東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!
東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!(とうほくちほうたいへいようおきじしんふっこうしえんチャリティーマッチ がんばろうニッポン!)は、東北地方太平洋沖地震を受けて開催されたサッカーの慈善試合である。 開催の経緯2011年3月11日に太平洋沿岸部で発生した、東北地方太平洋沖地震により、3月25日及び29日に予定されていたキリンチャレンジカップ・モンテネグロ戦、ニュージーランド戦2試合の開催が危ぶまれることになった。 日本サッカー協会は、地震発生後も両国との試合開催に意欲を見せていたが[2][3]、被災状況の深刻化からモンテネグロ戦を中止し[4]、3月16日にキリンチャレンジカップの開催を断念[5]。ニュージーランドとはチャリティーマッチでの試合開催を協議するも[6](ニュージーランドとは、2011年に大地震の被害を受けているという共通項があった。)、福島第一原子力発電所事故の影響から[7] 訪日を拒否されたため[6][8] 国内で対戦相手を確保する必要に迫られた。 また、試合会場に国立競技場を予定していたが、東京電力管轄エリアであり、地震に伴う計画停電の実施など節電が求められていることから、余震や交通機関、電力不足の影響がない大阪府の長居スタジアムへの変更を余儀なくされた[6](同様に、各Jリーグクラブに対しても「東北電力ならびに東京電力管轄エリアでの慈善試合開催は不可」などの条件を通達した[9])。 これらの事情があって、3月17日、日本代表とJリーグ選抜の対戦(国際親善試合ではなくなったため、形式上は「練習試合」)である「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」の開催を発表するに至った[10]。 翌3月18日、日本代表招集メンバーを発表。ワールドカップ予選に向けての強化を図る目的もあり[11]、1試合を行うにあたっては、異例ともいえる26名[12] を招集。その中で海外のクラブに所属する選手は12名に上った[注 2]。当初予定されていた国際Aマッチではないため、招集に強制力が無く[14] 18日時点では「調整中」とされていたが、3月20日になり12名全員の参加が確定した[15]。 3月22日には、Jリーグ TEAM AS ONEの出場メンバーを発表。6クラブから各2名、8クラブから各1名の計20名となった。選考基準は「2010Jリーグアウォーズ優秀選手の選考投票を基に、チャリティーマッチの主旨等を鑑みて選出」とされており[16]、優秀選手賞受賞者の29名から既に日本代表に選出されている9名を除いた20名[注 3]のうち7名が選出され、2010 FIFAワールドカップ日本代表が8名(2006年大会も含めると11名)を占める顔触れとなった[18]。また、前年の最優秀監督賞を受賞したドラガン・ストイコビッチが監督を務めることになった[19]。 時系列
参加選手・スタッフ試合概要試合展開日本代表はアジアカップ優勝メンバーが中心となり新システムの3-4-3を採用[28][29]。一方、Jリーグ TEAM AS ONEは2010 FIFAワールドカップ日本代表から6名が先発メンバーに名を連ねた。試合開始前に日本代表・長谷部誠とJリーグ TEAM AS ONE・中澤佑二による選手宣誓と被災者への鎮魂のスピーチを[30][31]、またキックオフの前に選手・応援団が一体となって震災被災者への黙祷を行った。また、両チームの選手は腕に黒い喪章を巻いて試合に臨んだ。 試合は序盤、日本代表が優位にゲームを進めチャンスを作った[32]。前半15分、本田圭佑が得たフリーキックを遠藤保仁がゴール右隅に決め日本代表が先制。遠藤に促された日本代表の選手たちは、喪章を外し、高く掲げることで哀悼の意を捧げた[28][32]。さらに前半19分、本田のスルーパスに抜け出した岡崎慎司が追加点を挙げ[32][33]、日本代表の2点リードで前半を折り返した。 後半に入り両チーム共に選手を大幅に入れ替えると、徐々にJリーグ TEAM AS ONEが主導権を掴んでゆく[29][33]。後半37分、川口能活からのロングフィードを田中マルクス闘莉王が頭で前線に落とすと、三浦知良がこれに反応。GKとの1対1を制してJリーグ TEAM AS ONEが1点を返した[33][34]。三浦は自身のゴールパフォーマンスである「カズダンス」でゲームを盛り上げ[32] スタンドの興奮は最高潮に達した[28]。試合はこのまま終了し、日本代表が2-1で勝利した。 試合終了後、両チームの選手、スタッフ、審判団が「がんばろうニッポン!」「To Our Friends Around the World Thank You for Your Support」と書かれたバナーを持って場内を一周した[34][35]。 試合結果
放送
その他
収益金など本試合開催による収益は1億1349万8492円。また、3月26日から練習の合間などに行われていた募金活動で2231万7199円[45]、物販の収益で3389万1485円が寄せられ、合計1億6970万7176円の義援金が集まった。 試合の収益のうち5000万円は急遽創設された「サッカーファミリー復興支援金」に充てられたため、1億1970万7176円が日本赤十字社に寄付された。 Jリーグクラブの慈善試合
※有料試合のみ掲載。上記以外のクラブもトレーニングマッチの試合会場に募金箱を設置して来場を呼びかけるなどしている。 脚注
関連項目外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia