プロジェクト:東ローマ帝国史の用語表記ウィキプロジェクト 東ローマ帝国史の用語表記について経緯このプロジェクトはビザンツ帝国と一般に呼び慣わされている東ローマ帝国の歴史記述に使用される用語の表記問題をめぐってノート:東ローマ帝国およびノート:ヨハネス6世カンタクゼノスなどで議論された内容を踏まえて、記事執筆者に便宜を図るとともに、読者が利用しやすいように用語に一定の調和性をもたせるために提案されたものです。 東ローマ帝国史の用語表記問題の背景東ローマ帝国史における用語表記については、2006年3月現在、学界で統一された用語表記法があるわけではなく、関連書籍においては著作者の意向によって選択された用語が使用されている状態です。そのため、それらを参考に記事として著した場合、記事相互での用語表記の不統一がおきたり、また表記に関する学派間の論争が記事の編集合戦などを招くことが危惧されました。「ウィキプロジェクト 東ローマ帝国史の用語表記」は以上のことをふまえ、学界の立場とは無関係に、ウィキペディア内の東ローマ帝国史の用語表記について提案するものです。 プロジェクト名ウィキプロジェクト 東ローマ帝国史の用語表記 関連プロジェクトウィキプロジェクトには2006年3月現在歴史学に関係するものとして、プロジェクト:歴史およびプロジェクト:軍事史がありますが、本プロジェクトは東ローマ帝国史における特殊具体的な問題を扱ったものであり、上記のプロジェクトとの関連性は2006年3月現在はありません。 上位プロジェクト上位プロジェクトは今のところありません。 下位プロジェクト下位プロジェクトは今のところありません。 類似のウィキプロジェクト類似のウィキプロジェクトは今のところありません。 参加者
提案内容東ローマ帝国史の記事における用語表記について以下のことを提案し、推奨するものとします。なお、議論についてはこのページのノートを参照してください。
なお2.において尚樹啓太郎の『ビザンツ帝国史』索引の表記が推奨されていますが、これはこの索引が比較的多くの語彙を収録しているという利便性を重視して採用したものです。ウィキペディア内の記事が尚樹の中世ギリシャ語表記に何らかの正当性を与えているわけではなく、あくまで学界の動向とは無関係です。本プロジェクトに至るまでの議論においても尚樹の中世ギリシャ語表記が必ずしも中世ギリシャ語を正確にいいあらわしたものではないことは合意されています。より適切な中世ギリシャ語表記が考えられる場合は、個別の記事ごとのノートで合意形成し、より正しい表記がなされることは基本的に歓迎です。ただし、編集合戦に至るような場合は合意形成を優先し、プロジェクトの推奨する表記に戻して議論されることを推奨します。 一般的な戦略と議論の場本プロジェクトの議論についてプロジェクト内容に関する議論は当記事のノートにお願いいたします。 本プロジェクトを認知してもらうためにもし本プロジェクトの主旨と異なるような東ローマ帝国史の記事を見つけた場合、まずは本プロジェクトの存在について注意を喚起してください。本プロジェクトは強制的なものではありませんから、その際規制を意図するような言動は控えるようにお願いいたします。できれば記事の執筆者にも本プロジェクトの意義と役割について理解してもらって、本プロジェクトに参加してもらい、プロジェクトが不十分なものであった場合はその議論に参加してもらいましょう。 ただし、あくまで執筆者と読者が第一。議論が白熱して編集合戦がおき、保護記事ばかりになってしまっては本プロジェクトの意味がありません!議論が収拾がつかなくなりそうなときは、プロジェクトの原点に戻って合意形成を第一にしましょう。 本プロジェクトの推奨する用語対照表一般的な用語についてはこちらの対照表を参考にしてください。 簡単な例を作ってみました。ざっとなのでhtmlのタグ仕様になってますが。 --コンスタンティノープルからの使者 2008年3月19日 (水) 16:00 (UTC) 人名
都市名
地域名官職・爵位ユーザーボックス
{{User WikiProject Terms on Eastern Roman Empire}} プロジェクト参加者用ユーザーボックスです。宜しければお使い下さい。 関連項目 |
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