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1912-1913
ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1912-1913 はドイツサッカー協会によって開催された、第11回目のクラブチーム全国大会である。VfBライプツィヒが優勝し、3回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3]。VfBライプツィヒは、ドイツ王者回数の最多記録保持クラブ、所謂「レコードマイスター」となった。敗れたデュイスブルガーSpVは、西部ドイツサッカー協会所属クラブとして初めて決勝の舞台を経験した。また、今回の本大会出場クラブはすべて過去に出場経験があり、初出場クラブがゼロだったが、これも初めての事である。 出場クラブ[2]各地域協会の王者6クラブと前回王者、計7クラブが出場した。本来あと1クラブいるのだが、北部ドイツサッカー協会王者、アイントラハト・ブラウンシュヴァイクは不参加だった。問題の原因はノルトドイチェ・マイスターシャフトの予選ブロックの一つ、ハンブルク=アルトナで起こった紛争だった。このブロックの勝者決定を巡り抗議合戦が繰り広げられたため、北部マイスターシャフトは予定通りに終わらず、そのまま北部代表の欠場が決まった。ようやく北部王者が決定したのは、ドイチェ・マイスターシャフト決勝戦の二週間後である。時すでに遅く、今季の北部王者ブラウンシュヴァイクは全国に出られなかったが、一方でホルシュタイン・キールは前回王者枠により出場した。
準々決勝開催日: 1913年4月13日・20日:[4]
ホルシュタイン・キールは不戦勝で準々決勝に進出した。 ブランデンブルク王者ベルリナー・ヴィクトリアは、北東部王者プルシア=ザムラント・ケーニヒスベルクと対戦。前半ヴィリ・ヴォアピツキーのゴールで先制し、相手GKブルーノ・ノイマンのオウンゴールで加点。さらに42分エーリヒ・アーント、43分にヴォアピツキーが立て続けに決めて、4-0リードでハーフタイムに入った。後半に入り53分ヴォアピツキーがハットトリックを達成し、5-0に。67分ケーニヒスベルクは漸くクルーガーが一点を返すも、三分後にエーリヒ・アーントが自身二点目を決め、そのまま6-1で終了。ヴィクトリアが大勝した。 南部王者シュトゥットガルター・キッカーズと西部王者デュイスブルガーSpVの試合は、後者が1-2で勝利した。前半は0-0で折り返し、70分・77分にデュイスブルクはヘルマン・シュタインハウアーの連続得点で2-0とリード。キッカーズはルドルフ・アホールンが84分に一点を返すが、届かなかった。 南東部王者FCアスカニア・フォルストは、中部王者VfBライプツィヒに0-5で大敗した。パウル・ペンプナーが最初の三点と五点目 (85分)を叩き出し、四点目 (79分)を決めたのはヨハネス・フェルカースだった。 前回王者ホルシュタイン・キールは準々決勝で北部王者と対戦予定だったが、北部王者が大会開幕までに決まらなかったので、キールが不戦勝でベスト4に進んだ。 準決勝開催日: 1913年4月27日:[4]
デュイスブルガーSpVは、2-1で前回王者ホルシュタイン・キールを撃破。17分にキールのフーゴー・フィックに先制点を許すが、35分にアントン・ボンガーツが振り出しに戻し、60分にハインリヒ・フィッシャーが逆転ゴールを決めた。 VfBライプツィヒは前半22分にハンス・ドルゲ、同26分にゲオルク・リヒターが決めて2-0とリードした。ベルリナー・ヴィクトリアもヘルムート・レプナックのPKで前半のうちに一点差に詰め寄ったが、後半に入り71分にドルゲのこの日二点目で勝負あり、VfBが3-1で勝ってデュイスブルガーとの決勝戦にコマを進めた。 決勝VfBライプツィヒは5回目、デュイスブルガーSpVは初の決勝進出である。強い雨が降りしきる悪天候の中、ライプツィヒは9分にエドゥアルト・ペンドルフのPKで先制、約15分後にはパウル・ペンプナーが追加点を挙げ、2-0のリードで前半を終えた。60分にデュイスブルクのコルネリウス・ビュッシャーがオウンゴールを犯し、3-0。75分ハインリヒ・フィッシャーが一点を返すも、VfBライプツィヒが3-1のリードを守って勝利。第一次世界大戦前の最多記録となる、3回目のドイチェ・マイスターシャフト制覇を成し遂げた[5][6]。 VfBライプツィヒのマイスターマンシャフト
得点ランキング[7]
脚注注釈出典
参考文献
外部リンク |
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