常葉大学附属菊川中学校・高等学校
常葉大学附属菊川中学校・高等学校(とこはだいがくふぞくきくがわちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、静岡県菊川市半済にある私立中高一貫校。男女比は2:8で、生徒数は約1100人。 概要
沿革
設置学科
附属施設常葉美術館菊川キャンパス内に1977年(昭和52年)に創設。 部活動運動部
部活動成績野球部春5回 夏6回 神宮1回 計12回 全国高等学校野球選手権大会成績
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明治神宮野球大会成績ソフトボール部
陸上部
空手部
2017年 全国大会出場 不祥事日本学生野球憲章違反2007年4月27日、常葉学園菊川高等学校野球部にて、日本学生野球憲章第13条に違反し、特待生制度を導入していたことが発覚した。同日、この不祥事の責任を取り、佐野心が野球部の部長を辞任した[9][10]。翌日開催された静岡県春季野球大会の試合では、日本学生野球憲章第13条に抵触する特待生制度を利用していた部員が試合に出場することを回避するため、主力選手7名[9]を交代させて出場する事態となった[10][11]。翌月2日には、校長の吉村耕司が高野連に対し「野球部員17人が憲章に抵触すると判断した」[10]と報告し、校長自ら高野連に対して謝罪した[10][11]。 性的嫌がらせ
2006年12月、取材に訪れた毎日新聞記者に対し、野球部監督の森下知幸が「次はクリスマスイブの日にホテルを取ってから取材に来てよ」[12]と要求したうえで「野球部のクリスマスパーティーがあるからそれに出て、その後二人で抜け出そう」[12]などと発言した。 記者が業務都合で無理だと繰り返し断り、自分には恋人がいるとも重ねて説明したが、森下は「静岡の男は俺に決まりだ」[12]「もう一度俺に恋をさせてくれ」[12]「仕事なんかいいじゃないか」[12]と繰り返し要求した。さらに、森下は記者を飲食店やカラオケに誘い、記者に対して腕を組んだり手を握るなどの行為を行った[12]。記者に拒まれると、森下は「恥ずかしがり屋だなあ」[12]と述べた。 記者から相談を受けた毎日新聞社静岡支局の支局長は、森下に近づかないで取材を行うよう指示した[12]。 記者はその後も菊川高等学校の担当を続けたが、森下の関係者側から「ちゃんと女性の武器を使って監督の近くに行って取材しなさい」[13]と要求された。記者はその後も菊川高等学校の担当を続けたが、2007年春の選抜高等学校野球大会ののちに倒れ、1週間点滴を受ける状態となった[13]。その後、この記者は医師により鬱と診断され、2007年8月から休職した[13]。 →「森下知幸 § 女性に対する性的嫌がらせ」も参照
2007年、甲子園球場のアルプススタンドにて、第79回選抜高等学校野球大会を取材していた毎日新聞記者に対し、常葉学園菊川高等学校の職員が「大阪で飲みに行こうよ」[13]と発言した。さらに、「特待生問題」が発覚したことから、記者が学校職員を取材する機会が多くなったが、職員は頻繁に電話を掛け、記者に酒席をともにするよう繰り返し要求してきた[13]。
2007年夏の第89回全国高等学校野球選手権大会に出場した際、野球部が宿泊したホテルに、菊川高等学校担当の朝日新聞記者も宿泊していた。すると、部員の一人が、記者の部屋のドアをノックし、ドアを開けた記者に対して自らの性器をしごいて見せた[13]。恐怖を感じた記者は上司に報告し、上司が選手に対し「そんなことをしてると試合に出られなくなるぞ」[13]と一喝し、記者を別のホテルに移した。しかし、大会終了後も同部員から記者に対し執拗に卑猥な電話が繰り返され、記者が着信拒否しても、同部員は公衆電話や他の電話を使うなどして電話を続けた[13]。記者は2007年秋から休職し、2008年現在も治療中である[13]。
『週刊文春』の取材に対し、野球部監督の森下知幸は、毎日新聞記者の問題について「休職されたということは校長から聞いていますが、原因は思い当たらない。酒席で一緒になることはあったと思うが、手を握ったり、セクハラしたことなど一切ありません」[13]と反論している。また、朝日新聞記者の問題については「記者と選手のことなど全く知らない、寝耳に水」[13]と主張している。日本高等学校野球連盟(高野連)で理事を務める田名部和裕は、これらの問題に対し「聞いていない」[13]としたうえで「事実じゃなければ名誉毀損じゃないですか」[13]と述べた。
2008年5月、『週刊文春』が菊川高等学校における性的嫌がらせの問題を報じると、日本高等学校野球連盟理事の田名部和裕は静岡県高等学校野球連盟(静岡県高野連)に対し事情聴取を行うよう指示した[14]。それに対し、常葉学園菊川高等学校校長は「事実と違う部分もある。高野連や学校本部の指示も仰ぎながら慎重に対応する」[14]とコメントした。 2008年5月13日、高野連は、静岡県高野連理事長、不祥事発生当時の校長(常葉学園橘高等学校校長)、現校長から聴取を行った[15]。校長らの説明によると、2007年8月の時点で、学校が毎日新聞記者の問題について事情聴取を行っており、監督はその際「不快な思いをさせたとしたら大変申し訳ない」[16]と謝罪していた。そのため、毎日新聞社静岡支局の支局長に対し、当時の校長が謝罪していた。さらに、部員が朝日新聞社の記者に卑猥な電話を掛けた問題についても、学校側は事実関係を認めた[16]。 事情聴取後の会見で、高野連会長の脇村春夫は「セクハラという言葉の解釈はあるが、迷惑をかけたということは確認した」[16]と述べた。学校は監督を謹慎処分、部員を校長訓戒処分とすると報告したが[17]、脇村は「学校サイドの謹慎処分を了承した」[16]と語り、高野連としての追加処分は行わず学校側の処分を認めると決定した。 記者会見の席上、校長は監督の行為について「セクハラととられても仕方がない」[18]と述べ「女性記者に不快な思いをさせたのは事実。大変申し訳ない」[18]と謝罪した。また、部員の行為についても、校長は「不快を感じさせる電話を掛けた」[17]ことを認めたうえで「部員も深く反省している」[17]としたが、「この件は今回報道されるまで知らなかった」[18]としている。 森下の謹慎処分にともない、野球部部長の佐野心が臨時監督に就任した[15][19]。しかし、謹慎処分となっていた森下は同年中に復帰し、それにともない佐野は再び部長に就任した[19]。 集団暴行事件2010年5月、野球部の寮で、部員による集団暴行事件が発生した[20][21][22]。2年生部員複数名が、1年生部員を強制的に正座させたうえで繰り返し殴打するなど暴力を振るっていた[21]。また、2年生部員らは、この集団暴行を「ミーティング」[21]などと称していた。捜査にあたった菊川警察署は、翌年9月に複数名の部員を静岡地方検察庁浜松支部に書類送検した[22][20][21]。静岡地方検察庁は、複数名の部員を静岡家庭裁判所に送致した[21][22]。なお、常葉学園菊川高等学校は、2011年4月になるまで高野連に報告せずにいた[21]。この事件に対し、高野連は常葉学園菊川高等学校を2回にわたって注意処分とした[21]。2011年10月、教頭は「暴行は事実」[20]と発表した。なお被害者はいじめにあったと訴えて不登校になったが[22]、教頭は「高野連から指導を受けたことは事実だが、いじめではない。中身については答えられない」[21]と主張したうえで「生徒のプライバシーにかかわることなのでコメントできない」[22]と発言している。 著名な出身者
アクセス系列校脚注
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