ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1920-1921 はドイツサッカー協会によって開催された第14回目のクラブチーム全国大会である。1.FCニュルンベルクが連覇を飾り、2回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][3]。
概要
史上初のドイチェマイスターシャフト連覇・ドイツ王座防衛に成功したニュルンベルクは、初優勝した昨年度大会を上回る圧倒的な強さを見せた。DFBからは「イングランドのトップレベルのクラブの風格を漂わす」と称賛され、他のクラブにとっては「この世のチームとは思えない」ほどに、別格の存在だった[4]。イングランドのプロと何度も親善試合を行って技術・戦術を鍛え、優れた外国人選手・指導者を招聘し、第一次大戦で犠牲になった選手も少なかったニュルンベルクは[5]、この黄金期にサッカーをドイツの国民的スポーツに押し上げた[6]。
北部からは、のちにドイツ有数の名門となるハンブルガーSVが初出場した。約一年前の1919年6月1日にSCゲルマニア・ハンブルク、ハンブルガーFC、FCファルケ06の合併により誕生したばかりのクラブであり、北部王者として臨んだ初の全国大会は厳しい結果に終わった。
北東部王者VfBケーニヒスベルク(ドイツ語版)は今大会に出場できなかった。彼らは確かにバルティッシェ・フースバルマイスターシャフト1920-1921(ドイツ語版)王者として記録されてはいるが、決勝リーグ一位のシュテッティナーSCが出場権を獲得したからである。直接対決でケーニヒスベルクが2-1で延長勝ちしたが、これが「1-1の引き分け」と見做された為、勝ち点1差でシュテッティナーが決勝リーグ一位・北東部王者となり、そのままDM出場権を獲得。その後、これに不満を持ったケーニヒスベルクの抗議で約一年後の1922年5月7日に優勝決定戦が行われ、ケーニヒスベルクが勝利・優勝した、という経緯がある。
今年も労働者体操・スポーツ協会(ドイツ語版) (ATSB) と、ドイツ青年活力(ドイツ語版)がドイチェ・フースバルマイスターシャフトを開催した。前者はVfLライプツィヒ=シュテッテリッツ(ドイツ語版)、後者はDJKカテルンベルク(ドイツ語版)が優勝した。
出場クラブ
準々決勝
- 開催日:1921年5月22日
- 会場:Borussia-Platz am Kalkweg (デュイスブルク)、シュポルトパルク・グリューナイヒェ (ブレスラウ)、ティタニア=プラッツ・ドイッチャー・ベルク (シュテッティン)
[7]
チーム #1
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スコア
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チーム #2
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デュイスブルガーSpV
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2–1
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ハンブルガーSV
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フェアアイニヒテ・ブレスラオアーSpfr.
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1–2
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ハレシャーFCヴァッカー
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シュテッティナーSC
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1–2
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フォアヴェルツ90ベルリン
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準決勝
- 開催日:1922年5月29日
- 会場:SV 1898-Platz an der Merseburger Str. (ハレ・アン・デア・ザーレ)、Schebera-Platz am Gesundbrunnen (ベルリン)
[7]
チーム #1
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スコア
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チーム #2
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ハレシャーFCヴァッカー
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1–5
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1.FCニュルンベルク
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フォアヴェルツ90ベルリン
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2–1
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デュイスブルガーSpV
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決勝
脚注
注釈
出典
- ^ Dinant Abbink (2023年4月27日). “Germany - Championships 1902-1945” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
- ^ “Deutsche Meisterschaft 1920/1921 » Finale” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 62頁
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 57-62頁
- ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 67頁
- ^ a b “Deutsche Meisterschaft 1920/1921 » Spielplan” [German championship 1920–21] (ドイツ語). Weltfussball.de. 2016年1月12日閲覧。
- ^ “Deutsche Meisterschaft 1920/1921 » Torschützenliste” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
参考文献
外部リンク