ルパン三世 ルパンVS複製人間
『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(ルパンさんせい ルパンたいクローン)は、1978年に公開された日本のアニメ映画。モンキー・パンチ原作のアニメ『ルパン三世』の劇場映画第1作である。賢者の石を巡る争奪戦を機に、ルパン三世と自らを神と名乗る謎の人物・マモーとの対決を描く。監督は吉川惣司。 本来のタイトルは『ルパン三世』。ビデオソフト化の際に他の作品と区別するため、キャッチコピーの一部だった現在の副題が付いた。副題が付く以前は『マモー編』という通称があった[4]。 キャッチコピーは「ルパンvsクローン〈複製人間〉─世界史をぬりかえるのはどっちだ!?」。 概要当時、日本テレビ系で放送されていた『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』(以下、『TV第2シリーズ』)の人気を受け製作された。また、当時の劇場用アニメはテレビシリーズの総集編というものが多く、その中で総製作費5億円をかけた完全新作となった[1]。 本作は「初期の頃の大人向けのルパンが見たいという声にお応えします」という制作趣旨が明言され、子供も含む幅広い年齢層を対象にした『TV第2シリーズ』ではなく、アダルトでハードな世界観である『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』(以下、『TV第1シリーズ』)初期の作風に近づけることを命題とした。このため、スタッフは『TV第1シリーズ』に参加した人物が多く起用され、公開時におけるセールスポイントの一つでもあった[1]。 後年のルパン作品で登場が恒例となる、峰不二子以外のマドンナ的な役柄となる女性オリジナルキャラクターが本作には存在しない。不二子がヒロインとしてルパンとの関係にも焦点が当てられており、その存在についても物語のキーポイントの一つとなっている。 初公開時、「世界初の長編アニメビジョン」と宣伝で謳われていた。これは、大画面(ビスタ・サイズ)での公開に合わせ、作画に通常より大きい背景やセル画を用いたことを、アニメーションとビスタ・サイズを合わせたアニメビジョンという造語で表したものである[1][5]。 製作時、裏テーマとして「映画を盗め」というものがあったといい、様々な映画のパロディが指摘できないほど散りばめられている[6]。 本作はクローン技術をテーマにしたSF作品でもあり、細胞分裂の限界(詳細はテロメアを参照)などクローンに関する知見を盛り込んでいる。公開された1978年当時は、イギリスで「試験管ベビー」と呼ばれる世界初の体外受精児が誕生したため、クローンは旬のテーマだった[注釈 1]。 特別ゲストとして、エジプト警察署長役に三波春夫、アメリカ合衆国大統領役に赤塚不二夫、ソ連書記長役に梶原一騎[注釈 2]が出演している[7]。 あらすじある日、一人の男が処刑された。その男がルパン三世であることは、鑑識の結果からも事実だった。だが、銭形警部だけはその事実を信じなかった。 銭形はルパンが埋葬されているドラキュラ城へ車で急行し、「物事にはな、限りってもんがあるんだ!」とルパンの遺体に自らの手でとどめを刺そうとするが、遺体は爆発してしまう。その時、爆発の衝撃で引っくり返った銭形の目の前に、「相変わらず殺気立ってやんなぁ、父っつあん」と先ほど爆発したはずのルパンが現れた。ルパンによると処刑されたのは偽者であるらしく、銭形はとりあえずと言わんばかりにルパンを逮捕しようとするが、逃げられてしまう[注釈 3]。 自分が本物なのか迷いつつもルパンは不二子の依頼を受けて新たな仕事へ出発し、次元と共にエジプトのピラミッドから「ある石」を盗み出す。それは、人間に永遠の生命を与えるとの言い伝えがある賢者の石だった。 そのころ、謎の男の用意した部屋にて裸で寝ていた不二子は、起床を促す彼の声で渋々起きてシャワーを浴びる。その声は作りものであり、不二子は男の正体に未だたどり着けずにいた。それすらも想定の範囲内であるかのように微笑んだ不二子はバイクスーツを着込み、ルパンのもとへ走り出す。 賢者の石を持ってきたルパンに不二子はいつもにも増して冷淡な態度で応対し、彼の隙を突いて硬化ガスを吹きつけ、賢者の石を持ち去る。そんな不二子もまたある人物に依頼されていたが、「マモー」と名乗るその依頼主は、ルパンを使って不老不死に関する品物を集めていた。しかし、賢者の石はルパンがあらかじめ用意していた盗聴器付きの偽物だったため、彼はマモーに狙われることとなる。 不二子はマモーから逃れ、スペインにあるルパンの隠れ家を訪れて助けを乞うが、不二子の密告によって痛い目に遭っていた次元と五ェ門には拒絶され、彼らは不二子をかばうルパンに愛想を尽かして隠れ家から去る。ルパンは不二子と床を共にするかと思いきや彼女に追い出され、「ア〜ア、俺はアラン・ドロンにゃなれねえよ!」と拗ねる[注釈 4]と腹ごしらえを済まして不二子に襲いかかろうとするが、食事に盛られていた薬が効いて眠ってしまう。不二子は無線でマモーの部下のフリンチを呼び、ルパンを引き渡す。 フリンチに捕らえられたルパンは、マモーのアジトの島で彼のクローン技術によって複製されたナポレオン・ボナパルトやアドルフ・ヒトラーらしき人々に出会う。マモーも、1万年前から自己を複製し続けてきた複製人間(クローン)であって永遠の命を得た「神」を自称するが、ルパンは信じない。 一方、次元と五ェ門はFBIのゴードンに拘留されてしまう。マモーが米ソ両政府をも脅迫して医学・細胞学や生命工学の機密情報を要求していたことから、ゴードンの上司であるスタッキー大統領特別補佐官にマモーの本拠地を問われた次元は、ルパンの残した紙片を示す。不二子の筆跡で水と書かれたその紙片の意味をゴードンに問われた次元は、「それが分かったらお互い苦労しない」と返す。シラを切られたと感じたゴードンは次元に拷問を迫って脅すが、それがアメリカの民主主義かと、マリリン・モンローとハンフリー・ボガート[注釈 5]を引き合いに出して啖呵を切ってみせた次元の様子に、スタッキーは次元と五ェ門がマモーの本拠地を知らないものと判断して二人を釈放する。しかし、尋問の際にゴードンが机をひっくり返した拍子に水で濡れた紙片には、カリブ海の文字が浮かび上がっていた。それを見た次元と五ェ門はマモーの島へ船で向かうが、その船底には牡蠣のようにへばりつく銭形がいた。 そのころ、ルパンは賢者の石と不二子を奪い、島中を逃げ回っていた。そこへ次元が駆けつけてマモーを射殺し、五ェ門がフリンチを倒した結果、ルパンたちは脱出に成功する。そして、島はスタッキーの命令を受けたアメリカ軍による空爆で葬られた。 ルパンたちはコロンビアの田舎町にあるホテルへ逃れるが、そこへ死んだはずのマモーが現れて不二子を連れ去り、「処刑されたルパンはマモー自身が作ったクローン、いやあるいは処刑されたルパンが本物では?」と挑発する。ルパンの「お前が神なら、奇跡を起こせ」との反発に答えるようにコロンビアの街を大地震が襲い、街は廃墟と化す。しかし、ルパンは地震のカラクリを見破ると、心が折れた次元の制止を振り切り、単身でマモーの本拠地へ乗り込む。本拠地ではマモーが核ミサイルのボタンを押してアメリカ政府を挑発するが、ルパンによる工作で核ミサイルは発射寸前に爆発し、マモーの本拠地は崩壊する。ルパンとの戦いの末、自らのクローンをすべて失ったマモーは巨大なカプセル内に浮かぶ巨大な脳としての正体を現し、そのカプセルを搭載したロケットによって宇宙の彼方での不老不死を手に入れようと地球からの逃亡を図るが、ルパンが不二子を連れて逃げる前に仕掛けていた爆弾によって宇宙空間でカプセルとロケットを破壊されて絶命し、巨大な脳のまま太陽に向かって漂っていくという最期を迎えた。地球上ではルパンが「マモー、感謝しな、やっと死ねたんだ」と皮肉めいた捨て台詞を吐く。 ルパンを追って来た銭形の前でルパンが不二子にキスしながら服をめくって乳首を触る動作は、まるでボタンを押すかのようであった。それと同時に、各国でミサイルの発射ボタンが押され、すべての秘密をもみ消すためのミサイルがマモーの本拠地に向けて発射される。ルパンを救出に来た次元の飛行機には不二子がちゃっかりと乗り込み、残されたルパンと銭形は手を取りあって逃げ出すのであった。 登場人物メインキャラクター→「ルパン三世 § 登場人物」も参照
ゲストキャラクター
スタッフ
製作企画企画は、東京ムービー(現トムス・エンタテインメント)の社長だった藤岡豊によって立ち上げられた。1977年に劇場版『宇宙戦艦ヤマト』をプロデュースし、大ヒットさせた西崎義展に対抗意識を燃やした藤岡が「ルパンの映画をやるぞ!」と声をかける形だったという[10]。監督は、『TV第1シリーズ』で絵コンテを担当したことなどが縁で吉川惣司が起用された[8]。 吉川曰く、当時はテレビもマンガも「血と汗と涙」のスポ根一色の時代であり、本作のようなアダルトな雰囲気の「洋画風」アニメが当たるわけがないとされていた。そのため、企画は最初からやりたいようにできたといい、ほぼ自由な体制での制作だったという[6][10]。これにより、当時放送中の『TV第2シリーズ』と異なる『TV第1シリーズ』初期の作風に近づけることとなった。吉川は後年「(『TV第2シリーズ』は)あまりにお茶の間向けの演出で、スタッフの間に不満が高まっていた」「もっとアダルトな内容にしようという機運も高まっていた」と回想している[8]。 脚本脚本は大和屋竺と吉川の連名であるが、実際は吉川単独での執筆である。大まかなアイデアなどの打ち合わせは2人で重ねていたものの、会議に間に合わせるため吉川が一人で書き上げた脚本が初稿としてプロデューサーに提出された。その後、吉川は大和屋に修正を打診したが「そのままでいい」と了解を得たため、吉川の大和屋への敬意から連名でクレジットすることとなった[9]。 吉川は脚本や演出について、「ちょっと変わった殺し屋を出すとか、ワンアイデアに集中するところがルパン」との考えから劇場で持ち味が消えないかという不安があったといい、逆に「劇場用でしかできないものを」と開き直る気持ちで制作したという[11]。また、「ルパンは日常性からつきぬけた人物だから、人間くさい話にはしたくなかった。それに泥棒ルパンはテレビでもう充分。それよりも、同じアウトサイダーでもルパンと対極をなすような人物・壮大な敵と、観念の上だけでいいから戦わせる話にしたかった」と話すほか、「人類を救うようなことをしても、ルパンは周りの世界と気持ちの上で関わりあいをもたず、泥棒として追われる。結局、ルパンにとっては"コップの中の嵐"で、ルパンのスケールの大きい人間性に皆が飲み込まれていたという話にしたかった」という発言もし[11]、後に「マモーとルパンの対立も米国とソ連の対立構造の前ではかなわない、という物語がやりたかった」と明かしている[8]。 製作キャラクターデザインは、それまでのシリーズ(大塚康生や北原健雄)と異なり椛島義夫によって新たに描き起こされた。このデザインは顔が細長いことから「馬面ルパン」との俗称で呼ばれている。なお、マモーのキャラクターデザインに関しては、吉川によるものである[9]。 椛島は作画監督も務めたものの、製作中に体調不良で休養した時期があり、この期間は青木悠三らが作画をチェックしたという[12]。椛島と共に作画監督を務めた青木は、カーチェイスの作画も担当している[4]。 レイアウトには短いスケジュールで上手いものが必要だという理由から、パイロットフィルムに参加した芝山努が起用された[12]。芝山は「ルパンは手足が細い。だから劇場の広い画面で、手足をさげていると左右がスケスケになる」と語り、手をあげたり斜めに寝かせる場面を作るなど気を使ったという。動画チェックを担当した大武正枝は当時の芝山に関して、吉川による絵コンテが出来たところからどんどん描き始め、約4ヶ月で1000カット以上ある全レイアウトを仕上げたと証言している[12]。 『TV第1シリーズ』の作画監督である大塚康生は"監修"とクレジットされているが、先行して参加した『未来少年コナン』の製作が遅れたため参加した時点で作画の80%が終了しており、関わったのは作画チェックの手伝いのみとなった[13][14]。大武によると、大塚のチェックは椛島の休養中で、椛島不在によって積まれたカットの中から修正前の原画を抜いて中を見て「はい!オッケー」「大丈夫、大丈夫」といった軽いものだったという[12]。一方で、難波日登志によると実際はヘルプとして多くの原画も担当していたといい「そのまま大塚さんのキャラで描かれていたが、なぜか作画監督による修正がなかったため、担当したパートは観ていたら気づくのではないか」と述べている[15][16]。 『TV第1シリーズ』から続く、車や拳銃などのメカや小道具にリアリティを重視し事細かに設定する「実証主義」は本作でも行われ、取り寄せた資料は1万8000点以上となった[1]。 ルパンの愛車には、『TV第1シリーズ』初期で使用されたメルセデス・ベンツSSKが採用されている[17]。不二子の愛車であるミニ・クーパー(オースチン)は、監督の吉川の愛車だったことから採用され、吉川は「ルパン達の誰かに乗せたかった。誰に合うか考え、結局不二子に乗せることにした」としている[11]。 公開時に「世界初のアニメビジョン方式」と宣伝で謳われた。これは、画面アスペクト比が当時主流だったスタンダード・サイズではなく当初からビスタ・サイズを想定しており、通常より大判のセル画を用いて制作された最初の作品であることを指している[5]。なお、使用したセル画は約6万2000枚となった[1]。 三波春夫によるエンディング曲「ルパン音頭」は、プロデューサーの藤岡による指示で挿入されたものである。当初、藤岡はベイ・シティ・ローラーズの起用を希望しており、実際にオファーもされたが、交渉が難航すると「じゃあ、三波春夫で盆踊りだ!!」と突然方向転換。三波の起用を強引に押し通したという[18]。この一件は、経緯を承知していなかった吉川が降板すると言い出す騒ぎにまでなった[14]。ただし、吉川本人は後年、ルパン音頭について「もう素晴らしかったですね」と述べ、「トリッキーな作りとして最後まで意表を衝きたいが方法がなくて困っていたんで。誰もあの歌がくるとは夢にも思わないでしょう。正直『やったぜ!』です」と当時を振り返っている[10]。 製作日数は約1年3ヶ月[19]。専用のスタッフルームが阿佐ヶ谷に置かれた[12]。最終的な参加スタッフは1315人ほどであった[19]。 カットされたシーン公開時、上映時間の都合でカットされた箇所が2つある(約15分)。どちらも製作時には映像が完成しているが、映像自体が公開されたことは予告編に一部が流用されたことを除いて一度もない。 当時のパンフレット内のあらすじや後年の関連書籍で紹介されている。また、DVDの特典でこの場面に登場する住職(声: 槐柳二)や寺男デザインの銭形などの設定画が収録されている。
プロモーションポスターイラストは、原作者のモンキー・パンチが担当した。 配給は、東宝洋画系で行われた。東宝宣伝部は本作を『007シリーズ』のアニメ版という位置付けにし、ポスターと本編にヌードや性的表現を登場させるなど、ターゲットとする観客層は大人を想定していた。地方での同時上映作品は『ナイル殺人事件』という大人向けの作品であり、こちらがメインであった[21]。 公開当時、本作は味の素ゼネラルフーヅ(現・味の素AGF)とタイアップ契約を結んでいた。ゼネラルフーヅはこの時、新製品の炭酸入りキャンディー「テレパッチ[注釈 14]」を発売したばかりであり、劇中ではルパンがテレパッチを食べるカットが挿入された。 公開当時、マモーの容姿はメディアに公開せず[注釈 15]、実際に映画を鑑賞するまで分からないようにしていた。 評価次作『ルパン三世 カリオストロの城』と並んで人気の高い作品である[8]。また、『カリオストロの城』は宮崎の個性や作風が色濃く反映されていることから、原作や『TV第1シリーズ』初期を意識した本作が「『ルパン三世』らしい作品」としてファンを中心に高く評価されることが多い[22][23]。 上記の通り、ターゲットとする観客層は大人を想定していたが、いざ公開が始まると、実際の観客層は『TV第2シリーズ』を視聴中の中高生が中心だった。そのため、次作『ルパン三世 カリオストロの城』の製作が決定すると、ターゲットとする観客層は15 - 16歳中心に改められた[24]。 配給収入は9億1500万円で、1979年に公開された邦画としては第9位であった[3]。また、キネマ旬報ベスト・テンでは第26位を記録した[3]。 吉川自身の評価吉川惣司自身は本作について後年、スケジュール的に不満の残る仕上がり部分が多かったと明かしている[6]。また、公開当時の周囲の反応は今一つであり「ほめてくれた人はほとんどいなかった。敗北感でいっぱいでした」と語っている。そのため、インターネットが普及し始めた1990年代後半に高評価されていることを知った際は「何で今さら、という感じ」だったといい「もっと後で発表していたら仕事も増えたかなあ」と語っている[8]。 一方で、大和屋竺が公開翌年に吉川へ送った年賀状の中で本作を「本当に傑作でした」と記しており、読んだ吉川は報われた思いになったという[25]。 原作者の評価原作者のモンキー・パンチは製作時、本作について「台本はルパン三世の感じがよく出ていた」と評し、少し解釈違いはあったものの「原作とアニメは違う」との考えからあまり口出しはしなかったという。キャラクターデザインに関しては「最初、ルパンがちょっとジジむさかったりしたけど、最終的にできたものを見ると、なかなか都会的センスにあふれていました」とし「劇画の原作を、線を少なくしてアニメ化する場合、デッサンがしっかりしていないとできませんが、東京ムービーのスタッフは絵がうまいので、いい映画になると、ボクも期待しています」とコメントしている[11]。 批評家・研究者による評価映画評論家の河原畑寧は、1978年の読売新聞にて「近来最も良く出来たアニメーション映画で、『イエロー・サブマリン』『フリッツ・ザ・キャット』と肩を並べてもおかしくない傑作といってもいい」と評し、「天才超人こそが生きるに価する存在だと主張するマモーの理想主義に対し、ルパン三世は、あくまでも通俗と常識を振り回し屈服しない。ツァラトゥストラ対熊さん八つぁんの対決という基本構造がはっきりしていて、その上で優れたアイデアに基づく入念な絵作りとアニメ化がなされているから面白いのである」と述べている。また、作画に関しては「マモーの宮殿がキリコ、デルボー、ダリといった超現実主義絵画で構成され、ルパンと銭形がその中で追いかけっこするかと思うと、マモーの居間の壁にミケランジェロのフレスコ画が広がる。日本映画に珍しいゼイタクな遊びの趣向である。それも、いたずらにハイブローぶるのではなく、しゃれとイキの感覚で凝っているから楽しくなる」と評した[26]。 アニメスタイルの編集長を務めるライターの小黒祐一郎は「完全に『旧ルパン』的だったわけではないのだけれど、『新ルパン』で物足りなく思っていたものの全てがそこにあった。『マモー編』は、別々だったアニメブームと『ルパン三世』人気がクロスした作品だったと思う。パワーのある作品だったし、全体にお祭り気分があったと思う[27]。」「『新ルパン』が高視聴率を維持する人気番組として放映されている最中に、『旧ルパン』テイストの劇場作品が作られたという事が、『ルパン三世』というシリーズの複雑さ、面白さを端的に示しています」と評している[28]。その他、『TV第1シリーズ』第2話「魔術師と呼ばれた男」との類似点が特に多いことを挙げ、同話の演出をした大隅正秋による「プライドのために戦うルパン」を継承していることから「本質的な意味において、「大隅ルパン」的と言えるのかもしれない」とする一方で、「大隅ルパン」独特のアンニュイさがなく、作品としての派手さは『TV第2シリーズ』に近いとも分析し「そのあたりも面白い」としている[29]。 佐藤健志は「日本アニメ史上、アメリカンコミックの感覚に一番近づいた、クールに冴えた作品」とし、脚本も秀逸と話すほか「『カリオストロの城』をくさすつもりは毛頭ないにせよ、私にとって『ルパン』のベストはこちら」としている[30]。 サイエンスライターの金子隆一は本作のクローン描写に関して、コピーを重ねるとゲノムが劣化する問題を扱った作品は日本のメジャー作品では珍しいと評価している[31]。 リアルサウンドのライターであるのざわよしのりは、2023年に「本作は70年代の映画でありながら、生物の細胞からオリジナルそっくりのクローンを作るという、当時としては随分SFじみた設定を根幹に置いている。2020年代の現代でこそクローン技術は珍しくないが、お茶の間向けに口当たり良く作られていた第2TVシリーズと並行して公開された作品と考えれば、かなりハード路線を目指していたのが分かる。また、同一細胞のクローン製造を続けた結果、粗悪な複製体が生まれることで、マモーの生への執着と哀しみも描かれている。遺伝子情報の劣化で、皺くちゃなマモーの失敗作が出来ることも、『コピーを重ねると像がぼやけてくる』と観客に分かりやすい台詞で語られてる辺りも見事な脚本だ。」としている[32]。 関係者などの評価
ランキング
受賞歴
受賞理由:パックス・アメリカーナ(アメリカによる世界支配構造)への痛烈な風刺 関連作品後の作品への影響石川五ェ門の決め台詞「またつまらぬ物を斬ってしまった」の原型となる「―斬ったか」は、本作が初出である[4]。その後『TV第2シリーズ』86話「謎の夜光仮面現わる」(1979年6月4日放送)で「またつまらぬ物を斬ってしまった」が登場する。 1989年から始まったTVスペシャルの初期4作(『ルパン三世 バイバイ・リバティー・危機一発!』から『ルパン三世 ロシアより愛をこめて』まで)のキャラクターデザインは、本作をイメージしたものである。担当した古瀬登によると、初めて担当した仕事が本作であったため、敬意を表して似せたものにしたという[42]。また、出﨑統は本作を意識して作画監督の古瀬にキャラ設定を頼んだという。なお、本作でのルパン(赤ジャケット・黄色のネクタイ)と五ェ門の衣装設定(白の着物・茶色の袴)は、以後のTVスペシャルでもほぼ全作で共通となっている。 LUPIN THE IIIRDシリーズ→「LUPIN THE IIIRDシリーズ」も参照
ゲーム・パチンコ2000年にバンプレストから、「生きていた複製人間」の題名でテレビゲーム作品として本作の続編の制作が予定されていた。内容は、「マモーが滅んだ後も、何人もいたマモーのクローンの中の数体が生き残っていて、ルパンたちに復讐を企む」というものであり、敵キャラクターとして、マモーだけでなく、『ルパン三世 カリオストロの城』以降の劇場映画作品のキャラクターもクローンとして登場する予定であった。しかし製作が思うように進まず、ゲーム化の製作権が現在のトムス・エンタテインメントの親会社であるセガホールディングス(2015年3月まではセガ)へ移ったため没案となっている。
地上波テレビ放送履歴
映像ソフト
MX4D版2017年、本作をMX4D化した『ルパン三世 ルパンVS複製人間 MX4D版』が9月1日から9月15日[注釈 21]の期間限定で劇場公開された[61]。 「ルパン三世」誕生50周年記念企画の一環であり、シリーズとしては同年1月に公開された『カリオストロの城』に次ぐMX4Dとなった[61]。 MX4D化に際しては、監督の吉川惣司自らが監修した。同時に、映像自体も4Kリマスターが行われ、当時の細かい作画ミスなどが違和感がない範囲で修正されたほか、音声もオリジナルのモノラルから5.1chデジタルサウンドに変換されている[61][47]。ただし、一般向け上映にするため、次元のセリフが一か所だけ[注釈 22]カットされた[47]。 入場者特典として、ルパンとマモーが描かれた特製オリジナルステッカーが配布された[6]。 関連商品
脚注注釈
出典
参考文献
外部リンク |
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