2024年モナコグランプリ
2024年モナコグランプリ(英: 2024 Monaco Grand Prix、正式名称: Formula 1 Grand Prix De Monaco 2024[1])は、2024年のF1世界選手権第8戦として、2024年5月26日にモンテカルロ市街地コースで開催された。 背景※( )内は検知ポイント
エントリー前戦エミリア・ロマーニャGPから変更なし。 エントリーリスト
フリー走行
各セッションの順位
予選2024年5月25日 16:00 CEST(UTC+2) (特記のない出典: [12])
母国グランプリを迎えるシャルル・ルクレールがモナコGPでは3度目となるポールポジションを獲得した。以下オスカー・ピアストリ、カルロス・サインツ、ランド・ノリスが2-4番手に続き、フェラーリ勢とマクラーレン勢が交互に並ぶ。 一方、開幕から7戦連続(通算では8戦連続)でポールポジションを獲得していたマックス・フェルスタッペンは最後のアタックで失敗し6番手に沈み、アイルトン・セナを上回る9戦連続ポールポジションの新記録を逃した[13][注 3]。フェルスタッペンはこの週末「ポーポイジングがひどく、頭が痛くなる」とマシンの不安定さを何度も訴え、フェラーリ勢とマクラーレン勢が差を詰めてきたこともあり、マシンの「低速でバンピーなコースに弱い」という弱点を2023年シンガポールGP以来再び露呈させた[15][16]。 角田裕毅、アレクサンダー・アルボン、ピエール・ガスリーがQ3進出を果たした一方、フェルナンド・アロンソやセルジオ・ペレスといったモナコGP優勝経験者がQ1で敗退する波乱があった。 そのQ1ではガードレールに貼られた広告バナーが剥がれ落ちる場面が何度も見られた。ペレスはこれを避けようとしてタイムロスし、トラフィックも重なりQ1で敗退。ノリスもマシンに絡みついてあわやQ1敗退の事態となり、他の数名のドライバーも剥がれたバナーに苦しめられた。Q2以降は剥がれかけていたバナーが除去され、その後の決勝で再掲示されることは無かった[17][18][19]。 ハース勢は本GPからアップデートされたリアウィングの最上部(DRS)の両端の寸法がレギュレーションの最大値を超えていたことがレース後の検査で判明し、失格処分が下された。なお、パルクフェルメ下でも調整が可能な部分でありピットレーンスタートの対象にならないため、2台とも決勝は最後尾グリッドからスタートする[20][21]。 予選結果
決勝2024年5月26日 15:00 CEST(UTC+2) (特記のない出典: [29])
シャルル・ルクレールがポール・トゥ・ウィンで初めて母国グランプリを制した。モナコ人ドライバーのモナコGP優勝は1931年のルイ・シロン以来2人目で、1950年から始まったF1ではルクレールが初となる[30]。モナコ人による母国グランプリ表彰台も1950年のシロン以来74年ぶりである。表彰式ではモナコ公のアルベール2世もシャンパンファイトを行った[30]。 スタート直後、ターン2(ボー・リバージュ)にアプローチしようと右に寄せたペレスと、ペレスの右に飛び込んだケビン・マグヌッセンが接触してスピンし、近くを走行していたニコ・ヒュルケンベルグのマシンを巻き込んだ。3台のマシンはウォールに叩きつけられるなどして大破しコースを塞ぐ形でストップしたため、レースは約40分間赤旗中断となった。マグヌッセンは既にペナルティポイントが10点となっており、1戦出場停止まであと2点に迫っていたが、この件についてはお咎めなしとなっている[31]。 このアクシデントとは別に、ターン1(サント・デボーテ)でカルロス・サインツがオスカー・ピアストリと接触し、サインツは左フロントタイヤがパンクしたことによりターン4(カジノ・スクエア)を曲がりきれず、エスケープゾーンに飛び出して順位を大きく落としてしまったが、この赤旗により3番手に戻って再スタートすることができた[32][注 4] 。また、ターン8(ポルティエ)でエステバン・オコンがチームメイトのピエール・ガスリーに接触してしまう。オコンのマシンは宙を舞い、着地した際にギアボックスにダメージを負ってリタイアとなった[34]。オコンはこの接触の責任を問われ10秒ペナルティを受けたが、リタイア後の裁定だったため次戦カナダGPで5グリッド降格となる[34]。 中断中にローガン・サージェントを除く全てのドライバーがタイヤ交換義務を完了させたことにより、再開後はさらなるピットインを避けるため各車タイヤマネジメントに徹した。その後は中断やセーフティカー(VSC含む)の導入は一度もなく、結果的にハードタイヤでレースをスタートしたメルセデス勢とマックス・フェルスタッペンの3台は早々と勝機を失うことになった。 入賞した10台はグリッド順位と変わらず、角田裕毅は8位で今季7度目の入賞を果たし、2008年の中嶋一貴、2011年の小林可夢偉以来3人目の日本人ドライバーのモナコGP入賞となった[30]。 レース結果
第8戦終了時点のランキング
脚注注釈
出典
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