番組名 |
放送時期 |
保存なしの回 |
主な提供者・備考
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藍より青く |
1972年 - 1973年 |
第2話以降 (最終話は一部現存[30]) |
NHKでは全話分の映像が現存していなかったが、出演者の大和田伸也より第1話の映像が提供されたほか、主題歌歌唱者の本田路津子から提供されたビデオテープにも最終回の映像の一部が見つかった[30]。
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赤ひげ |
1972年 - 1973年 |
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プロジェクト発足前の時点では、日本国外での受賞歴があった第19話「ひとり」のみ現存していたが、その後出演者の仁科亜季子から第1回を含む1/2オープンリール2本分が提供された[31]ほか、一般視聴者から5話分のオープンリールをダビングしたDVDが提供された[32]。 以降も瑳川哲朗(第36回のカラー映像を記録したUマチックテープ)[33]を含む複数人から映像の提供があった[34][35]。
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暁はただ銀色 |
1973年 |
全6話[36] |
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赤穂浪士 |
1964年 |
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2014年7月時点ではNHK側に1回分の映像しか現存していなかった[37]。
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明日への追跡 |
1976年 |
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2014年11月時点で全12回のうち、第1回、第9回、最終回が現存(一般視聴者から提供)[36]
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あすをつげる鐘 |
1961年-1963年 |
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脚本担当者の横田弘行の家族より、「一休さん」(1962年)の映像が提供された[38]
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あひるの学校 |
1968年 - 1969年 |
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あほんだれ一代 |
1971年 |
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『男は度胸』の最終回のビデオの消え残り[注釈 3]から発見された[39]。
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あまくちからくち |
1971年 - 1972年 |
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歩く〜ある行商人 |
1960年 |
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演出家の和田勉の家族からフィルムが提供された[40][41]。
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遺族 |
1961年 |
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NHKアーカイブスのデータベースには未登録だったが、2013年にアーカイブスの保管庫から16ミリフィルムが発見された[42]。
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いちばん星 |
1977年 |
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出演者である柳生博から映像が提供された[43]。
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宇宙人ピピ |
1965年-1966年 |
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共同制作者のひとりである小松左京の公式ウェブサイト(2014年時点)によると、全52話中第37話と38話のみ現存という[44]。
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海をわたって |
1979年 |
- |
出演者のひとりである風間杜夫から2度にわたりビデオテープが提供された(ただし、第7話は末尾4分が欠落)[45]
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悦ちゃん |
1974年 |
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NHKには全12話の映像が残っていなかったが、出演者の服部真由美より第7話から最終回の映像が提供されたほか、第1話から第6話のビデオの所在が判明した[46]。
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おていちゃん |
1978年 |
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当初は第1回と第156回(最終回)のみ現存していた[47]が、2015年春の時点では全156回中10回分がNHKアーカイブスにおさめられた[48]。 さらにその後、一般視聴者からの提供を含む複数の回が見つかった[47]
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男は度胸 |
1970年 - 1971年 |
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浜畑賢吉(第1回のモノクロ映像[49]および第35回の台本[50])、番組プロデューサー(最終回、カラー)[51]
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おはようさん |
1975年 - 1976年 |
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2015年春の時点で、全150回中NHKには4本のみが現存していた[48]
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開化探偵帳 |
1968年 - 1969年 |
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快傑黒頭巾 |
1976年 |
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番組出演者である水野哲からテープが提供された[52]。
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花神 |
1977年 |
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2013年には早稲田大学演劇博物館から第24回と第39回のUマチックテープが寄贈された[注釈 4][53] また、2015年には小千谷市役所の職員が録画した映像[注釈 5]が見つかった[54] 以降も2021年9月の個人寄贈分から総集編が見つかった[6]ほか、2022年には料理研究家・楊萬里の出演回の映像が親族から提供された[55]。また、2023年には一般視聴者から最終回[注釈 6]を録画したビデオが見つかった。
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家族日記 |
1979年 |
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出演者のひとりである河原崎建三から第6~9話のビデオテープが提供された[56]
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勝海舟 |
1974年 |
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プロジェクト開始時点では3話分しか現存していなかったが、出演者のひとりである藤岡弘、から自身が出演した4話分のテープが寄贈された[57][58] また、埼玉県吉見町教育委員会の施設からも第6話と第7話のオープンリールテープが見つかった[59]。
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風見鶏 |
1977年 - 1978年 |
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2015年春の時点で、第153回の所在が不明となっていた[48]が、のちに主演を務めた新井晴みによって第153回、そして最終回(冒頭欠落あり)が提供された[60]。
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草燃える |
1979年 |
- |
2007年に番組関係者から12話分のテープがNHKに提供されたほか、出演者の家族からも2話分が寄贈され、2009年に「時代劇専門チャンネル」で再放送が行われた[61]。再放送後も一般視聴者や番組関係者から映像が寄せられ、全51話分が揃った[61]。NHKではラジオ番組の募集をFM放送40周年時に実施したことはあるが、テレビ番組映像の提供を呼びかけたのはこれが初めてである。
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国盗り物語 |
1973年 |
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2014年7月時点ではNHK側にまったく映像が残っていなかった[37]。 2015年10月、俳優の杉良太郎から、全51話の内、第37回[注 6]と第38回[注 7]の2回分が寄贈された[62]。
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黄色い涙 |
1974年 [63] |
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北の家族 |
1973年 - 1974年 |
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霧の視界 |
1975年 |
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出演者の石田信之によって全20回が寄贈された[注 8][64]。
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銀座わが町 |
1973年 - 1974年 |
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第1話の映像が番組関係者から提供された[65]。
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鞍馬天狗 |
1969年 - 1970年[66] |
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出演者のひとりである瑳川哲朗により、「江戸騒がせ」、その一~その三までの3回分の1/2オープンリールテープが提供された[66]。
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ケンチとすみれ |
1967年 - 1968年 |
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元禄太平記 |
1975年 |
11話分 (2019年12月時点)[68] |
2019年12月、出演者のひとりである三善英史の自宅から41話分のUマチックテープが見つかった[68]ほか、出演者の岡田茉莉子からも映像の一部が提供されている[69]。
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こども劇場 宵まつり |
1963年[70] |
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演出担当者の辰巳嘉則からキネコフィルムが提供された[70]
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この光は消えず からくり儀右衛門 |
1960年[70] |
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脚本担当者の横田弘行の家族から映像が提供された[70]
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幸福駅周辺 |
1978年 |
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脚本家の山田太一の提供により、全10話分の映像データがそろった[71]。
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歳月 |
1971年 |
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出演者の山本陽子から、フィルムをダビングしたVHSテープが提供された[72]。
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三姉妹 |
1967年 |
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2014年7月時点ではNHK側に1回分の映像しか現存していなかった[37]。
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三四郎 |
1961年 |
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番組関係者の親族から映像が提供された[54]。
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巣立つ日まで |
1976年 |
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プロジェクト開始時点では台本および資料写真のみの現存だったが、2016年7月に一般視聴者から第14話から最終回までを録画したテープが提供された[73]。
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太閤記 |
1965年 |
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2014年7月時点ではNHK側に1回分の映像しか現存していなかった[37]。プロジェクト発足後、番組関係者から撮影現場を収録したフィルムが提供された[74]。
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白い峠 |
1977年 |
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出演者のひとりである佐山泰三から全20話分のビデオテープが提供された[75]。
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蜃気楼博士 |
1978年 |
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出演者の吉川淨によって全12回が寄贈された[7]
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真実の物語 |
1963年 |
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演出家の和田勉の家族からフィルムが提供された[40]
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新・平家物語 |
1972年 |
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2016年4月の時点で第46話と最終回(視聴者提供)のみ現存[50]
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赤外音楽 |
1975年 |
全6話[36] |
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ぜんまい仕掛けの柱時計 |
1972年 |
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続タイム・トラベラー |
1972年 |
全5話[36] |
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その町を消せ! |
1976年 |
第2回 (2014年11月時点)[36] |
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その人は今… |
1976年 - 1977年 |
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タイム・トラベラー |
1972年 |
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一般視聴者から最終回を録画したテープが寄贈された[注釈 7]
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中学生日記 |
1972年 - 2012年 |
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天下御免 |
1971年 - 1972年 |
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山口崇(第1回と最終回)[50]
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天下堂々 |
1973年 - 1974年 |
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プロジェクト発足前の時点では短い映像が2種類現存しているのみだったが、2014年に第36回をすべて記録したオープンリールが見つかった[77]。 また、俳優の村野武範からも第22話と第30話のオープンリールをダビングしたVHSテープが寄贈された[78]
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天と地と |
1969年 |
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2014年7月時点ではNHK側に1回分の映像しか現存していなかった[37]。
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年の始めの |
1979年1月5日[79] |
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脚本を担当した倉本聰より映像が提供された[79]。
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夏草の輝き |
1977年 |
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鳴門秘帖 |
1977年 - 1978年 |
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プロジェクト発足時点では第1話と最終回のみが現存していたが、13回分がアーカイブに登録された[80]ほか、一般視聴者からも映像が提供された[81]。そして、2020年には別の視聴者から全話分のテープが寄贈された[注釈 8][9]。
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虹 |
1970年 - 1971年 |
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楡家の人びと |
1972年 |
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白鳥の歌なんか聞こえない |
1972年 |
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走れ玩具 |
1969年 |
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出演者のひとりである村野武範からオープンリール[注釈 9]が提供された[78]
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鳩子の海 |
1974年 - 1975年 |
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主人公の母・時子役で出演していた小林千登勢の夫・山本耕一から第311回の映像が提供された[82]
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花の生涯 |
1963年[83] |
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2017年ごろ、出演者の久米明より編集前のフィルム映像が提供された[84]。
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早筆右三郎 |
1978年 |
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出演者のひとりである森田順平より、第15話[注釈 10]を録画したビデオテープが提供されたほか、別の番組関係者からも第23話の映像が提供された[85]
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春の坂道 |
1971年 |
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2016年4月時点で、NHKには最終回の映像のみ現存[50]。
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火の国に |
1976年 - 1977年 |
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2015年春の時点で、全154回中NHKには8本のみが現存していた[48]
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火の路 |
1976年 |
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NHKには第1話のみが現存していたが、2021年に演出担当者の清水満から最終回の映像が提供された[86]
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ふりむくな鶴吉 |
1974年 - 1975年 |
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一般視聴者[87]からの提供に加え、楽曲を手掛けた樋口康雄から8話分のビデオテープが提供された[88]ほか、ゲスト出演者の山本耕一からも最終回の映像が提供された[82]。また、ゲスト出演者である石田信之が所有していたUマチックテープの消え残りからも第3話の終盤の映像が見つかった[64][注釈 11]。
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文五捕物絵図 |
1967年 - 1968年 |
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NHK内部からキネコ映像が見つかった[87]。
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まぼろしのペンフレンド |
1974年 |
全9話[36] |
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繭子ひとり |
1971年 - 1972年 |
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2015年11月、出演者のひとりである杉良太郎から第125回 (1971年8月27日放送/終盤8分弱)のテープが提供された[89]。また、『男は度胸』の最終回のビデオの消え残り[注釈 3]からも発見された[39]。
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水色の時 |
1975年 |
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2015年春の時点で、全156回中、NHKには11本のみが現存していた[48]。 のちに一般視聴者から映像が提供された[54]。
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源義経 |
1966年 |
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2014年7月時点ではNHK側に3回分の映像しか現存していなかった[37]。
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樅ノ木は残った |
1970年 |
第29回[注 12] |
2011年春、宮城県柴田町の郷土資料館から、全52回のうち、第29話を除く51回分がモノクロ映像で提供された[注釈 12]。
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夜の仲間 |
1959年 |
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演出家・和田勉の親族から映像が提供された[54]。
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約束 |
1961年 |
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演出家の和田勉の家族からフィルムが提供された[40]
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夕ばえ作戦 |
1974年 |
全6話[36] |
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竜馬がゆく |
1968年 |
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2014年7月時点ではNHK側に1回分の映像しか現存していなかった[37]。
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若い季節 |
1961年 - 1964年 |
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生放送という性質上、宣材写真や新番組紹介のキネコ映像のみが現存していた[90]。2021年ごろ、脚本を手掛けた小野田勇の家族から、全183話中163話および放送回不明の10話分の脚本が提供された[90]。
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わが町の歌 |
1961年 |
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エピソードのうち、「埋立地」のフィルムが、演出を担当した和田勉の家族から提供された[40]
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わたしは海 |
1978年 - 1979年 |
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悪い奴 |
1961年 |
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演出家の和田勉の家族からフィルムが提供された[40]
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ワンダーくんの初夢宇宙旅行 |
1969年 |
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アニメと実写を合成した手塚治虫の実験作品である。当初は映像フィルムのみが見つかったため、2015年に「特別編」を制作するにあたっては、ワンダーくんの声を担当した声優の三輪勝恵らによる新録音声が用いられ、特集番組『金曜eye「幻の名作 発掘大作戦!〜あなたの“見たい”がよみがえる」』(以下:『幻の名作 発掘大作戦!』)の中で放送された[91][92]。『幻の名作 発掘大作戦!』放送後の2016年、特別版の制作にかかわっていた杉山卓の自宅から音声が含まれた「完全版」が見つかった[93]。[注釈 13]
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