長野県松本深志高等学校(ながのけん まつもとふかしこうとうがっこう)は、長野県松本市蟻ケ崎に所在する県立高等学校。
概要
設立
同校の前身は、1876年(明治9年)に松本市中央の開智学校(長野県で最古の小学校)内に「第17番中学変則学校」として創立された[1]。その後「松本中学校」などへの校名変更を経て、1948年(昭和23年)に現在の校名として設立された[1]。
「自治の精神」の校風から校則を持たないこと、制服がないことを特徴とする。
校名の「深志」とは松本市の古称「深志郷」に由来し、「扇状地の伏流水がわき出る場所」を意味する。旧制中学校から新制高等学校への移行にあたり、「長野県松本高等学校」や「長野県松本蜻蛉高等学校」などの案も提案されたが[2]、前者は旧制松本高等学校の存在、後者は「蜻蛉(あきつ)」が「かげろう」とも読むことや(『松中新聞』最終号)[2]、旧制松本高等女学校が「長野県松本蟻ヶ崎高等学校」と申請したことで、「蜻蛉」と「蟻」となり、昆虫同士で奇異であると長野県教育委員会が判断した[3]などを理由に、現在の校名に決定した。
なお、正式名称は他の長野県の高等学校と同様に「長野県立」ではなく、「長野県松本深志高校」である[1]。
校舎
本校の管理棟・普通教室棟(第一棟)と講堂はともに2003年(平成15年)4月8日から国の登録有形文化財に登録されている。
授業
授業は1日55分×6時限(木曜日 55分×6時限+LHR50分)を展開する。
土曜授業は2013年度から新学習指導要領が完全実施されるのに伴い、生徒の学習時間の確保と平日放課後の自主活動の時間確保のため開始された。ただし、毎週は実施されない。
2002年度から2003年度までの夏期は70分授業を実施していたが、従来(1957年 - )の65分5時間授業、土曜午前65分3時間授業に戻した。
2020年度より55分6時間授業になり、土曜授業が廃止された[要出典]。
沿革
教育目標
- 広い分野で、確かな基礎学力を養う。
- 生徒の個性や能力に応じ、その可能な限りの伸長発展を図る。
- 生徒の自主性を尊重して、自治の精神を育てる。また、豊かな情操を養い、知情意のバランスのとれた、ゆとりある学校生活ができるようにする。
遺訓
旧制松本中学校初代校長小林有也が残した遺訓が現在も伝えられている。
- 一、諸子はあくまでも精神的に勉強せよ
- 一、而して大に身體の強健を計れ
- 一、決して現代の惡風潮に染み堕落するが如き事のあるべからず
校章
- 「髙」の字(旧字体)にトンボがとまる図である(外部ページに図示あり)[5]。
- 文化祭も「蜻蛉(とんぼ)祭」と称し[5]、その名称は校章に由来する。
- 制定は1893年(明治26年)頃であり、当時は「中」の字だった。
- トンボが採用された理由としては、同校の教職員であった小林俊樹および渡辺恭治郎によって次のように考察されている[5]。
- 明治20年代当時に発行されていた政治評論雑誌『日本人』の表紙には毎号トンボが登場していた(トンボは日本の象徴とみなされることがあった。詳細は後述)。その創刊者のひとり杉浦重剛と、同校の初代校長であった小林有也が友人だったことから、同誌の影響を受けた可能性がある。また、同誌に描かれたトンボの羽の形状と本校章のそれが類似している[5]。
- かつて定められた制帽にも、1893年(明治26年)時点でこのトンボの校章が用いられていた[5]。
校歌
1902年(明治35年)に作られた初代校歌は、卒業生の勝山勝司が作詞し、 米久保善雄が作曲した[6]。歌い出しは〈蜻蛉嶋山たゝなはる…〉と続いた[5]が、あまり普及することなく忘れられていた[6]。
1922年(大正11年)に[1]、当時の在校生で文芸部委員であった松原威雄が初代校歌をもとに5日間程度で作詞した。作曲は東京音楽学校(現在の東京藝術大学)助教授の岡野貞一が依頼されて行った[6]。
歌詞は第1番から第5番まであり、第1番の歌詞は以下のとおり[5]。同校ホームページに全歌詞が記載されている。
蒼溟(そうめい)遠き波の涯(はて)
黒潮たぎる絶東(ぜっとう)に
たてり大和の秋津洲(あきつしま)
光栄(はえ)の歴史は三千年
そのうるはしき名を負へる
蜻蛉男児(あきつをのこ)に栄えあれ
なお、松原は作詞の2年後に卒業して早稲田大学へ進学したが、翌1925年(大正14年)に肺炎で死去した。わずか21歳であった[6]。
意味
歌詞の意味として、当時4年生だった松原は次のように考案したという(大正12年2月28日発行の『校友』67号末尾より)[5]。
- 1番では校歌の徽章の由来を説いてそれを讃美し、
- 2番では松中の特徴、否、生命とも言うべき自治を謳歌し、
- 3番では歴史・過去を歌い、
- 4番では現在を歌い、
- 5番には未来に対する抱負というようなものを歌った。
「秋津洲」の意味
「秋津州」とは古事記に記載された「大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)」のことであり、日本の本州を意味する[5]。
さらに、この「豊秋津州」は「豊かなトンボの国」とも解釈できることから、「秋津洲」は日本および同校(松本中学校)の象徴であるトンボを同時に意味している[5]。
行事
- 郷友会 - 出身中学校を共にする生徒がそれぞれ運営する団体。夜行軍・蜻蛉祭の灯篭作り・試胆会などの年中行事を行う。ただ近年は夜行軍や試胆会は行われていない。
- 深志清陵交歓会 - 1956年(昭和31年)より続く行事である。隣接通学区の諏訪清陵高校との交流の場であり、毎年6月に行われていたが、近年は行われていない。
部活動
特別活動としてのクラブ活動は、「運動協議会」(運動部)と「学芸協議会」(文化部)とによって構成される「合同協議会」によって総括される。クラブ活動の団体には、予算や生徒会の支援の違う、愛好会・同好会・部活動の3段階が設けられている。
部活動の主な実績
野球部
サッカー部
男子硬式テニス部
弓道部
- 第23回全国高等学校弓道選抜大会 男子団体ベスト8[県選抜予選優勝 県代表](2005年3月)
- 第24回全国高等学校弓道選抜大会 男子団体ベスト8[県選抜予選優勝 県代表](2006年3月)
- 第28回全国高等学校弓道選抜大会 女子団体出場[県選抜予選優勝 県代表](2010年3月)
ダブルダッチ部
- ダブルダッチコンテストジャパン(全国大会)「『回符』回転研究」U-19パフォーマンス部門 2位、総合3位(2009年3月)
- ダブルダッチコンテストジャパン(全国大会)「山賊」U-19スピード部門 3位(2015年3月)
- ダブルダッチコンテストジャパン(全国大会)「fame」U-19スピード部門 3位(2017年3月)
- ダブルダッチコンテストジャパン(全国大会)「How How!?」U-19パフォーマンス部門 4位(2017年3月)
- ダブルダッチコンテストワールド(世界大会)「R-guy'z」U-19パフォーマンス部門 3位(2018年3月)
- ダブルダッチコンテストワールド(世界大会)「cook-a-doodle-doo」U-19スピード部門 2位(2018年3月)
- ダブルダッチコンテストジャパン(全国大会)「塩豆腐」U-19パフォーマンス部門 6位(2019年3月)
放送委員会制作班
- 第61回NHK杯全国高校放送コンテスト テレビドキュメント部門「舞装」 全国第3位(2014年)
- 第62回NHK杯全国高校放送コンテスト テレビドキュメント部門「折衝会」 全国準優勝(2015年)
- 第64回NHK杯全国高校放送コンテスト テレビドキュメント部門「鼎談深志」 全国優勝(2017年)
- 第66回NHK杯全国高校放送コンテスト テレビドキュメント部門「最後のLHR」 全国優勝(2019年)
- 第68回NHK杯全国高校放送コンテスト テレビドキュメント部門「つないで つないで!」 全国準優勝(2021年)
棋道部囲碁班
- 第11回全国高等学校囲碁選抜大会 女子9路盤優勝[北信越大会準優勝 北信越代表](2017年)
- 第43回全国高校囲碁選手権大会 男子団体7位[長野県大会優勝 県代表](2019年)
- 第15回全国高等学校囲碁選抜大会 男子個人3位[北信越大会優勝 北信越代表](2020年)
- 第45回全国高校囲碁選手権大会 男子団体準優勝[長野県大会優勝 県代表](2021年)
- 第45回全国高校囲碁選手権大会 男子個人3位[長野県大会優勝 県代表](2021年)
Quiz研究会
尚学塾
同校の卒業生による在校生への特別講義。
学校週5日制(完全週休2日制)が実施された2002年(平成14年)4月に設立された。松本深志同窓会、松本深志高校PTA、(財)深志尚学会を共催団体とする。
特別講義
各分野で活躍する同窓生が、専門分野の話、体験談、後輩に送るメッセージなどを講義する。
卒業生が在校当時の各学級から一人ずつ、合計10人前後の講師を代表として選出し、彼らの経歴や演題をあらかじめ在校生に示す。在校生はその情報をもとにどの講義を受けるのか各自で選択して受講する。在校生からの人気が得られなかった場合、講義に一人の受講者も現れない可能性もある[9]。
- 2002年(平成14年)度から2004年(平成16年)度は、主に卒後50年の同窓生が担当していた。
- 2005年(平成17年)度以降は、主に卒後50年と卒後30年の同窓生が担当している。
出身者
政治
学者
経済・法曹
文化人・スポーツ選手
その他
著名な教職員
アクセス
舞台となった作品
ノンフィクション
映画
- さよなら、クロ
- 上述の書籍を映画化したもの。制作当時に在籍していた生徒や教職員がエキストラとして出演している。
- 時をかける少女(1997年版)
- 83年版の舞台である尾道が海沿いの町だったことから、山間の長野県の松本市に変更された。主題歌を担当した松任谷由実が撮影期間中、陣中見舞いに訪れている[14]。
テレビドラマ
その他
進学先地域
同校の発表に基づき、2018年(平成30年)度から2020年(令和2年)度までの卒業生による大学や大学校および専門学校への進学者数(新卒)を、それらの所在地域によって分類すると次の通りであった[18][19][20]。
これらの期間においては、同校からは関東地方への進学者が圧倒的に多かった。次に長野県内での進学が多く、以降は大きく差が開いて近畿地方、東海地方、また北陸地方などと続く順序になっていた[18][19][20]。偏差値は69であり県内屈指の進学校になっている。
各年度の進学先地域とその人数
地域[注釈 4]
|
2018年
|
2019年
|
2020年
|
合計
|
北海道
|
3
|
5
|
4
|
12
|
東北地方
|
8
|
9
|
6
|
23
|
関東地方
|
73
|
83
|
81
|
237
|
新潟県
|
1
|
6
|
4
|
11
|
長野県
|
35
|
31
|
44
|
110
|
山梨県
|
2
|
2
|
4
|
8
|
静岡県
|
3
|
2
|
0
|
5
|
北陸地方
|
11
|
7
|
12
|
30
|
東海地方
|
10
|
10
|
13
|
33
|
近畿地方
|
16
|
22
|
21
|
49
|
その他
|
5
|
3
|
6
|
14
|
合計
|
169
|
180
|
194
|
543
|
関連項目
脚注
- 注釈
- 出典
外部リンク