敦賀気比高等学校・付属中学校
敦賀気比高等学校・付属中学校(つるがけひこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう、英: Tsuruga Kehi Senior & Junior High School)は、福井県敦賀市沓見にある私立高等学校・中学校(併設型中高一貫校)。 設置学科公立校との併願を認めておらず特進コースも含めてすべて専願のみとなっている[1]。
付属中学校私立中校一貫校として福井県で最初に設立された私立の中高一貫校。中池見での水質調査や米作りなどを中心とした総合学習を積極的に行うと共に、2024年度からは、オンライン英会話の授業を取り入れ、英会話学習、英語学習にも力を入れている。将来を見据えた国際人としての資質を養うための学習と、英数国3教科を中心とした少人数教育を活かした教科指導を充実させることで、近年特に東京大学、名古屋大学、国公立大医学科などへ現役で進学者を輩出している。教育形態は周辺の一般中学校と違い、国語・数学・英語等の主要教科の時間数を増やしており、自然と学習進度が速くなるので、中高一貫校の例に漏れず、教科によっては高校の教科書を使用した授業が積極的に行われている。オンライン英会話の授業では、タブレットを通して、直接、マンツーマンで英会話学習ができるため、都会の中高一貫校と同様に生徒が興味を持って取り組める授業が受けられる。 校風は、進学生徒を育成するという目的上、校則、授業形式が公立校より厳しいと思われがちだが、公立校とほぼ変わりはない。 部活動は、高校と合同で行うバドミントン部、吹奏楽部、ダンス・チア部、茶華道部、かるた同好会などがある。かるた同好会では福井県中高生のトップレベルの中学生もおり、全国大会でも個人などで優秀な成績を収めている。 進路は、ほぼ全員敦賀気比高校の特進コースに進学するが、本人の希望で若干名、進学コースに進む生徒もいる。それら付属中学校出身者の約半数が国公立大学へ現役で進学している。 高等学校高等学校は1986年創立。2024年度現在、特別進学コースと進学コースの2コース制。 特別進学コースは、「少人数教育による個別指導の充実」・「オンライン英会話の授業を取り入れたENGLISHプログラムによる英会話力、英語力の養成」・「文武両道を掲げた勉学と部活動の充実による教育」と、「英語教育」「英才教育」「人間教育」の3本を柱とした教育が行われている。2024年度の卒業生は、東京大学理Ⅱ、京都大学農、大阪大学外国語、名古屋大学法、教育という超難関大学への現役合格者を特進コースわずか50名程度の中から輩出している。創立以来36年間で、東京大学に13人、京都大学に12人、大阪大学に16人、国公立大医学科に24人の進学者を輩出しており、近隣の教育者、医師等からも高い評価を得ているコースである。 進学コースは4つの専攻を置いている。一般専攻では文武両道を謳い、5教科中心のカリキュラムを採用。探究専攻では特進コース同様にオンライン英会話の授業で学べる。中国語専攻では中国語の基礎、会話の基礎を学習し、各種コンテスト等でも優秀な成績を収めている。県内で普通科でありながら、中国語が学べ、立命館大学等の難関大学からの指定校依頼が複数ある専攻である。技能開発専攻はWord、Excelの学習等就職に役立つ学習を積極的に学習する。 また、勉学に強い意欲を持ち、成績優秀な生徒は進学選抜クラスに所属し、特進コースに準じた学習ができる。 校訓・建学の精神校訓時習(自学・創造)・自律(立志・克己)・慈愛(感謝・奉仕)である。 建学の精神敦賀気比高等学校は、教育基本法の精神に則り、人間尊重を柱とし、個性に応じ能力の開発を図り、もって自ら考える力を養い、自主・自律の精神に富み、社会性・国際性のある人間として、知・徳・意・体の調和のとれた人材の養成を目的とする。 この目的の実現を図る為、師弟ともに学び励む学園を創造し、個性ある学風と私学の自主性を最大限に生かすことを本校の教育方針とする。
部活動野球部は甲子園の常連校であり、春9回・夏11回の出場実績がある。 創部10周年で甲子園へ出場し全国に名を広めようと、1992年秋、当時鯖江ボーイズ監督をしていた渡辺孝一監督が同校監督に就任。1993年秋、福井県大会で見事初優勝。当時エースの内藤剛志(駒澤大学-JR東海-福井ミリオンドリームズ-JR東海)を中心にレギュラー7人が2年生だった。 1994年夏(第76回)に初出場を果たすと(創部9年目)1995年夏(第77回)でベスト4の成績を残し計画通り10周年で全国へ名を広めた。 (93年秋~95年夏まで6季連続優勝)三上真司第79回選手権(1997年)ベスト8、東出輝裕1998年春(初出場)夏選手権に連続出場を果たした。2008年春(第80回)で復活を果たすと、2013年春(第85回)・2014年夏(第96回)とベスト4の成績を残し、そして2015年春(第87回)では決勝で東海大四を破り、北陸勢として初の甲子園優勝を達成した。[2] 【全国選手権大会(夏甲子園):9回】 第77回大会ベスト4、第79回大会ベスト8、第96回大会ベスト4、第101回大会ベスト16 【選抜大会(春甲子園):7回】 第82回大会ベスト8、第85回大会ベスト4、第87回大会 優勝 【明治神宮大会:6回】 第30回大会準優勝、第46回大会準優勝、第55回大会ベスト4 【国民体育大会:5回】 【北信越大会:34回】優勝8回 野球のほかには駅伝・空手道・レスリング・剣道などの部活が全国大会に出場している。またテニスや陸上競技も同様に全国大会に選手を送り込んでいる。その他にも外部指導を仰ぎながら活躍する生徒もおり、水泳では、2024年9月佐賀国民スポーツ大会において競泳少年女子B100メートル背泳ぎ決勝で1年生の内田碧空(みく)(敦賀気比高)が1分2秒98の県新記録を出し、全国大会3位入賞を果たした。競泳で福井県勢が3位に入るのは2014年の長崎国体以来10年ぶりとなる。他にも、競技かるたや、ブレイクダンスなど優れた技能を持つ生徒がいる。 高校
沿革
クラス編成全学年7クラス編成。1組・2組が特別進学コース、3~7組が進学コース。 進学コース3組「進学選抜クラス」(準特進クラス)は、進学選抜コースと呼ばれ、より特別進学コースに近い授業内容であり、他の進学コースと比べると学習内容、使用教科書等他の進学コースとは差異化を図っている。 特別進学コースに関しては、1年1組は公立中学校からの外部進学組(外進)、1年2組は付属中学からの内部進学組(内進)と分かれている。進学コースは3組が進学選抜クラスであり、成績上位で、かつ進学選抜クラスへの所属を希望した生徒で編成。その他のクラスは、合格者登校日でのテスト成績や、男女比等総合的に判断しクラス編成されている。2年次には特別進学コースは主に成績面を考慮し、進路希望等を加味しながら、1,2組を再編成している。進学コースについては新たに進路希望や成績等、総合的な見地からクラスの再編成が行われる。3年次は進路希望等で若干の再編を行う程度である。 国公立・有名私立大への進学人数は、数字の上では嶺北の進学校と比べて少なくなっているが、これには国公立大学入学に本格的に取り組むクラスの募集人数自体中規模校ゆえ50人程度、2クラスという背景がある。この2クラスのみに限れば、周辺の進学校と遜色のない数字になる。2024年3月には、東京大学理科Ⅱ類、京都大学農学部、大阪大学外国語学部、名古屋大学法学部、教育学部という超難関大学に現役で合格者を輩出しており、特進の生徒数などから考えても県内でもトップクラスの進学実績であった。 進学地域は特定の地域に大半が固まるということは無く、主に関西から関東にかけて広く進学する。国立大学にはほぼ全国の大学に渡って進学、私立大学に関しては関西へ行く生徒が多く、同志社大学、立命館大学、龍谷大学、京都産業大学、佛教大学、近畿大学などが主な進学先としてあげられる。 就職は地元密着型の就職形態が多く見られ、多くの学生が地元の企業へ就職している。 気比校祭例年9月1日から3日頃にかけて行われる気比校祭が、主だった行事である。同期間中に旧市街地で敦賀まつりが行われるため、気比校祭の日程の理由として、敦賀まつりにお神輿担ぎなどで運動部を中心とした生徒が多数欠席し、授業を進めることが難しいということが言われている。 気比校祭は2000年代初頭まで全日程を通して校内で行われていたが、ステージ発表関連を暑い体育館で何時間も行うことへの肉体的負担や体育館自体の音響設備の問題などから、現在は敦賀市民文化センターのホールを借り切って第一日目に団別ステージ発表、ブラスバンド演奏やチアダンスなどがまとめて行われている。2日目の文化祭は学校でにぎやかに行われる。ほぼ丸一日を使って各団体の模擬店などの出し物が披露される。近年は、キッチンカーも複数呼んで、生徒たちには大変好評である。最終日は体育祭となっており、敦賀市運動公園体育館を使用し、雨や熱中症の心配もなく、各団が必死で参加し白熱した戦いを見せる。 周囲を山と田畑に囲まれ、自然に恵まれた環境である。周辺には敦賀市立看護大学や運動公園等が集積している。学校を含めて利用者は比較的多いが、周辺にコンビニは無く、飲食店も一軒程度あるのみで昼は相当混雑するため、訪れる場合は注意が必要である。 学校は馬坂峠の頂付近の山を削って建てられており、それゆえ傾斜地に建てられているため、学生は朝夕の自転車通学を毎日こなすだけでもそれなりの体力がつくといわれている。 それらの施設群と市街地を結ぶ道路は田んぼの中を貫く直線の道で、天気が良いと道が映えて良い景色が見られる。歩道との道路の拡張工事も進み、混雑時にも対応してきている。 校歌「敦賀気比高等学校校歌」 作詞:広部英一、作曲:島崎篤子 著名な出身者野球
実業家その他脚注
関連項目外部リンク |
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