九州朝日放送
九州朝日放送株式会社[5](きゅうしゅうあさひほうそう、英: KYUSHU ASAHI BROADCASTING CO., LTD.[5])は、福岡県を放送対象地域とした中波放送(AM放送)事業とテレビジョン放送事業を兼営している特定地上基幹放送事業者。略称はKBC。 なお、2023年4月1日をもって、これまでの九州朝日放送(KBC)がKBCグループホールディングスに社名を変更し、これまでの九州朝日放送が持っていたテレビとラジオの放送事業を準備会社に吸収分割させ、新しい法人としての九州朝日放送が誕生した。 ラジオ部門についてはKBCラジオにも記述。 概要テレビ局のコールサインはJOIF-DTV(福岡 31ch)。2006年12月に日本の地上デジタル放送(JOIF-DTV)を開始した。テレビ放送はANN系列である。テレビ朝日系列(ANN)でかつ(アナログ波において)VHF局であるが、民間放送教育協会(テレビ朝日系UHF局は全局非加盟)には加盟しておらず、別の在福(旧アナログ)VHF局RKB毎日放送が加盟している。リモコンキーIDは地上アナログ放送の親局1chを引き継いだことで、テレビ朝日系列で唯一の「1」[注釈 1]。テレビ欄・ラテ欄及び地デジの番組表(Gガイド)には「KBC九州朝日放送」と表記している(「KBCテレビ」と表記する場合もある)。また、2018年4月以降は、テレビ朝日系列フルネット局では唯一、同一法人によってラジオとテレビを兼営している局と化している[注釈 2]。 現在の局のPR(マスコット)キャラクターは、創立70周年を記念した、ステーションロゴと共に描かれている、"アルファベットの「K」をモチーフにした生き物"(名称不明だがウサギと似ている動物)を起用。誇れる「九州」の大地から、顔だけをのぞかせている設定。以前のPR(マスコット)キャラクターは同じく創立45周年兼テレビ放送開始40周年とラジオ放送開始45周年として"きょろぱく"を、2代目は2020年東京五輪のマスコットを手掛けた、イラストレーターの谷口亮による"ミセタカ!"を2018年10月1日から2023年3月31日まで、同じくKBC創立65周年兼KBCテレビ放送開始60周年とKBCラジオ放送開始65周年記念の新しいPRキャラクターとして起用していた。 テレビの取材地域は福岡県と、テレビ朝日系列局がない佐賀県。長崎文化放送(NCC)が開局する1990年3月までは長崎県内と山口朝日放送(yab)が開局する1993年9月までは山口県北西部の取材をそれぞれ行っていた[注釈 3]。九州・山口、沖縄エリア各局に向けて多数のブロックネット番組を制作しており2022年現在、在福局の中では最も多くの番組を放送している。詳しくは#自社制作番組を参照。 人事は全社規模で行われているので入社してアナウンサーになっても定年までアナウンサーであり続ける人は稀で中途で他部署異動になる場合が多い(※逆に他部署から戻って来てアナウンサーになる人もいる)[要出典]。アナウンサーの他部署への異動について裁判した事があり「異動は合法」とする判決が確定している。(九州朝日放送事件、最高裁判所第1小法廷判決 平成10年9月10日) 放送持株会社化→「KBCグループホールディングス § 経緯」も参照
KBCが掲げている2018年度から2022年度の中期経営計画では、KBCのありたい姿として、「地域とともにあるナンバーワンメディア」として、「地域の人びとに価値ある情報コンテンツを届け続けること」をミッションとしていた[7]。その一方で、メディアを取り巻く環境は大きな変化を続けており、2019年に『アサデス。アプリ』として、それを通じた情報提供を始めたほか、2022年4月からは『アサデス。KBC』のリアルタイム配信を開始した[7]。 このような環境の下、数年間にわたって、「将来にわたって地域から必要とされるメディア」として、「企業としてどうあるべきか」を検討した結果、従来のKBCとしての放送局としての歩みを踏まえながら、「新しい時代にグループ一体で柔軟に対応できる経営システム」として、2022年3月25日に開かれた自社の取締役会で、放送持株会社を決議し、2023年4月1日に放送持株会社への転換という結論に至った[7]。この新たな経営システムを土台にして、「地域ナンバーワンメディア」から、「放送+αの力で地域の魅力や価値を最大化」を行う、「地域をプロデュースするメディアグループ」への進化を図る[7]。 これまでの九州朝日放送は『KBCグループホールディングス』に社名が変更となり、2022年3月25日に自社の取締役会で、2022年4月1日に発足する準備会社『九州朝日放送分割準備会社株式会社』に、これまでの九州朝日放送が持っているテレビとラジオの放送事業を吸収分割して、2023年4月1日付けで『九州朝日放送株式会社』(2代目法人)に社名を変更した[7]。そして、2023年3月9日をもって総務省は電波監理審議会に諮問して、「諮問のとおり認定することが適当である」という答申を受け、正式に2023年4月1日をもって認定放送持株会社の認定を行うと共に、これまでの九州朝日放送が持っていた「免許人の地位」を新しく設立される九州朝日放送に承継されることになった。それにより全国で11番目、福岡県内の民間放送局で放送持株会社はRKB毎日ホールディングスに続いて2番目となり、テレビ朝日系列ではテレビ朝日ホールディングス、朝日放送グループホールディングスに続いて3番目になった。テレビ・ラジオを分社化した朝日放送グループホールディングスとは異なり、同じ福岡県内のRKB毎日ホールディングスと同様にテレビ放送事業とラジオの放送事業をは分離せず、ラジオ・テレビ兼営局を継続する。放送持株会社化により、ステーションロゴ(前述のマスコットキャラクター含む)と一部のグループ会社名を変更した。 本社・支社・支局所在地
沿革![]() (1954年 - 1988年) ![]() 創業から福岡市に移転するまでの一時期、ここに本社・演奏所が置かれていた。現存せず。
![]() (1988年-2023年) ![]()
テレビ視聴率
ネットワークの変遷テレビ
開局後間もない1959年(昭和34年)6月、フジテレビ、東海テレビ、関西テレビの各局とネットワーク協力体制に調印。基本番組編成はフジテレビ系列をメインとすることとなった。このため、鹿内信隆・水野成夫も重役として名を連ねていた。福岡局の免許申請時に競願していた「九州テレビジョン放送(九州テレビ)」と一本化した際に九州テレビに出資していた昭和自動車・産経新聞社等の資本が合流した経緯からである。 一方、ニュースについては朝日新聞社との関係からNETニュースだけを放送して、朝日テレビニュース社が制作する『NETニュース 朝日新聞制作』を『KBCニュース』のタイトルに差し替えて放送した。NETテレビからはニュースと共に学校放送をネットしたが、1961年(昭和36年)に番組内容の改善を巡って、NETと対立。ネットを打ち切り、学校放送はRKBへ移行した。一般番組のネットが途切れる事はなく、概ね フジ系が70%:NET系が30%の比率で編成していた。 フジテレビ側はKBCに対して、ニュースもネットするように再三申し入れ、『ニュース対談』だけの1本のみネットが通ったが、朝日新聞社との関係を考えるとこれ以上の枠増は望めない状況であった。フジテレビは日本テレビとの関係が悪化したテレビ西日本に接触。好感触を得るとKBCとのネットそのものを見直し、1963年(昭和38年)にKBCの木曜20時枠がNETテレビとの同時ネット枠だったことを突いて、TNCに『三匹の侍』の同時ネットを要請。TNCは日本テレビの抵抗を押し切り、要請を受諾した。 1964年(昭和39年)、「KBCとの関係は良好だが朝日新聞主導なので、フジテレビが主導権を握るのは難しく、TNCと組む方がフジテレビの将来にとって益が大きい」との水野の判断から、KBCに対してネット打ち切りを通告。 窮地に陥ったKBCの比佐友香社長(当時)は朝日新聞社の広岡知男代表取締役(当時)に支援を要請。KBC社内では日本テレビと組む(事実上のテレビ西日本とのネット交換)か、NETフルネットにするかの議論があったが、ここで広岡は比佐に対して、NETとフルネットをするように勧奨。渋る比佐に対して、広岡はKBCの業績が低下した場合はNETに営業保証を行わせ、それでもKBCの業績が悪化した場合は朝日新聞社が責任を取ると約束した[42]。これで比佐はKBCのNETフルネットを決断。1964年(昭和39年)10月編成より学校放送を除くNETの番組がKBCで放送することとなった。 TVQが開局するまでは東京12チャンネル → テレビ東京の番組を放送した(『アイドル伝説えり子』(テレビせとうち制作。半年で打ち切り後にTVQ九州放送で放送)『大竹まことのただいまPCランド』など)。 ラジオ局データ局名、周波数、コールサインおよび出力は次の通り。 テレビ![]()
在福他局と異なり上記3局が2006年12月1日一斉開始(最後発)。
アナログ2011年7月24日停波時点
ラジオKBCラジオ#データを参照 スタジオテレビ
ラジオKBCラジオ#スタジオを参照 共通
ケーブルテレビ再送信局以下のケーブルテレビではテレビ放送を再送信している。なおテレビ放送のデジタル転換により、地元にテレビ朝日系の局がある地域を中心に順次再送信が取り止められることになっていた。デジタル放送再送信では佐賀県が特例地域[注釈 25]として位置付けてあるため、KBC側が地上デジタル放送においての区域外再放送に同意した。地上デジタル放送は日本民間放送連盟が区域外再放送を禁止していることから特例地域以外への再送信は原則不可であった。 山口県では「ケーブルネット下関」の他、過去にはKビジョン・シティーケーブル周南・萩ケーブルネットワーク(HCN)・ほっちゃテレビ、山口ケーブルビジョン(C-able)でもKBCの再送信を行っていたが、系列局の山口朝日放送(yab)からKBCに対し山口県向けの再送信を認めないようにするという要請があったため、同県内のケーブルテレビ局におけるKBCの再送信はデジタル再送信を行っている「ケーブルネット下関」を除いて2011年(平成23年)7月24日のアナログ放送終了と共に再送信も終了となった。なお「山口ケーブルビジョン」のKBCデジタル再送信が2011年(平成23年)6月に同意すべきとの総務大臣裁定が出されているものの、実現には至っていない。 大分県では2008年(平成20年)7月、KBCはRKB・TNC・FBSと共に同県内のケーブルテレビ事業者(大分ケーブルテレコム・大分ケーブルネットワーク・CTBメディア・ケーブルテレビ佐伯の各4社)に対して地上デジタル放送の区域外再放送を同意したが、CTBメディアが再放送継続協議が整わず2015年(平成27年)2月2日早朝に区域外再放送を終了。他の3局も同じく再放送継続協議が整わず2016年(平成28年)3月31日に区域外再放送を終了した。(なお同様にRKB毎日放送も再放送を終了したが、テレビ大分がクロスネット局であり、一部視聴できない番組があることを踏まえ、引き続き福岡放送・テレビ西日本・TVQ九州放送の再放送は行われている)。余談だが、大分県には系列局(大分朝日放送(OAB))がある。 長崎県では地域によって対応が分かれ、紆余曲折を経て有明海沿岸・壱岐・対馬の各業者が再送信を実施している。余談だが、長崎県にも系列局(長崎文化放送(NCC))がある。 ※太字はデジタル波再送信実施局
テレビ番組
自社制作番組九州・沖縄・山口のANN系列局に向けて放送するブロックネットのテレビ番組を数多く制作している。 もともとKBCは開局当初からエリア外取材に積極的で、また、1980年代まではテレビ朝日系列局(フルネット局)が九州他県になかったことから、高速道路網が未整備だった時代でも佐賀や熊本、大分、長崎などまで遠征してニュース取材に出向いていた。KBCアーカイブス[2]では福岡県内のニュースに混じって各県のニュース映像も見ることができる。 制作だけでなく他の九州の系列局に対し人的支援もしており、開局時の応援社員や、KBCから幹部社員が出向しているケースがある。また、九州[注釈 26]・山口のANN系列局の福岡支社はほとんどがKBC社屋に隣接する「KBCビル」にあり、支社長もKBCから出向していることがある。 そのほか、台風が接近した時などには、KBCが中心となって九州・山口の系列局を結んで「ANN九州山口 報道特別番組」といったタイトルで放送することが多い。 毎年年末にスーパーJチャンネル九州・沖縄SPを16:50 - 17:53と18:15 - 18:50まで放送(2017年時、情報。) ※印は、九州朝日放送をキー局として、九州・山口・沖縄エリアにある以下のANN系列各局で放送している番組であるが、狭義の九州に含まれない山口・沖縄や、クロスネット局の宮崎では一部番組のネットを行っていない。
その一方で、ラジオ番組では2014年春から『HKT48 ラジオ聴かナイト!』がブロックネット化した他は過去に数本制作された程度である。
ANN系列局制作の時差ネット番組制作局の表記のない番組はテレビ朝日制作。
系列外制作の時差ネット番組再放送枠
過去の主なテレビ番組
腸捻転解消でRKBから移行した朝日放送テレビ制作のネット番組
腸捻転時代に放送していたMBS制作のネット番組
※なお、『ヤングおー!おー!』は当初NET系時代の3ヶ月間はKBCで放送していたが、東京地区での放送が東京12チャンネルへ移行してから一時打ち切りとなり、福岡での放送再開時に腸捻転時代でありながらRKBへ移行し、腸捻転解消後は正式にTBS系番組となり、引き続き同局で放送していた。 TVQ開局前に放送していたテレビ東京系の番組
TVQ開局後に放送していたテレビ東京系の番組
TNCネットチェンジまで放送していたフジテレビ系の番組
ほか FBS開局前に放送していた日本テレビ系の番組
情報カメラ
アナウンサー年は入社年またはアナウンス部在籍期間[45]。○は福岡県出身。※はアナウンス部長経験者。 現在男性
女性
過去他部署所属
旧制度適用社員の退職
新制度適用社員★は契約期間満了に伴う退職。
アナウンサー以外の主な出演者
海外の提携放送局
その他西部警察・全国縦断ロケ1979年(昭和54年) - 1984年(昭和59年)にテレビ朝日系列で放送していた石原プロモーション制作のポリスアクションドラマ・西部警察では、PART-IとPART-IIIで2回福岡ロケを行った。ちなみに全国縦断ロケにおいて2回ロケをしたところは福岡だけである。PART-Ⅰでは、犯人グループが通信に使用している電波の周波数がKBCの放送電波の周波数に近く電波妨害を受けているという設定になっており、大門部長刑事、松田刑事、谷刑事がKBCに聞き込みに訪れるシーンの他、ひまわり号からのラジオ中継が妨害されるシーンが撮影された。PART-IIIでは、前編で博多どんたく港まつりが舞台となるのに合わせ、どんたくのイベントに石原裕次郎以下西部警察キャスト陣がゲスト出演し、続く後編では玄界灘の海上で漁船を爆破させた。なお石原裕次郎の13回忌に合わせた1999年(平成11年)の再放送に関しては、PART-I第88話「バスジャック」までの再放送にとどまった。また西部警察SPECIAL放送前にはローカル番組に舘ひろしがゲスト登場し、PART-IIIの福岡ロケの映像が一部紹介された。 また同じくテレビ朝日系列で放送していた石原プロモーション制作のポリスアクションドラマ・ゴリラ・警視庁捜査第8班(1989年(平成元年) - 1990年(平成2年))の福岡ロケの回(第10話「博多大追撃」)では、KBCが所有する報道用のヘリコプターを渡哲也演じる倉本班長に貸したシーンがある[注釈 36]。 航空自衛隊練習機で激励会参加スクープ1986年(昭和61年)10月25日、資料映像撮影のため訪れていた福岡空港で、同空港内にある航空自衛隊春日基地板付(飛行場)地区に同基地所属ではない、T-33練習機が多数飛来したのを目撃し、映像を収めた。練習機の多数飛来は福岡市内で行われた、全日空機雫石衝突事故の元教官に対しての激励会に参加する為、元教官の先輩・同僚・教え子らが練習機を「車代わり」に使用した事が判明、結果としてスクープとなった。 福岡県西方沖地震当時の放送体制2005年(平成17年)3月20日日曜日に発生した福岡県西方沖地震当時は本社のある中央区でも震度6弱を観測。報道局の立札が横に大きく揺れ、本棚も一部、散乱した。更に周りが停電し、報道陣達はパニックに陥った。しかし大きな損傷はなく、緊急処置で報道センターも使用できる様になった。 テレビは『サンデープロジェクト』の11:00以降の内容を地震特番に切り替えて、40分に渡り地震情報に専念する。サンデープロジェクト終了後は11:50の『ANNニュース』でも地震関連ニュースを行い、数分間報道特別番組に当たった。ラジオは「財津和夫の人生ゲーム21」が終わった直後に地震ニュースを放送。11:00から天神パサージュ広場で行う予定だった「春のラジオフェスタ』の生放送を急遽中止し、宮本啓丞(九州朝日放送アナウンサー)をメインに地震特番を編成。地震情報、取材記者、リスナーからの情報を放送した(春のラジオフェスタのメインを務める予定だった和田安生、岩渕梢も地震の影響で即時帰社し、特番に参加した)。 この地震の影響で、局舎の横にある鉄塔(福岡タワー送信開始時まで福岡1チャンネルを送信していた)の先端部分が曲がり、自局はもとよりテレビ西日本など県内他局でもニュースとなった。この他、局のレコード室に所蔵していたCDやレコードの一部が破損、しばらく立入禁止となり、ラジオ放送を中心に影響が出た。 この地震以降、ラジオの生番組では頻繁に「福岡市中央区長浜1丁目からお送りしている…」とアナウンスする様になった。 2005年パ・リーグプレーオフ中継打ち切り後の対応2005年(平成17年)10月15日土曜日、KBCはプレーオフ第2ステージ第3戦、福岡ソフトバンクホークス対千葉ロッテマリーンズの試合をローカルで生中継した。編成の都合上当初から放送時間の延長予定はなく、9回裏、ホークスの攻撃中(4点ビハインドで一死走者一塁の場面)で中継を終了。21時からテレビ朝日ネットの土曜ワイド劇場を放送した(BS朝日でも同時中継。試合終了まで放送)。しかし、急遽22時57分から23時まで(通常はKBCローカルの番組紹介番組「パックン!きょろぱく」の時間)ホークスの同点、サヨナラのシーン(録画)を放送した。 番組内容への福岡県の削除要請2019年(令和元年)に福岡県が同局に対し、太平洋戦争中に県内の炭鉱で労務に就いた外国人捕虜に関する内容のラジオ番組の制作と放送を委託し、同局は同年8月に当該番組を放送した。ところが同県は、番組内容を公式ウェブサイトに保存・公開するにあたり、番組中のコメントに於いて「外国人の炭鉱労働者は強制連行された」とする書籍の一文の引用部分について「政府の主張と異なることを県が主張していると受け取られる」などの理由で削除を要請。番組側は拒否し、内容は削除されることなくウェブサイトに掲載された。
放送事故
不祥事
備考
脚注注釈
出典
外部リンク
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