青木さやか
青木 さやか(あおき さやか、1973年3月27日[1] - )は日本のお笑いタレント、女優、司会者、フリーアナウンサー。ワタナベエンターテインメント所属。愛知県尾張旭市出身[2]。 来歴両親とも小学校教諭という家庭環境で育つ[3]。愛知県立瀬戸高等学校、名古屋学院大学外国語学部中国語学科卒業[4]。 高校時代、両親の離婚をきっかけに母とはあまり口をきかなくなった[5]。 大学在学中は「放送文化研究会」に所属していたこともあり、就職活動ではアナウンサー試験を多数受けるも、全て不採用だった[4]。卒業後は名古屋タレントビューローに所属し、イベントの司会や岐阜放送で仕事をする[4]。 その後、中京ローカルのフリーアナウンサーとして活動し、中京テレビの『めざせ!総・楽・天』に出演。この時はお笑い志望ではなかったが、番組内で「面白いタレントになりたい」という自己PRをお笑い志望として紹介されたことがきっかけでお笑いに転身する。1996年にデビュー。 名古屋では一時期、松田大輔(東京ダイナマイト)らと「温泉こんにゃくアクロバットショー」なる5人組のユニットを組んでいた[6]。ユニット脱退後、しばらくフリーで活動していたが、ワタナベエンターテインメントのライブにゲスト出演した際、同社社長の渡辺ミキにスカウトされ、2003年1月よりワタナベエンターテインメントに移籍して本格的に東京での活動を始める。駆け出し時代、ニッポン放送の『お願い!DJ!克也とのりちゃんはっぴぃウィークエンド』で「イエローハットサウンドハイウェイベストヒットセレクション」の中継を担当していた。その縁で、BSデジタル本放送が開始された2000年12月から、BSフジで放送のニッポン放送制作の番組『LF+Rモーニング YOUNG LIVE JAPAN』『ヤングライブニッポンLF+RミュージックTV』に松田大輔と「温泉こんにゃくアクロバットショー」としてレギュラー出演した。2003年頃からフジテレビの『ネプリーグ』や『笑う犬の太陽』、テレビ朝日の『OUT OF ORDER』などの番組にレギュラー出演。同じ頃、日本テレビの『エンタの神様』などのネタ番組でブレイクした。また、以後はお笑い以外にも女優業や司会業などとしても活動。 日本テレビの『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』の企画で、P'UNK〜EN〜CIEL(L'Arc〜en〜Cielの変名ユニット)に「P'UNK青木」としてキーボード・コーラス他で参加し、2004年12月25日「天嘉 - 参 DANGER III in 日本武道館」に出演する。また、2005年1月13日にリリースされたL'Arc〜en〜Cielのシングル「Killing Me」のカップリング曲「Round and Round 2005 feat. P'UNK青木」でCDデビュー。 2005年4月13日に写真集『Où Voyez-vous?』(「どこ見てんのよ?」という意味のフランス語)を発売。7月23日 - 7月24日、フジテレビの特番『FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビやっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!』の総合司会を笑福亭鶴瓶と共に務めた。2007年10月22日、前田健に紹介された3歳年下のダンサーと出会って、半年で結婚することを発表。24日に婚姻届を提出。2009年7月30日、一部スポーツ紙での報道[7]を受け、同日レギュラー出演する『森田一義アワー 笑っていいとも!』生放送で妊娠3か月(第1子)であることを発表[8]。2010年1月14日に出演の『笑っていいとも!』のエンディングで、翌1月15日より産休に入ることを発表[9]。同年3月8日、都内病院で第1子となる3,085gの女児を出産した[10]。6月10日に『笑っていいとも!』に復帰し、芸能活動を再開[11]。その後、育児専念のため、同年9月30日出演をもって『笑っていいとも!』を正式に降板した[要出典]。 2012年3月23日、離婚が報じられ、同日に離婚届を提出したとFAXで報告。女児の親権は青木が持つ。2017年には肺がんに罹患し、2019年にも再発が疑われ(後者は器質化肺炎であった)、2度の肺切除術を行った[12]。同年9月16日、東京都内で動物保護を呼びかけるトークライブ「犬と猫とわたし達の人生の楽しみ方」を初開催。趣旨に賛同した大久保佳代子、六角精児も出席した[13]。 人物趣味・嗜好・特技
芸風
交友関係
出演バラエティ
特番・単発出演
テレビドラマ
Webドラマ映画
舞台
CM
CD
DVD
作詞提供
書籍
写真集
脚注
外部リンク
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