ドミトリー・ソロビエフ
ドミトリー・ヴラジーミロヴィチ・ソロビエフ(ロシア語: Дмитрий Владимирович Соловьёв、ロシア語ラテン翻字: Dmitri Vladimirovich Soloviev、1989年7月18日 - )は、ロシア、モスクワ出身の男子フィギュアスケート選手(アイスダンス)。姓の読みはロシア語で「ソロヴィヨーフ」に近い(母音の弱化を考慮する場合は「サラヴィヨーフ」)。 2014年ソチオリンピック団体戦金メダリスト。2010年バンクーバーオリンピックアイスダンスロシア代表。2013年世界選手権3位。2013年欧州選手権優勝。パートナーはエカテリーナ・ボブロワ。 経歴ロシアのモスクワに生まれた。2000年よりエカテリーナ・ボブロワとカップルを結成。2005-2006シーズンよりジュニアグランプリシリーズに参戦を果たした。 2006-2007シーズン、ジュニアグランプリシリーズの2大会で連続優勝を飾り、2度目の進出となったジュニアグランプリファイナルでは3位となったものの、世界ジュニア選手権では初出場ながら優勝を果たした。 2007-2008シーズンよりシニアに移行し、ISUグランプリシリーズ初戦のスケートカナダでは5位、地元ロシアで開催された次戦のロシア杯では4位となりメダル獲得はならなかった。ロシア選手権では初表彰台の3位。初出場となった世界選手権では13位。 2010年にはバンクーバーオリンピックに出場。世界選手権では総合8位。 2010-2011シーズン、中国杯で、シニアのグランプリシリーズで初めてのメダルを獲得。続くロステレコム杯では優勝を果たした。ロシア選手権でも初の優勝を果たし、2度目の欧州選手権では銀メダルを獲得した。世界選手権では前年より順位を上げ、6位に入った。 2011-2012シーズン、中国杯で優勝。続くロステレコム杯では3位に入り、2年連続でグランプリファイナルに出場を果たしたが、昨年より順位を下げ6位に終わった。ロシア選手権では2連覇を果たした。3度目の欧州選手権ではSDで首位に立ったが、FDでは順位を下げ2年連続の銀メダルを獲得。世界選手権ではSDでボブロワが転倒し9位と出遅れたが、FDはミスなく滑りきり、総合7位。4月にコーチをアレクサンドル・ズーリンに変更した[1]。 2012-2013シーズン、グランプリシリーズでは2戦連続で3位。ソチで行われたグランプリファイナルではFDの終盤で転倒し5位。欧州選手権は初優勝、世界選手権では3位に入り、4年ぶりにロシアからのメダリストとなった。 2013-2014シーズン、グランプリシリーズではロステレコム杯で優勝。グランプリファイナルではSDで3位となるも、FDでボブソロの靴に躓き転倒し4位でメダルを逃した。ロシア選手権は4連覇。欧州選手権はオリンピックの準備のために欠場した。ソチオリンピックの団体戦ではSDに出場し金メダルを獲得。世界選手権は公式練習中に鼠蹊部を負傷したために出場前に棄権した[2]。 2014-2015シーズン、半月板の手術の影響でグランプリシリーズは欠場[3][4]。11月中旬にはスケート靴の入ったバッグを車中から盗難されるトラブルに見舞われたが、12月の初旬には本人の元へ返却された[5]。ロシア選手権は怪我からの回復が完全ではないために欠場を発表した[6]。2月にはシーズン全ての試合を欠場することを発表した[7]。 2015-2016シーズン、復帰戦のスケートカナダでは銅メダルを獲得。NHK杯では銀メダルを獲得し、グランプリファイナルに進出。ファイナルでは5位だった。ロシア選手権では最多5度目の優勝を果たした。3月7日、欧州選手権のドーピング検査により、ボブロワから禁止薬物のメルドニウムが検出された[8]。3月8日、ISUより出場停止処分を受け [9]、出場を予定していた世界選手権を欠場する。 2016-2017シーズン、ロステレコム杯で優勝。グランプリファイナルでは4位。ロシア選手権では最多優勝記録を6に伸ばした。欧州選手権では2年連続で3位。4年ぶりの出場となった世界選手権では5位。 2017-2018シーズン、ロシア選手権で3年連続最多7度目の優勝を果たした。欧州選手権では前年より順位を上げ銀メダルを獲得した。平昌オリンピックの団体戦では銀メダルを獲得し、個人戦では2大会連続で5位だった。 2019年7月8日、パートナーの引退発表により、ボブロワとの競技生活は終わりを迎えた[10]。 私生活2010年には妻であるエカテリーナ・ボブノワとの間に、第一子となる男児が誕生した。2012年に離婚。[11] 主な戦績
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脚注
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