宝塚歌劇舞台中継 (関西テレビ)
宝塚歌劇舞台中継(たからづかかげきぶたいちゅうけい)は、1971年4月2日から1995年1月28日まで関西テレビで放送された、宝塚歌劇団の舞台中継を行っていた番組シリーズの総称である。阪急電鉄・阪急百貨店(のちに阪急東宝グループ→阪急阪神東宝グループに変更)の提供。1979年1月6日放送回[1]よりステレオ放送。[2] 概要阪急系列の関西テレビ(フジテレビ系列)との結びつきが強い事から放送された番組であり、多くの作品を放送した。前期には『ザ・タカラヅカ』と題されたバラエティ色の強い舞台中継を放送、中期には宝塚バウホールで収録したミュージカルドラマ『宝塚テレビロマン』・「はいからさんが通る」など三作品を放送、後期には『OH!タカラヅカ』として各作品を放送し、さらには毎月最終土曜日放送の『タカラヅカ花の指定席』では注目の話題作を放送した。 「タカラヅカ花の指定席」での提供読みは「この番組は、阪急電車と楽しさあふれるお買物、阪急百貨店がお送りします(した)」。それ以前には提供読みが無く、「提供 阪急電車 阪急百貨店」の表示に歌の無い阪急のテーマソングが流れていた。 本記事では便宜上、「ザ・タカラヅカ」、「宝塚テレビロマン」、「OH!タカラヅカ」、「タカラヅカ花の指定席」と表記する。 関西のみならず、各地の局に番組販売されていた。ただし阪急東宝グループの営業エリアの関係上スポンサードでないことが多かった(スポンサードネットは一時期のフジテレビ・テレビ新広島など若干例のみ。テレビ新広島の場合、基本的に広島に営業拠点のある阪急交通社の提供であったが、阪急東宝グループの連名CMや宝塚ファミリーランドのCMが放映されたこともあった)。 シリーズの変遷ザ・タカラヅカ『ザ・タカラヅカ』(The Takarazuka)は、1971年4月2日から1979年3月31日まで毎週放送された宝塚歌劇団の舞台中継。 舞台中継であるもののバラエティ色が強く、オープニングでのレビュー風のオープニングが印象深かった。1977年10月に土曜日18時前半枠へ移動をした。収録は週により宝塚大劇場と宝塚バウホールを使い分けた(後述のテレビロマンシリーズも同文)。 宝塚テレビロマン『宝塚テレビロマン』(たからづかテレビロマン)は、1979年4月7日~1980年8月30日毎週土曜日に放送された宝塚歌劇団の連続ミュージカル番組。長い宝塚歌劇史でテレビ用の作品はまれである。肖像権および権利上の関係から再放送・DVDソフト化がされていない。ナビゲーターはキャッシーが務めた。 一作目『はいからさんが通る』は、大和和紀による同題名漫画を原作とする。演出・脚本は植田紳爾。なお同作品は2017年に梅田芸術劇場・シアタードラマシティと日本青年館、2020年には宝塚大劇場で舞台公演としてリメークされ上演された。
二作目『ラブパック』は、「源氏物語」をモチーフにした、大和和紀による漫画を原作とする。演出・脚本は植田紳爾。 キャスト 三作目『三銃士』は、アレクサンドル・デュマ・ペールによる小説を原作とする。演出・脚本は菅沼潤。 キャスト
特別出演 OH!タカラヅカ『OH!タカラヅカ』(オーたからづか)は、1980年9月6日から1984年3月31日まで毎週放送された宝塚歌劇団の舞台中継。 話題の各作品を放送、また、10年に1回開催される「宝塚歌劇団大運動会」の模様も放送された。作品の内容次第や宝塚歌劇団大運動会では2週間にわたって放送されることもあった。 前期には案内役として、劇団員が週替わりでオープニングとエンディングで登場。後期にはナレーションとして出野徹之(当時関西テレビアナウンサー)が務め、大運動会の時は顔出しで実況を担当した。 タカラヅカ花の指定席『タカラヅカ花の指定席』(タカラヅカはなのしていせき)は、1984年4月28日から1995年1月28日まで毎月最終土曜日に放送された宝塚歌劇団の舞台中継。 放送回数が月1回になった反面、放送時間が80分に拡大し、より作品が楽しめるようになった。エンディングでは、宝塚歌劇団のインフォメーション等が放送された。通常は16時からの放送だが、阪急ブレーブス(後のオリックス・バファローズ)主催試合『パ・リーグ・アワー』を16時から生中継する時は14時30分から放送した。 突然のシリーズ終了とその後1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生。宝塚歌劇団も被災し、公演中止を余儀なくされる。このため11日後の1995年1月28日に足掛け24年弱に及ぶ舞台中継の放送を打ち切った。その後1999年夏の7月から8月には関西テレビ限定で『タカラヅカ花組図鑑』というミニ番組が放送されたが、舞台中継は放送されていない。 脚注関連項目
|
Portal di Ensiklopedia Dunia