ピエトロ・フィッティパルディ・ダ・クルス(Pietro Fittipaldi da Cruz, 1996年6月25日 - )は、アメリカ合衆国・フロリダ州マイアミ出身ブラジル国籍のレーシングドライバー。
経歴
祖父は、F1で2度のドライバーズタイトルを獲得したエマーソン・フィッティパルディ。5歳年下の弟、エンツォ・フィッティパルディもレーシングドライバーである。
フィッティパルディは、2011年に参戦した「NASCAR ウィレン・オール=アメリカン・シリーズ」においてトラックチャンピオンを獲得する。2013年からはオープン=ホイールカーへ挑戦し、アメリカを離れヨーロッパへ渡る。2014年には、「プロタイヤ・フォーミュラ・ルノー・チャンピオンシップ」で年間タイトルに輝く[1]。
2014年10月、フェラーリ・ドライバー・アカデミーへ招待される[2]。
2018年1月、「ベライゾン・インディカー・シリーズ」へ参戦するデイル・コイン・レーシングの19号車のドライバーとしてスポット参戦することが発表される[3][3]。
同年5月に開催された「世界耐久選手権」の開幕戦スパ・フランコルシャン6時間レースへ出場。予選セッション中、オー・ルージュへのアプローチ中にマシンバランスを崩し、高速でタイヤバリアへ衝突した[4]。この影響でフィッティパルディは両足を骨折。中でも左足が複雑骨折となる重傷を負った[5]。その後すぐに病院へと搬送されICUで緊急手術を受ける[5]。手術は成功し、7月末に開催されたインディカー第13戦ミッドオハイオで実戦復帰を果たした[6]。
2018年11月、F1のハースはフィッティパルディをテストドライバーとして起用したことを発表する[7]。2019年シーズンからはリザーブドライバーも兼務する[7]。
2020年11月30日、F1第15戦バーレーンGPで大クラッシュと火災に見舞われ軽症を負ったロマン・グロージャンに代わり、第16戦サヒールGPより代役で出走[8]。最終戦アブダビGPまで2つのグランプリを17位と19位で完走し、F1デビューを果たした。
2021年ストックカー・ブラジルにシーズン途中から参戦。トヨタ・ガズー・レーシング・ブラジルのトヨタ・カローラをドライブする[9]。
2023年も引き続きハースF1のリザーブドライバーとして帯同。同年10月、2024年はインディカーでホンダエンジンを使用するレイホール・レターマン・ラニガン・レーシング(RLL)の30号車のレギュラードライバーとして契約したことが発表された[10]。インディ500では、同チームよりスポット参戦する佐藤琢磨のチームメイトとなる[11]。
2024年1月27日 - 28日にかけて開催されるIMSAデイトナ24時間レースにオレカ・07で出場するインター・ユーロポル・バイ・PR1/マティアセン・モータースポーツのクレメント・ノバラクが最終プラクティスで負傷したため、急遽代役の依頼を受けオファーを承諾。これはフィッティパルディが前年の同レースでオレカ・07をドライブした経験が買われたものだったが[12]、事前準備がまったくない中で52号車を12位で完走させる一助となった[13]。
レース戦績
略歴
- † : ナショナル・チャンピオンシップではなく、ヒッコリー・モーター・スポードウェイ(英語版)におけるトラックチャンピオンを獲得する。
- †† ‡ : ゲストドライバーとしての出走であるため、ポイントは加算されない。
- * : 今シーズンの順位。(現時点)
シングル・シーター・レーシング
プロタイヤ・フォーミュラ・ルノー・チャンピオンシップ
FIA フォーミュラ3・ヨーロピアン選手権
フォーミュラ・V8 3.5 シリーズ/ワールド・シリーズ・フォーミュラV8 3.5
インディカー・シリーズ
インディ500
スーパーフォーミュラ
F3アジア選手権
フォーミュラ1
スポーツカー・レーシング
ル・マン24時間レース
FIA 世界耐久選手権
ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ
ドイツ・ツーリングカー選手権
出典
外部リンク
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