第6回参議院議員通常選挙
第6回参議院議員通常選挙(だい6かいさんぎいんぎいんつうじょうせんきょ)は、1962年(昭和37年)7月1日に日本で行われた国会(参議院)議員の選挙である。 概説池田政権になって初めての参院選で尚且つ社会党から分裂した民主社会党・創価学会系の議員が中心となって結成した公明政治連盟が初めて迎えた参院選でもあった。 自民党は3年前の71人には2人及ばなかったものの、全国区・地方区ともに得票率を伸ばし引き続き単独過半数を確保した。特に全国区ではテレビ出演で知名度の高かった藤原あきが116万票もの大量得票でトップ当選し、他にも航空幕僚長だった源田実・元書記官長の迫水久常・婦人議員の草分けだった山下春江などが上位に食い込んだ。一方で秋田・岩手・(保守分裂選挙になった)島根では公認候補が敗れ、6年前に(当時の)社会党に議席を独占された神奈川でも議席奪還は叶わなかった。 社会党は右派の離脱→民主社会党の結党で一時党勢の退潮が危ぶまれていたが、直後の衆院選での浅沼稲次郎暗殺事件の同情から何とか党勢を持ち堪えたこともあり今度の参院選は言わば実質的な党勢を量る試金石となった。知名度の高かった加藤シヅエが全国区2位当選・3年前に議席を失陥した東京選挙区でも岡田宗司が返り咲くなどまずまずの成果を見せたが、定数2の静岡・熊本で現職を落とし定数1の高知・山口でも議席を守れず結果として微増に止まった。民主社会党もゼンセン同盟会長だった高山恒雄が初当選するなど全国区は改選議席を維持したが、定数2-3の選挙区では現職が社会党の擁立した新人に競り負けることが相次ぎ衆院選に続いて党勢の退潮が目立つ結果となった。 創価学会は前年11月に政治団体として公明政治連を創設し今参院選に臨んだ。全国区では北条雋八・辻武寿の両現職に加え新人5人を比較的上位で全員当選させ、大阪では白木義一郎が再選されたばかりか東京でも和泉覚が初当選。自民・社会に次ぐ第三勢力として存在感を増した。他方緑風会は1960年に会派を中心的に率いていた石黒忠篤が死去したこともあり、党勢の回復を目指して参議院同志会に改称し参院選を迎えた。だが現職の常岡一郎と大谷螢潤(6年前は自民公認で当選)が落選し、他の無所属議員を加えて第二院クラブを結成することになる。しかし1964年に加賀山之雄・大竹平八郎・前田久吉の3議員が自民党に鞍替えしてしまい、残留した側も緑風会に復するも参院選を前に解散に追い込まれた。共産党は東京の野坂参三が(3年補欠ながらも)再選を果たし、全国区でも現職の岩間正男に加え新人の鈴木市蔵を当選させ久方振りに党勢を伸ばした。しかしながら核拡散防止条約批准を巡って鈴木は共産党から脱党することになる。また共産党に批判的な革命的共産主義者同盟から黒田寛一が全国区に立候補するも、得票は23,263票に止まり後に黒田と本多延嘉の対立から革マル派・中核派への分裂を招くこととなる。また沖縄の本土復帰を唱えて沖縄社会大衆党の安里積千代も無所属で全国区に出馬したが、87,774票を得たのみで当選には程遠かった。 選挙データ内閣
公示日投票日改選数選挙制度
有権者数と候補者数主な争点選挙結果投票率
議席数
政党・政治団体自由民主党
日本社会党
公明政治連盟
民主社会党
日本共産党
参議院同志会 議員この選挙で選挙区当選自民党 社会党 公明政治連盟 民社党 無所属
この選挙で全国区当選自由民主党 日本社会党 公明政治連盟 民社党 日本共産党 参議院同志会 無所属
補欠当選
この選挙で初当選
この選挙で返り咲き
この選挙で引退・不出馬
この選挙で落選
選挙違反選挙違反数は、全国区、地方区を通じて11,002件、検挙者数は17,836人[4]。 脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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