マクラーレン・MP4-13
マクラーレン MP4-13 (McLaren MP4-13) は、マクラーレンが1998年のF1世界選手権に投入したフォーミュラ1カーである。 概要ウィリアムズとの契約上、1997年8月からマクラーレンに加入したエイドリアン・ニューウェイが、テクニカル・ディレクターに就任した。チーフデザイナーのニール・オートレイは1996年から2年越しでMP4-13の設計、開発を進めていた。その為、ニューウェイ自身は「僕は手を加えた程度」と語っている。 開発![]() MP4-12の低いノーズと、前シーズン終盤から投入していたブレーキ・ステアリング・システム[注釈 1]は踏襲したものの、レギュレーション変更に合わせ、下記の設計で仕上げてきた。
冬のテストではMP4-12の改良版MP4-12Bに、MP4-13で使うエンジン・パーツ・タイヤを搭載して約8,000キロメートルもの走行を重ねた。シェイクダウン後、新車発表会まではオレンジカラーのMP4-13Aでテストを行なった。なお、走り出して3周目でミカ・ハッキネンがトップタイムを叩き出している(バルセロナ※非公式)。 シーズン![]() 開幕戦オーストラリアGPでは、ブリヂストンのサイズアップしたフロントタイヤとブレーキ・ステアリング・システムが組み合わさったことで全車を周回遅れにして、ワンツーフィニッシュを果たした。これに危機感を抱いたジャン・トッド(フェラーリ監督)が抗議を行い、チームは第2戦ブラジルGPからブレーキ・ステアリング・システムを自主的に撤去したが[注釈 3]、それでも圧勝劇を再現した。 フェラーリF300は、第3戦アルゼンチンGPでグッドイヤーのフロントタイヤのサイズアップを皮切りに、毎戦どこかのパーツを開発・改良してきた。一方でMP4-13は、第9戦イギリスGPで新型ディフューザーを、第12戦ハンガリーGPでは翼端板を変更したフロントウィングを投入し、ブリヂストンはサーキット毎にタイヤ開発を継続した。 しかし、MP4-13はメカニカルトラブルに悩まされ、ハッキネンは第4戦サンマリノGPと第7戦カナダGPでギアボックス(リタイア)、第12戦ハンガリーGPでショックアブソーバー(1位走行→6位入賞)、第14戦イタリアGPでブレーキ(1位走行→4位入賞)と勝利を逃す原因となり、デビッド・クルサードは第6戦モナコGPと第14戦イタリアGPでエンジン、第7戦カナダGPでスロットルリンケージと3回リタイアした。これに対してフェラーリが決勝で、リタイアやポジションダウンに繋がるメカニカルトラブルを起こしたのは、わずか2回(開幕戦オーストラリアGPと第12戦ハンガリーGP)のみであった。 このメカニカルトラブルの差がタイトル争いを最終戦までもつれ込む要因となったが、ハッキネンは最終戦日本GPの勝利で初のドライバーズタイトルを獲得した。 マクラーレンは1991年以来のコンストラクターズタイトルを奪取し、ブリヂストンにとっても初のタイトル獲得となった。 スペックシャーシ
エンジン![]() 記録
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関連商品タミヤから1/20のプラモデルが発売されていた。タバコロゴのない通常版に加え、タバコロゴの付属する日本GP仕様が日本国内向けに販売されていたが、どちらも現在はスポット生産に移行している。またミニチャンプスから1/20と1/43のミニカーに加え、1/8モデルの大型ミニカーが発売された。ともにタバコ広告がないイギリスGP仕様である。 注釈 |
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