ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1932-1933 はドイツ国で開催された第26回目の全国サッカー大会である。フォルトゥナ・デュッセルドルフが初優勝し、1回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[3]。
概要
今シーズン途中に国民社会主義ドイツ労働者党が政権を掌握し、ナチス政権による社会変革や強制的同質化は、あっという間にサッカーを飲み込んでいった。国会議事堂放火事件から始まった社会主義者・共産主義者取り締まりの中で、まずドイツ共産党傘下の赤色スポーツ統一闘争共同体(ドイツ語版)が強制解散させられ、指導者が投獄された。ドイツ社会民主党と友好関係にある労働者体操・スポーツ協会(ドイツ語版)も、1933年3月23日SAによって本部を占拠された。
ドイツサッカー協会も影響を受けた。1933年4月28日に帝国体操・スポーツ委員会が創設され、SA隊員ハンス・フォン・チャマー・ウント・オステン(ドイツ語版)が指導者となった。同委員会は第一次世界大戦中に作られた団体、ドイツ帝国体育委員会(ドイツ語版)が自主改名したもので、あらゆるスポーツの運営を一元的に管理し、DFBのような個別競技団体を形骸化させていった。
国民社会主義がスポーツをその支配下に入れ始めると、次に行われたのはスポーツクラブに統一的規則を強制することであった[4]。最も遵守すべき規則は二点、指導者原理の導入とユダヤ系会員の除名である。だが後者に関しては、政府の命令が出される前から既に、各クラブで自主的にユダヤ系選手・役員の追放が行われており、DFBはサッカー雑誌上で「ユダヤ民族とマルクス主義者はスポーツクラブ会員として認められない」と発表していた[5]。
ピッチ上に目を向けると、DM1932-1933は西部ドイツ勢の大きな飛躍の大会だった。これまでは1913年のデュースブルガーSpV(ドイツ語版)の準優勝が最高成績だったが、今年は西部王者FCシャルケ04と西部準王者フォルトゥナ・デュッセルドルフによる西部対決が決勝戦で実現した[6]。フォルトゥナは今大会19得点0失点で優勝し、これが20世紀における最初で最後のドイツ制覇となった。ちなみに、昨年度決勝の南部対決と構図は同じである。西部決勝で顔を合わせたばかりの両雄が全国決勝で再戦、そして地域決勝とは逆の結果になった。
出場クラブ
ラウンドオブ16
開催日 |
試合 |
結果 |
会場
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1933年5月7日
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ハンブルガーSV
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–
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アイントラハト・フランクフルト
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1–4 (0–2)
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ハンブルク, シュターディオン・ホーエルフト
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1933年5月7日
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VfLベンラート
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–
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TSV1860ミュンヘン
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0–2 (0–2)
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ケルン, ミュンガースドルファー・シュタディオン
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1933年5月7日
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フォルトゥナ・デュッセルドルフ
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–
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フォアヴェルツRaSpoグライヴィッツ
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9–0 (3–0)
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デュッセルドルフ, ラインシュタディオン
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1933年5月7日
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ドレスデナーSC
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–
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SVアルミニア・ハノーファー
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1–2 aet (0–1, 1–1)
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ドレスデン, シュターディオン・アム・オストラーゲヘーゲ
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1933年5月7日
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ボイテナーSuSV
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–
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SVプルシア=ザムラント・ケーニヒスベルク
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7–1 (3–1)
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ボイテン, ヒンデンブルク=シュターディオン
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1933年5月7日
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FSVフランクフルト
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–
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PSVケムニッツ
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6–1 (1–1)
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フランクフルト・アム・マイン, リーダーヴァルトシュタディオン
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1933年5月7日
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SVヒンデンブルク・アレンシュタイン
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–
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ヘルタBSC
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4–1 (2–0)
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アレンシュタイン, ヴァルトシュタディオン
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1933年5月14日
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FCシャルケ04
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–
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BFCヴィクトリア1889
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4–1 (1–0)
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ドルトムント, カンプフバーン・ローテ・エアデ
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準々決勝
開催日 |
試合 |
結果 |
会場
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1933年5月21日
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SVアルミニア・ハノーファー
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–
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フォルトゥナ・デュッセルドルフ
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0–3 (0–2)
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ハノーファー, ヒンデンブルク=カンプフバーン
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1933年5月21日
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アイントラハト・フランクフルト
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–
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SVヒンデンブルク・アレンシュタイン
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12–2 (7–0)
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フランクフルト・アム・マイン, ヴァルトシュタディオン
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1933年5月21日
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FCシャルケ04
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–
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FSVフランクフルト
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1–0 (0–0)
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エッセン, シュタディオン・ウーレンクルーク
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1933年5月21日
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TSV1860ミュンヘン
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–
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ボイテナーSuSV
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3–0 (2–0)
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ニュルンベルク, シュテーティッシェス・シュタディオン
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準決勝
開催日 |
試合 |
結果 |
会場
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1933年5月28日
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フォルトゥナ・デュッセルドルフ
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–
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アイントラハト・フランクフルト
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4–0 (1–0)
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ベルリン, Platz des BFC Preussen
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1933年5月28日
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FCシャルケ04
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–
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TSV1860ミュンヘン
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4–0 (1–0)
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ライプツィヒ, プロープスタイダー・シュターディオン
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決勝
脚注
注釈
出典
- ^ “Deutsche Meisterschaft 1932/1933 » Finale” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 94頁
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 94-96頁
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 99頁
- ^ “Deutsche Meisterschaft 1932/1933 » Torschützenliste” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
参考文献
外部リンク