法政大学第二中学校・高等学校
法政大学第二中学校・高等学校(ほうせいだいがくだいにちゅうがっこう・こうとうがっこう)(HOSEI UNIVERSITY DAINI JUNIOR & SENIOR HIGH SCHOOL)は、神奈川県川崎市中原区木月大町にある、中高一貫教育を提供する男女共学の私立中学校・高等学校。 高等学校において、中学校から入学した内部進学生と高等学校から入学した外部進学生との間では、高等学校第1学年から混合してクラスを編成する併設混合型中高一貫校[1]。設置者は学校法人法政大学。略称は、「二中」「二高」(中高を併せて「法政二中高」)「法政二」などである。創立以来男子校であったが、2016年度より共学化が始まり、2018年度に全面共学化が完了した。 概要中高一貫制の共学校で、法政大学の附属校である。中学から大学までの「10年一貫教育」を掲げ、それに合わせた学習カリキュラムが実施されている[2]。中高共に平成19年度より週5日制から週6日制に変わり、新カリキュラムによる教育が行われている。 学習面において、高校では入学時に美術と音楽と芸術クラスで分けられるため、2年間の大半の行動が芸術クラス単位で同じとなる。また、3年次になると進学別にクラス分けがあり、「理系クラス」「文系クラス」に分類される[3]。平成18年度より「ゼロ時限目」と呼ばれる20分間の英語学習が実施されているほか、TOEIC Bridgeを年2回受験する[4]。中学では3年次に広島に[5]4泊5日で研修に行く。広島では原爆を通じて平和を学んだり、サイクリングやSUPを通じて、仲間と協力することの大切さを学ぶ。 進路では、高校において進学要件を満たせば法政大学への被推薦権を保持したまま学部に関係なく他の私立大学や国公立大学を受験することができる。 部活動
教育理念教育理念(学則第1条):
教育目標:
沿革
共学化2016年度入学生より中学、高校同時に共学化された。これまで「違いを認め合う」ことを教育の中で重視してきたが、男女共同参画社会といわれる時代の流れを見据え、「男女の違い」を認め合う教育を組入れることで教育の幅が広がることを目指している[11]。共学化を軸とした改革のコンセプトは「武蔵小杉からの新たなステージ 付属校であることの可能性」とし、伝統と蓄積と土台とした「共学化」を打ち出している[12]。学校名、校章、校歌などは変更せず、以前との継承性を意識したものとなっている[12]。 設置課程
生徒会活動中高共に生徒会活動が盛んであり、体育祭や、学園祭である二高祭・二中文化祭の運営の中心となるばかりでなく、日常の学校生活においても主軸をなしている[14]。特に高校生徒会は中央委員会を中心として様々な活動を行っており、それら活動は年度末に生徒会機関誌『法政二高』としてまとめられている[15]。中央委員会は年二回開催される代議員大会を通じて生徒側の要求を討議した上で学校側に伝える役割も担っており、こうした活動は全て「方針」と「総括」によって目標の明確化とその見直しが毎年度行われている[16]。 二高祭・二中文化祭毎年12,000人程度が来校し、国内でも有数の規模の来校者数を誇る[16]。クラスが主体になって行うクラス企画や、体育連盟や文化連盟の企画する催しが行われている。体育連盟は大体が公開練習や招待試合をしている。また、クラス企画は、毎年のテーマに従った審査基準による来校者と学内関係者の投票によって企画賞が各学年3クラスずつ選出される。また、2014年からは来校者のみの投票で選出する特別賞が設定された[17]。 地域との関わり武蔵小杉駅からの通学路には法政通り商店街があり、学校側と商店街との定期的な懇談会が行われている。また吹奏楽部が元住吉・ブレーメン商店街のイベントで演奏するなど地域との交流がある。 校舎![]() 旧時計塔校舎は、1936年に法政大学予科校舎として建設され、戦後も焼け野原に残った時計塔は二中高のシンボル的な存在となっていた[18]。近隣地区においては慶應義塾高校の校舎と並ぶ歴史的な近代建築物であり、建築的価値や時計塔に残された学徒出陣の際の落書きをはじめとした文化的価値の高さもあり、これを保存・存続しようという動きがあった[19][20]。しかし、2016年度の男女共学化に向けて校舎を全面改築することが発表され、老朽化が進む時計塔校舎は取り壊され、新しい時計塔校舎の使用が2014年度より開始された[21]。 新校舎の建設は、現在の敷地内でほぼ全面的に建て替える計画で、2013年1月から実施された。仮設校舎を造らず、建物ができ次第、順次供用を開始する形で建設を進める。2017年3月、中学グラウンドの竣工をもって新校舎への建て替えが完了した。新校舎の設計は、類設計室[22]。2017年3月には校舎及び施設の建て替え工事がすべて完了した[23]。 入試
著名な出身者→「Category:法政大学第二高等学校出身の人物」も参照
政治・経済
実業家
士業学者
教員技術写真家作家・ジャーナリスト吹奏楽文化芸能音楽
アナウンサー
スポーツ
影響を与えた作品音楽映画交通アクセス出典 : [24]
脚注および参照
関連項目
外部リンク |
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