東日本大震災のイベント等への影響東日本大震災のイベント等への影響(ひがしにほんだいしんさいのイベントとうへのえいきょう)では、東日本大震災によって生じたイベント等の中止、延期、その他の影響について記す。
日本政府・皇室宮内庁は3月14日、例年4月に天皇、皇后主催で開催する「春の園遊会」中止を発表した[1]。 また3月18日にはイギリスのウィリアム王子(ケンブリッジ公)とキャサリン妃の結婚式(4月29日)に招待されていた皇太子、皇太子妃が出席を取り止めることが発表された[2]。代理として林景一駐英大使が出席した。 震災発生直後の教育機関における卒業式、平成23年度中央省庁新規採用職員の入省式や学校などの入校(入学)式においては被災者・被災地の心情を考慮した処置(会場内における「祝」の文字及び紅白幕の不使用、部内外来賓の大幅縮小や祝賀ムードのイベント(会食など)の中止)がとられた[3]。また、震災発生から1ヶ月間、各官公庁では半旗が掲げられ、震災発生時刻からちょうど1ヶ月にあたる2011年4月11日及び一周忌となる2012年3月11日14時46分(日本時間)には、追悼の意を込めて全国で1分間の黙祷が実施された。 日本政府は3月24日、平成23年度春の褒章並びに叙勲、危険業務従事者叙勲などの発令を延期することを発表した[4](6月18日付で発令)。 学会日本医学会総会は、予定していた学術講演、学術展示、博覧会を中止し、主な学術講演と展示については、インターネットでの発表を行うこととした[5]。 この他、日本循環器学会総会・学術集会[6]、日本薬理学会年会[6]、日本化学会春季年会[6]、日本薬学会第131年会[6]、日本物理学会[7] などが中止を、日本産科婦人科学会学術講演会[6]、日本有病者歯科医療学会[8]、日本顕微鏡歯科学会[9]、日本小児科学会学術集会[10]、日本口腔衛生学会総会[11]、日本摂食・嚥下リハビリテーション学会学術大会[12]、日本顎口腔機能学会学術大会[13]、日本小児歯科学会大会[14] などが延期を、日本脳卒中学会総会[6] などが当面見合わせを、日本医学物理学会学術大会[6]、日本放射線技術学会総会学術大会[6] などが、誌上もしくはWeb上での開催を決めた。 教育関連→「東日本大震災の教育への影響」および「東日本大震災による各種施設の被害 § 学校」も参照
震災の影響で幼稚園から大学まで数多くの学校・教育機関に支障が発生しており、式典、試験、授業などの事柄が取り止め、もしくは延期になるなどといった措置が執られている。被災地域では年度末の卒業式についても中止もしくは延期になるなど影響が出ている。 石巻専修大学[15]、名古屋造形大学[16]、聖学院大学[17]などのように、震災により入学試験を受けられなかった者の救援を理由として、臨時の入学試験を実施した教育機関もある。 2011年3月13日実施予定であった国際コミュニケーション英語能力テスト(略称「TOEIC」)第161回については、試験会場の確保ができなくなったことなどにより、日本の277箇所のすべての会場で約16万人が受検予定であった試験の中止をすることとした[18][19]。 津波で施設が流された南気仙沼幼児園[20] などのように、経営を断念して廃園となるケースも見られた。 将棋・囲碁プロ将棋界では、地震発生当日に将棋会館(東京都渋谷区千駄ヶ谷)で順位戦B級1組リーグの最終局が行われ、その中には、「勝った方が初のA級昇級」という珍しい直接対決があった(屋敷伸之九段対松尾歩七段)。本震の後、一同が将棋会館の外に一時避難したが、18:00に対局を再開し、余震が続く中での勝負が行われた[21][22]。結果は屋敷(20年前に18歳で最年少タイトル記録を樹立)の勝ち。 その一方、半年毎に四段(プロ)昇格者2名を決める新進棋士奨励会(奨励会)の三段リーグの最終戦は、3月12日から3月23日に延期された[23]。 また、NHK教育テレビで毎年準決勝と決勝が放送されることで知られる小学生将棋名人戦(過去の優勝者に羽生善治、渡辺明ら)の東日本大会は、3月20日・21日に行われる予定であったが、これは約4か月後の7月17日・18日に延期された[24][25]。 プロ囲碁界では、地震発生当日に日本棋院会館(東京都千代田区)で、謝依旻の女流タイトル通算11期の新記録がかかるシリーズ(第23期女流名人戦三番勝負・謝女流名人対向井千瑛四段)の第2局が行われていたが、屋外に避難後、打ちかけとして3月15日に対局再開することが決まり、1日制の対局では異例の封じ手が行われた[22][26]。そして、対局再開日は3月15日から3月23日に再延期された[27]。なお、謝はこの第2局と次の第3局を連勝する逆転で、記録を達成している。山梨県甲府市の常磐ホテルでは張栩に井山裕太が挑戦する第35期棋聖戦の第6局が行われていたが、地震により8分の一時中断後打ち切り、張栩が1目半勝で防衛に成功した。。 各種イベント![]() 各種のイベント関連において、九段会館が天井崩落事故で死傷者を出した影響[28] で使用不能[29] になったほか、各地で開催中止が相次いだ[30][31]。 みやぎ産業交流センター(夢メッセみやぎ)は震災当時「グルメコロシアム」が開催されていたが、大津波により甚大な被害を受けたため、使用不能となった。この結果、以降のイベントが全て中止される結果となった。 地震発生翌日の3月12日に全線開通した九州新幹線(鹿児島ルート・博多駅 - 新八代駅 - 鹿児島中央駅)は、始発1番列車の出発式典及び各駅の記念イベントは、被災者の心情に配慮してすべて中止となった[32][33]。なお、九州新幹線全線開業から100日後にあたる6月19日に「百日祝」として改めて実施された。 3月12日の札幌駅前通地下歩行空間開通に伴う祝賀行事も中止された[34]。 3月13日に足利IC周辺で予定されていた足利市制90周年・北関東自動車道全線開通記念イベント「北関開通 足利フェスタ」は、マラソンや各種イベントが全て中止となった[35]。 3月14日に開館した東海旅客鉄道(JR東海)の博物館「リニア・鉄道館」では、予定されていたくす玉割りなどのセレモニーを中止し、犠牲者への黙祷が捧げられた[36]。 3月17日開業のイオンモール甲府昭和[37] や翌3月18日開業のイオンモール大牟田でも開業イベントが中止となった。[38][注釈 1]。 恩賜上野動物園は震災と計画停電の影響で3月17日から臨時休園し、3月22日からの予定だったジャイアントパンダの一般公開は、4月1日からに延期[39]。4月10日まで、被災者・福島第一原子力発電所事故による避難者は入場無料となった[39]。 晴海客船ターミナルが大きな被害を受けたことから[40]、コスプレイベントの中止が相次いだ[41]。 東京国際フォーラムでは一部ホールの不具合により「アースデー・コンサート2011」(4月22日)など5月までの一部公演やイベントが延期・休止された[42]。東京ビッグサイトでも同様の被害が出た。 このような会場自体が被害を受けたケースだけではなく、来場者の安全配慮・東京電力管内での計画停電の影響・節電への協力などを考慮し、多くのイベントが開催時間変更・延期・中止を発表した。 中には、1つのイベントの中止や延期に影響され、他のイベントが連鎖的に中止・延期されたケースも少なくない。例えば、隅田川花火大会が8月27日に延期されたことを受けて、周辺で開催予定の浅草サンバカーニバルが中止になった。他にも、千葉県内で8月6日に開催予定だった市川市の花火大会中止を受けて、中止になった花火大会の客が他の大会に流れることが予想され、警備上困難などの理由で、千葉県内では千葉市、松戸市、手賀沼(柏市・我孫子市)、船橋市、佐倉市、袖ケ浦市、木更津市などの花火大会が中止・延期になり、千葉県内の主だった花火大会は全て影響を受けた。 下記に該当するイベントを記載する(カッコ内は本来の開催予定日・会場)。 中止の例
延期の例
開催時間変更の例いずれも、節電に配慮し夜間の開催などを極力減らしたものである。
テレビ番組→「東日本大震災における放送関連の動き」も参照
震災が発生してからしばらくの間は、予定されていた番組から急遽災害の情報を伝える臨時ニュースへと変更している。震災が発生しなかったならば存在しなかったであろう震災関連の番組製作や、従来の番組に特設のコーナーを設けたり震災に言及するなどの内容が放送されている。 レギュラー放送の番組・放送枠では番組改編(最終回や4月期の新番組開始)を延期したケースも多い。また、後述するように番組内容やタイトルの差し替え・放送休止なども行われている。 放送休止・差し替えの特殊なケースバラエティ番組
アニメ番組下記以外にも『ニチアサキッズタイム』(テレビ朝日)などのように震災に伴う報道特番で休止となったアニメ作品は多い。休止となった番組・放送枠では震災以降の放送や新番組開始を1週ずつ繰り下げたり、別の時間帯に振り替えて対処している。
ドラマアニメ作品と同様、震災に伴う報道特番で休止となった多くのドラマ作品が震災以降の放送や新番組開始を1週ずつ繰り下げたり別の時間帯に振り替えて対処している。
その他
ラジオ番組ラジオ番組においても様々な影響が起こっており、『震災情報 官邸発』(のち「政策情報 官邸発」)などといった震災関連の番組が企画されたり従来の番組に震災情報を取り入れるなどといった試みがなされている[115]。有名人による被災者に対したラジオを通じた支援も活発に行われており、福山雅治はニッポン放送の24時間連続生放送の緊急特番に出演し、長渕剛は東日本大震災復興支援ラジオ・プログラムとして『長渕剛 RUN FOR TOMORROW 〜明日に向かって〜』をスタートさせている[116][117]。 新聞・書籍・出版→「東日本大震災の出版への影響」も参照
映画・ビデオ映画日本映画
日本国外の映画
映像ソフト
コンピュータゲーム
音楽日本の音楽界においては、地震や計画停電の影響のみならず、福島第一原子力発電所事故により続発した日本国外アーティストの来日拒否という影響も受け、震災直後から公演などの中止や延期が相次いだ。また、日本国内の物流が一時救援物資の輸送など震災対応に追われた影響で、日本のレコード会社各社が2011年3月下旬に日本国内で発売予定であった音楽作品のリリースを一旦延期、ごく一部には中止する事態も発生した[152]。 クラシック音楽2011年3月11日の本震により、当時来日中であったBBCフィルハーモニックが日本でのツアーを打ち切り[153]、読売日本交響楽団が同月14日の東京での定期演奏会を中止した[154]。また、仙台市青年文化センターとミューザ川崎シンフォニーホールが本震で被災して使用不可となったため、前者を本拠地とする仙台フィルハーモニー管弦楽団が同年6月まで、後者を本拠地とする東京交響楽団が2013年3月まで、それぞれ付近の他ホールを代用せざるを得なくなった[155][156]。このほか、東京国際フォーラムの一部ホールが余震で一時使えなくなり、クラシック音楽祭ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンが大幅な規模縮減を強いられた[156]。 そんななか、本震発生当日は、日本フィルハーモニー交響楽団がアレクサンドル・ラザレフ指揮の下、新日本フィルハーモニー交響楽団がダニエル・ハーディング指揮の下、それぞれ東京での定期演奏会を敢行[157][158]。また、来日公演中であったチョン・ミョンフン指揮のチェコ・フィルハーモニー管弦楽団がツアーを続行し[159]、ズービン・メータ[160] 率いるフィレンツェ歌劇場も同月13日からの日本公演を予定通り開始した[161]。 しかし、日に日に悪化が伝えられる原子力発電所事故により、チェコ・フィルはチェコ政府から[162]、フィレンツェ歌劇場はフィレンツェ市からそれぞれ帰国命令が下り、揃って同月16日からの公演をキャンセル[159][163]。それ以後、読売日本交響楽団常任指揮者のシルヴァン・カンブルラン[164]、プラシド・ドミンゴ[165]、ギドン・クレーメル[166]、デニス・ラッセル・デイヴィス[167](以上 同年4月)、エリアフ・インバル[168]、マルタ・アルゲリッチ[169]、チョン・ミョンフン[170](以上 同年5月)、ファビオ・ルイージ率いるメトロポリタン歌劇場[171](同年6月)などは滞りなく来日し、また同震災直後に離日を強いられたズービン・メータ(同年4月)をはじめ[160][172]、クリストフ・ルセ[173][174]、ケント・ナガノ[175](以上 同年6月)などが急きょ訪日してチャリティー公演を実施したものの、ヒラリー・ハーン[176](同年3月)、新日本フィルハーモニー交響楽団音楽監督のクリスティアン・アルミンク[177][178]、ウィーン少年合唱団[179](以上 同年4月)、アンネ=ゾフィー・ムター[180]、マリア・ジョアン・ピレシュ[180](以上 同年5月)、アンナ・ネトレプコ[181]、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団[182](以上 同年6月)など数多くのアーティストが同原発事故を理由に来日せず、多くの公演が中止へと追い込まれたり、内容の変更を余儀なくされた。 ポピュラー音楽音楽イベントでは、幕張メッセで開催予定であった同年3月19日・20日のGO! FES 2011[183] および同年4月のスプリングルーヴ 2011・パンクスプリング 2011[184] が中止となり、宮城県川崎町が会場のARABAKI ROCK FEST.11が開催時期を同年4月から同年8月に延期した[185]。 日本国内アーティスト関連では、遊助が同年3月11日当日の日本武道館公演を急遽延期したほか[186]、ジャニーズ事務所が所属歌手の同月中の公演をすべて中止し[187]、本震災時日本でツアー中であったMr.Children[188]、福山雅治[189]、佐野元春[190]、倖田來未[187] などが一部公演を中止ないし延期にした。また、同月26日から開始予定であった小田和正の日本国内ツアーが一部公演の延期や中止に伴い同年5月開始となり[191]、同年4月から開始予定であった浜崎あゆみの同ツアーも同月中の公演の延期により翌5月からの開始に変更された[192]。このほか、副次的影響として、スピッツがボーカル:草野マサムネの同震災に伴う急性ストレス障害発症のため、日本ツアー序盤である同年4月初旬の一部公演を延期するといった出来事も発生した[193]。 Capsuleが3月にリリース予定だったアルバム『KILLER WAVE』が震災により5月に発売を延期し、タイトルも『WORLD OF FANTASY』に変更された。 日本国外アーティスト関連では、本震時日本へ向かう機上の人であったシンディ・ローパーが同年3月15日からの東名阪公演を予定通り敢行したが[194][195]、同じく本震発生時日本へ移動中であったアイアン・メイデンが同月12日と翌13日のさいたまでの日本公演を中止し[161]、日本ツアー中で本震当日大阪で公演を行ったジャック・ジョンソンが日本での残りの公演を、またケシャが同月22日から開始予定であった来日公演をそれぞれ延期した[196]。その後は徐々に原発事故が影を落としていき、同月19日から日本ツアーを開始したニーヨが福島第一原子力発電所に近いことを不安視するクルー側の声を聞き入れて[197] 最後の東京公演を急きょキャンセルしたのをはじめ[196]、セルジオ・メンデスやレオン・ラッセルが同年4月の来日公演を中止し[198]、ジャック・ジョンソンやケシャも結局公演を中止に切り替え[199][200]、ビーディ・アイが同年5月から同年9月に[201]、アヴリル・ラヴィーンが同年5月から翌2012年2月[202] にそれぞれ日本ツアーを延期するなど[203]、公演の延期や中止が相次いだ。 これらの多くは原発事故ではなく「アーティストの都合」を理由に挙げたが[199][200][203]、これ以外にも、2011年4月に長崎でのイベントに参加予定であったジミー・ペイジが当時英国政府が東京以北[204][205][206] を対象に渡航自粛を勧告していたことを理由に来日せず[207]、また同年3月18日から東京でのテレビ出演や大阪での音楽イベントなどを予定していた[208]KARAが、当時韓国政府が東京を旅行警報第1段階(滞在者への注意喚起[204][209])の指定地域にしていたことを理由に日本での日程をキャンセルするなど[210][注釈 5]、直接渡航の妨げにならない理由を掲げて来日を拒否するアーティストもいた。 一方で、訪日を敢行するアーティストもおり、ジェーン・バーキンが同年4月に急きょ東京でチャリティー公演を催したほか[214]、MR. BIG[215]、ジョニー・ウィンター[216]、Sum 41[217]、カイリー・ミノーグ[218] などが同年4月に、マルーン5[219]、ジャスティン・ビーバー[220]、ケイティ・ペリー[221]、被災地の大船渡でボランティア活動にも参加したサラ・バレリス[222][223] などが同年5月に、予定通り来日して公演を行った。 インターネット・モバイル・IT
脚注注釈
出典
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