森は生きている『森は生きている』は、ロシア人の児童文学作家である、サムイル・ヤコヴレヴィチ・マルシャーク(Samuil Marshak 1887年 - 1964年)作の戯曲であり、ソビエト連邦時代の1943年の作である。スロバキア民話の「12のつきのおくりもの」が原案となっている。1953年、湯浅芳子が翻訳し岩波書店(岩波少年文庫)から出版された。原題は『十二月』(ロシア語: Двена́дцать ме́сяцев; 同ラテン文字表記: Dvenadtsat mesyatsev)。 あらすじ新しい年を迎える大みそか、わがままな女王が、真冬のさなかに春の四月に咲くマツユキ草がほしいと言い出したため、国じゅうは大騒ぎ。持ってきたものに褒美の金貨を与えるというお触れを出す。ほうびの金貨に目がくらむ継母と姉娘のいいつけで、一人の娘が吹雪の中マツユキ草を採ってくるようにと夜中の森に追いやられる。 森の中で娘はたき火を囲む十二月の月の精たちに出会う。娘の話を聞いた四月の精は、他の月たちに頼んで一時間だけ「時」をゆずってもらう。冬の森はたちまち春へと季節をかえ、娘は凍えることなく無事マツユキ草を手に入れて帰ることができた。 娘の帰りを待っていた継母と姉娘はマツユキ草を取り上げ、宮殿の女王の元へ行く。女王にマツユキ草を届け、褒美をもらうが、継母の話を聞いた女王は継母と娘と家来たちを連れて自らマツユキ草を探しに森に入る。そこで待ち受けていたものは…。 日本での上演日本では俳優座が湯浅芳子訳、林光音楽により1954年に初演したのが最初の上演。1959年からは劇団仲間が引き継いで同劇団の代表的な作品として上演を重ねており、2019年現在その上演回数は2100回を超える。その後、さまざまな団体で上演する度に新曲が追加され、1992年には林光自身の台本により、集大成となるオペラ版が作曲された[1]。オペラ版は、オペラシアターこんにゃく座によって、現在も代表的なレパートリーの一つとして上演され続けている。
映画1956年ソ連版同名タイトルで1956年にソ連にてアニメーション映画として公開された。 スタッフ
声の出演(日本語吹替版)1956年日本版同名タイトルで1956年に、日本にて実写映画として公開された。 スタッフ
キャスト
1980年版
『世界名作童話 森は生きている』というタイトルで1980年3月15日に、日本にてアニメーション映画として「東映まんがまつり」内で公開された。文部省(現:文部科学省)選定作品。1977年春公開の『世界名作童話 白鳥の王子』以来、宮崎恭子が「隆巴」名義で脚本の一部を担当した。 岡田茂東映社長が"モスクワ五輪ブーム"を当て込んで[3][4]、バレーボールを題材にした日ソ合作『甦れ魔女』とともに企画したが[3]、ソ連のアフガン侵攻でソ連株がガタ落ちし[3]、全国の映画館主からソッポを向かれた[3]。慌てて『森は生きている』のパンフレットにはソ連の"ソ"の字を一切入れず、『世界名作童話』と銘打った上で、ソ連臭を出来るだけ消し上映した[3]。 なお『アンデルセン物語』(長編アニメ版。1968年3月公開)以来、ポスターなどに記載されていた「カラー長編まんが」は、本作より単に「カラー作品」に変更、興行名より早く「まんが」が省かれた。 2022年現在映像ソフト化はされてない。 スタッフ
主題歌
キャスト
同時上映全て劇場用新作。
テレビ放送ミュージカル2003年7月30日から8月3日までアートスフィアにて上演。 キャスト他 2004年8月21日から8月29日までアートスフィアにて上演。 キャスト他 2005年7月8日から7月12日までアートスフィアにて上演。 キャスト
他 2006年7月26日から7月30日まで全労済ホールスペース・ゼロで、8月12日から8月13日まで新神戸オリエンタル劇場で上演。 キャスト他 2007年8月2日から8月5日までシアター1010で上演。 キャスト他 脚注
外部リンク
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