PlayStationのゲームタイトル一覧 (1997年)
PlayStationのゲームタイトル一覧 (1997年) (プレイステーションのゲームタイトルいちらん)では 1997年にPlayStation対応として発売したゲームソフトを発売順に列記する。全467本。ただし追加要素のないSCEJ廉価版は含まない。 発売ソフトの形態・変遷この年は、SCE・サードパーティ双方からさまざまなヒット作が生まれた。うち、1月にSCEから発売された『I.Q インテリジェントキューブ』は、キャラクターがキューブに押しつぶされないように気を付けながら、なるべく少ない手数でキューブを消すという内容であり、真っ暗な画面に浮かぶ無機質なステージや服部隆之による荘厳なBGMなど、当時のパズルゲームにはない世界観が話題を呼んだ[1]。 1997年7月17日に発売された『みんなのGOLF』は口コミがきっかけでロングセラーとなり、最終的には最終的に200万本以上の売り上げを達成した[2]。当時のゴルフゲームは『遙かなるオーガスタ』などリアル志向が多かったのに対し、『みんなのGOLF』はコミカルでポップなデザインと単純化された操作体系、さらにはゲームテンポの良さが人気を集めたのではないかとみられている[2]。また、同作以降のゴルフゲームは、キャラクター性を活かした3Dゴルフゲームが増えたともいわれている[2]。 一方、1997年12月23日にSCEから発売された『グランツーリスモ』は、3D技術の発展に伴い進化してきたレースゲームの中でも異色とされており、レースゲーム全体がリアル志向になったきっかけだと見る者もいた[3]。同作は美麗なグラフィックに加え、独自開発したゲームエンジンにより現実に近い走り方を実現し、カーマニアの心をつかんだともいわれている[3]。また、架空の車種の収録が多かった当時のレースゲームとしては珍しく、同作は実在車種を多数収録しており、その中には大衆車や往年の名車も含まれていたことから、これもリアリティ演出に一役買ったとみる者もいた[4]。同作はかつてないレースゲームとして評判を呼び、売上1000万本を超える大ヒット作となった[5]。 サードパーティにおいては、1997年1月にスクウェア・エニックスから発売された『ファイナルファンタジーVII』(以下:『FF7』)は国内だけでも300万本の売り上げをたたき出した[6]。雑誌「電撃PlayStation」のライターである城イドムは、もともと同社が任天堂ハード向け作品への供給で知られていたことに加え、当時のPlayStation用ソフトにはRPGが少なかったため発売前から盛り上がっていたと振り返っている[7]。同作の影響は日本国外にも及んでおり、PCゲーム『バルダーズ・ゲート』のシナリオライターであるジェイムズ・オーレンは『FF7』のキャラクターの完成度の高さに衝撃を受け、次回作『バルダーズ・ゲート2 シャドウ オブ アムン』においてはキャラクター性やドラマ性を強化する方針をとった[8][9]。この作品以外にも、スクウェアは『タクティクスオウガ』の松野泰己の手によるシミュレーションRPG『ファイナルファンタジータクティクス』(1997年6月発売[10])や、部位のダメージによる身体機能低下を取り入れた対戦型格闘ゲーム『ブシドーブレード』(1997年3月[11])など、多種多様な作品を世に送り出していった。 スクウェア以外のサードパーティにおいても『マリーのアトリエ ~ザールブルグの錬金術士~』(1997年5月発売)[12]や、『アーマードコア』[13]のようにシリーズ化したり、『モンスターファーム』(1997年7月)[14]のようにメディアミックスが組まれた作品もあった。また、1997年2月28日にソニー・ミュージックエンタテインメントから発売された 『クーロンズ・ゲート -九龍風水傳-』は、実在の九龍城砦をモチーフにしつつも、ハイテク機器をちりばめた独特の世界観がカルト的な人気を博し[15]、近い時期に発売された『バロック』[注釈 1]と『ガラージュ』とあわせて「三大歪みゲー」と呼ばれるようになった[16][17]。他方、『悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲』(1997年3月20日)は、悪魔城ドラキュラシリーズとしては異例の探索型のアクションRPGであり、のちにこの作品はメトロイドヴァニアと呼ばれるジャンルの礎の一つとなった[18]。また、従来の悪魔城ドラキュラシリーズでは武器が鞭だけであることから、アクションゲームが苦手な者にとっては遊びにくかったが、同作でRPGのシステムを導入したことにより、キャラクターを成長させたり、武器を変更することができるようになったため高い評価が得られたのではないかと分析する声もある[18]。さらに、1997年10月16日にアスキーから発売された『moon』は、「アンチRPG」をコンセプトにしており、勇者に倒されたモンスターの魂を救ったり、住民との交流を通じて「ラブ」を集める中で主人公の成長を感じられる内容となっており、多くの人々を魅了した[19]。 一方で、過激な表現への対応から、業界団体であるコンピュータエンターテインメント協会(CESA)の倫理委員会が1997年4月に倫理規定を公布・施行したものの、この時は合否判定しかなく[注釈 2]、修正が不十分なまま発売されたり、結論を下した委員会に苦情が寄せられるといったトラブルも相次いでいた[20]。しかも、倫理規定公布から3か月後の1997年7月に起きた神戸連続児童殺傷事件によって、コンピュータゲームにおける暴力表現の規制強化がさらに求められ[20]、時には事件がゲーム内の演出に影響を与えた例もあった[注釈 3]。 凡例
1997年
脚注注釈出典
参考文献書籍
雑誌
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