第4回参議院議員通常選挙(だい4かいさんぎいんぎいんつうじょうせんきょ)は、1956年(昭和31年)7月8日に日本で行われた国会(参議院)議員の選挙である。
概説
社会党再統一と保守合同が行われた55年体制が発足して初めての大型国政選挙となった。
伊豆諸島青ヶ島村で初めて参議院選挙が執行された。
選挙データ
内閣
公示日
投票日
改選数
- 127議席(うち2議席は補充のため、任期3年)
- 地方区:75議席
- 全国区:52議席(うち2議席は補充のため、任期3年)
選挙制度
- 地方区
- 小選挙区制:改選数25議席
- 中選挙区制:改選数50議席
- 4人区(改選2名、単記投票):15選挙区
- 6人区(改選3名、単記投票):4選挙区
- 8人区(改選4名、単記投票):2選挙区
- 全国区
- 大選挙区制:改選数52議席(うち2は補充のため、任期3年)
- 秘密投票
- 20歳以上の男女
- 有権者[1]:50,177,888名
- 男性:23,988,009名
- 女性:26,189,879名
その他
主な争点
保守合同による自由民主党の発足と、社会党再統一後、初となる国政選挙として注目された。
また、第3次鳩山内閣は改憲を公約としており、1955年の第27回総選挙に引き続き、改憲派が改憲に必要な2/3の議席を占めるのか、護憲派が1/3の議席を確保するかも争点となった。
選挙結果
投票率
- 地方区:62.11%(投票者数:31,165,167名)
- 全国区:62.10%(投票者数:31,162,209名)
[1]
議席数
党派別得票と議席[2]
党派
|
地方区
|
全国区
|
議席 合計
|
得票
|
比率
|
議席(比率)
|
得票
|
比率
|
議席(比率)
|
自由民主党
|
14,353,960
|
48.35%
|
42(56.00%)
|
11,356,874
|
39.69%
|
19 (36.54%)
|
61
|
日本社会党
|
11,156,060
|
37.58%
|
28(37.33%)
|
8,549,940
|
29.89%
|
21(40.38%)
|
49
|
日本共産党
|
1,149,009
|
3.87%
|
1(1.33%)
|
599,254
|
2.09%
|
1(1.92%)
|
2
|
緑風会
|
653,843
|
2.20%
|
0
|
2,877,102
|
10.05%
|
5(9.62%)
|
5
|
労働者農民党
|
120,414
|
0.41%
|
0
|
181,254
|
0.63%
|
0
|
0
|
その他の党派
|
115,862
|
0.39%
|
0
|
607,832
|
2.12%
|
1(1.92%)
|
1
|
無所属
|
2,136,498
|
7.20%
|
4(5.33%)
|
4,443,886
|
15.53%
|
5(9.62%)
|
9
|
合計
|
29,685,646
|
100%
|
75
|
28,616,411
|
100%
|
52
|
127
|
政党・政治団体
自由民主党
日本社会党
緑風会
日本共産党
議員
この選挙で選挙区当選
自民党 社会党 共産党 無所属
創価学会系無所属
この選挙で全国区当選
自民党 社会党 緑風会 共産党 日歯連 無所属 創価学会系無所属
- 補欠当選(任期3年)- 第3回で選出された宇垣一成、林了の欠員による。
補欠当選
- 鹿児島選挙区 重成格(1956.10.16死去)→田中茂穂(1956.11.30補欠当選)
- 島根選挙区 小瀧彬(1958.5.28死去)→山本利寿(1958.7.6補欠当選)
- 福岡選挙区 山本経勝(1958.7.8死去)→小柳勇(1958.8.24補欠当選)
- 大阪選挙区 左藤義詮(大阪府知事選立候補による辞任)→大川光三(1959.4.30補欠当選)
- 山形選挙区 松沢靖介(1959.6.8死去)→白井勇(1959.7.24補欠当選)
- 兵庫選挙区 成田一郎(1959.7.4死去)→岸田幸雄(1959.8.20補欠当選)
- 埼玉選挙区 大沢雄一(衆院選立候補による辞任)→大泉寛三(1960.11.20補欠当選)
- 千葉選挙区 伊能繁次郎(衆院選立候補による辞任)→木島義夫(1960.12.1補欠当選)
この選挙で初当選
- 計53名
※初当選者のうち、衆議院議員経験者には「※」、貴族院議員経験者には「△」の表示がある。
- 自由民主党
- 25名
- 日本社会党
- 19名
- 日本共産党
- 1名
- 諸派
- 1名
- 無所属
- 4名
- 創価学会系無所属
- 3名
この選挙で返り咲き
- 計6名
- 自由民主党
- 2名
- 日本社会党
- 3名
- 日本共産党
- 1名
この選挙で引退・不出馬
- 計21名
- 自由民主党
- 11名
- 日本社会党
- 3名
- 緑風会
- 5名
- 日本共産党
- 1名
- 無所属クラブ
- 1名
この選挙で落選
- 計36名
- 自由民主党
- 17名
- 日本社会党
- 8名
- 緑風会
- 7名
- 日本共産党
- 1名
- 労働者農民党
- 2名
- 無所属
- 1名
選挙後
自民党は過半数の議席を得られなかった。社会党など護憲派勢力が1/3を確保し、社会党は全国区では候補の乱立した自民党を上回る22議席を獲得した。一方、選挙区では1人区で自民党が強さを見せた。これで、衆参いずれでも当面改憲はできない情勢になり、また社会党の健闘は、二大政党制実現に近づいたと評価された。共産党は党第一書記として知名度の高い野坂参三が東京選挙区で当選するなどで2議席を確保し、須藤五郎の任期満了による参議院での同党所属議員の消滅を回避したが、逆に同党に政策の近い労働者農民党は東京選挙区に現職で出馬した堀真琴など全員が落選し、参議院での議席を全て失った。同党の衰退は決定的となり、1957年1月に解党して、3月に元同党所属の衆議院議員は社会党に合流した。
この他、創価学会が初めて組織内候補を無所属として擁立し、3人(大阪選挙区=白木義一郎、全国区=北条雋八・辻武寿)を当選させた。これが、公明政治連盟を経て後の公明党の源流となる。
なお、全国区における小西英雄の当選は後に次点の上条愛一が提起した訴訟[6]によって無効とされ、上条が更正決定によって当選者となった。参議院議員の当選が裁判によって覆ったのは小西と櫻内義雄の2例のみである。
脚注
参考文献
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 佐藤令 (2005年12月). “戦後の補欠選挙” (PDF). 国立国会図書館. 2016年5月26日閲覧。
関連項目
外部リンク
日本の国政選挙・国民投票 |
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- 合:合併選挙(参議院議員通常選挙と合併した補欠選挙)が実施された年
- 再:再選挙が実施された年
- 未:補欠選挙が予定されたが、実施されたなかった年
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