兵庫エフエム放送
兵庫エフエム放送株式会社(ひょうごエフエムほうそう、Hyogo FM Broadcasting Co., Ltd.)は、兵庫県を放送対象地域とするFMラジオ放送(超短波放送)事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。愛称は『Kiss FM KOBE』(キッスエフエム コウベ)。 本記事では、同社の実質的な前身会社である株式会社Kiss-FM KOBEについても述べる。これは経営破綻により、2010年10月1日よりKiss-FM KOBEから兵庫エフエム放送に事業が引き継がれたことによる。以下、株式会社Kiss-FM KOBEを「旧法人」、兵庫エフエム放送株式会社を「新法人」と表す。詳細はこちらの節を参照。 概要コールサインはJOIV-FM。また、神戸本社送信所の周波数89.9MHz(空中線電力 1kW / 実効輻射電力 3.7kW)は、日本においてFM補完放送が開始されるまで[注 1]はNHK・民放を含めたFM局では最も高い周波数であった。 5:00を起点とした24時間放送だが、毎週日曜深夜<月曜未明>の3:00 - 5:00(2014年9月までは3:30 - 5:00、2014年3月までは2:55 - 5:00、2012年3月までは1:00 - 5:00、2005年10月1日までは2:00 - 5:00)はメンテナンスタイムとして番組を休止している(不定期で放送を早く終了する場合がある。ただし、毎月第1日曜深夜<月曜未明>は放送終了時刻から3分間、番組審議会の報告番組「Kiss MONTHLY REPORT」を放送し、そのあとに日曜付放送終了のアナウンスを行う。)。 オープニング・クロージング共に英語によるナレーションを行っている。開局当時は日本語ナレーションを中心に英語が織り交ぜられていた。 同局ではパーソナリティ(同局アナウンサーを含む)を「SOUNDCREW」(サウンドクルー、略表記:SC)、ヘヴィー・ローテーション曲を「HOTRAXX」( ホットラックス)、リスナーを「Kissner」(キスナー)、ラジオネームを「Kissネーム」(キッスネーム)と称する。 天気予報や道路交通情報は基本的に兵庫県だけでなく大阪府のものも放送している。 新法人となり社名は「兵庫エフエム放送」となったが、放送番組や各種案内でこの名称は一切用いられず、TOKYO FM・JFN系列の番組でも「Kiss FM KOBE」と紹介される。月初めに放送される番審報告『Kiss MONTHLY REPORT』で「兵庫エフエム放送本社で開催された審議会は」と流れる程度であり、日曜深夜から月曜早朝にかけて流れるオープニング・クロージングでも「兵庫エフエム放送」は使われない。 当局含めたJFN系列38局はACジャパン(旧・公共広告機構)の正会員企業の一つである[5]。 →詳細については「全国FM放送協議会 § 概要」および「ACジャパン § 概要」を参照
歴史1982年 - 1994年兵庫県域への民放FM周波数割り当ては郵政省(現・総務省)が1982年(昭和57年)10月27日に行われたが[6]、71社の申請があり一本化調整に時間がかかった。 ラジオ関西を保護することに加え、大阪府域2局目のFM802が設立されることから兵庫県に民放FM不要論も出たが、当時民放FMがFM香川(1988年4月開局)しか聴けなかった姫路市等の播磨地域、FM山陰(1986年10月開局)しか聴けなかった但馬地域から兵庫県域民放FM開局をの要望が出た。 同じく民放FM開局が難航していた隣接する京都府(後にエフエム京都が開局)とともに申請の一本化を急ぐことになり、1989年(平成元年)にようやく設立されたが、500万人以上の9都道府県で民放FMの開局は最後になってしまった。 旧法人は1990年(平成2年)10月1日に独立局として全国34番目(エフエム大分と同日)に開局した。近畿地方ではFM大阪(1970年4月1日開局)、FM802(1989年6月1日開局)に次ぐ3番目の民放FM局である。開局時の自社制作比率は94%であった。 旧法人の開局当時の商号は兵庫エフエムラジオ放送株式会社(ひょうごエフエムラジオほうそう)だった。当初の愛称は「Kiss-FM」であり、1994年9月まで「KOBE」が付いていなかった。[注 2]。開局当時はパステルカラーの局名ロゴが存在した。また開局当初は地域性を考慮して神戸市(現本社)と姫路市(NHK姫路支局内)にスタジオを置く2本社制をとっており、両スタジオは光ファイバーで結ばれどちらからでも放送できるようになっていた。さらに、新神戸駅前の新神戸OPA(現・新神戸オリエンタルアベニュー)内の「オパスタ」(新神戸OPAが新神戸オリエンタルアベニューにリニューアルされた際にスタジオ名も「新神戸スタジオ」→「新神戸アベニュースタジオ」に改称)や、神戸ハーバーランドに設置されたサテライト(オープン)スタジオ「マリスタ」から自社の番組が公開生放送されていた。 開局後から兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)前にかけては、国際都市神戸という特性を活かしたおしゃれなマルチリンガル番組が多数編成されていた。代表的な番組に、世界中に存在する「Kiss」のネーミングを持つFM局の番組を毎日紹介する『Kissing The Groove』、黒田アーサーと加藤美樹によるカウントダウンプログラム『BANANAFISH DAY〜Kiss World Hot Score』、小曽根真がサウンドクルーを務めた『OZMIC NOTES』、架空のバーを舞台にした人間模様とジャジーな選曲とを織り交ぜたラジオドラマ『バール・サンドリオン』、假野剛彦の『Rendez-vous Cafe』、フランス語を基調とした浅尾寿美の『ラトリエ・デュ・ソン』などがある。 その後、ラジオドラマを昼番組に取り入れたり、『La Zone』[注 3]というノンストップミュージックゾーンを折り込んだりしたほか、フィラーに近い深夜の『Nocturne』など、洗練されたステーションイメージが確立していった。1994年には公募サウンドクルーに選ばれた大久保かれんの『Karen's Beat Access』(平日 17:00 - )がスタートした。また、同時期に神戸親局の出力が500Wから1kWへ増力し、受信エリアが拡大された。同年10月の改編では和田誠デザインの新ロゴマークが発表された。それと同時に、それまでジングルでは「89.9 Kiss-FM」或いは「SeaSide Oasis Kiss-FM」(シーサイド・オアシス・キッスエフエム)だったステーションコールが「Kiss-FM KOBE」(キッスエフエムコウベ)「Cinderella Station Kiss-FM KOBE」(シンデレラ・ステーション・キッスエフエムコウベ)と謳われるようになり、より「KOBE」を押し出す形へ変わっていく。 1995年 - 2003年3月しかし、1995年(平成7年)1月17日 5:46に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)によって、それまでの編成は一変し、その後の同局の経営にも大きな影響を与えることになった。 震災当日、朝5・6時台の放送は録音放送で、この放送は停止しなかった。生放送は朝7時からシーナ・ダスワニの『Waterfront delight』を予定していたが、震災によって交通網が寸断され、本人がスタジオに到着できなかったため、7:03からディレクターによるアナウンス放送が行われた[7]。 報道部を持たない同局は、当初通信社から送られて来るFAX原稿をもとに放送を続けていたが、10:00から放送する予定だったワイド番組『KOBE BRILLIANTDAYS』のサウンドクルー・JOJO大谷がいち早く駆け付けた[7]。彼は英語を話せるバイリンガルであったため、地震情報を英訳して放送したところ、居合わせていたスタッフから「英語でも地震情報を読もう」と提案[7]。国際都市・神戸のFM局として、在日外国人のために各国の言語での災害情報や生活情報が放送された[7]。当時のテレビ・ラジオで放送された震災関連の報道は犠牲者数や被害状況などを中心としたものであったが、炊き出しや浴場などのライフラインを中心とした「被災者が本当に必要とする情報」をリスナーから広く求め、被災者を勇気付ける音楽と共に送り続けて来た[注 4]。 その後、「We Love KOBE」をキャッチフレーズに、神戸市出身の平松愛理が作曲した(作詞は淡路島出身で開局当初取締役最高顧問だった阿久悠)「美し都〜がんばろやWe love KOBE〜」をKiss HOTRAXXとして大数回オンエアしたり、キャンペーンCM「こころのキャッチ」などで被災者を元気づけた。さらにJOJO大谷とジェフリー・ジェムズがサウンドクルーを務めた『KOBE LOVE STORY』、SHINGOの『Kissner's Chart Attack』など「キスナー」とのコミュニケーションを重視した番組が多数編成される様になる。この路線がコアなリスナーの支持を集めるようになる。2001年には当時放送中だった『SHINGO'S RADIO SHOW 〜花鳥風月〜』がギャラクシー賞パーソナリティ部門を獲得した。このことはコミュニケーション重視路線の集大成とも言える。ギャラクシー賞の地方FM局での受賞は異例であったが、キスナーの支持がその背景にあった。しかし、このような求心力の高まりの反面、阪神・淡路大震災の影響は大きく、経営を圧迫した。また、実質的な親会社でもあったダイエーの経営危機が2002年頃から顕在化、それに代わる有力な支援企業も現れないまま、屋台骨を大きく揺さぶり続けたことが自社の編成をさらに大きく変える結果となった。 2003年4月 - 2010年3月旧法人は開局より12年半に亘って独立局として放送されてきたが、2003年(平成15年)1月、全国FM放送協議会(JAPAN FM NETWORK/以下"JFN"と称する)に加盟することを決断。同年4月改編では、それまでほぼ100%だった自社制作番組を大幅縮小、生ワイドは平日 7:30 - 11:00・16:00 - 19:00(金は20:00)、20:00 - 22:00の3本立てとした番組編成を発表する。その結果、一部の番組を除いて3月末までに大半の自社制作番組が終了となった。そして、3月31日 23:59:20からの「Music Clock」(流通科学大学提供)を最後に独立局としての編成が終了し、翌4月1日 0:00にそれまで流れたことのない普通の時報とともに、東京から配信されるJFNのネットワーク番組を主体とした編成を開始した(加盟後最初に放送された番組は『ジェットストリーム』)。それまで、兵庫県下ではJFN系列のエフエム大阪(阪神地区・神戸市・淡路島)、FM香川とFM岡山(播磨地区)、FM山陰(但馬地区)が一部で聴取できたが、Kiss-FM KOBEのJFN加盟により兵庫県内全域でTOKYO FM及びJFN系列の番組が良好に聴取できる様になった。また、JFN加盟局で自主制作の比率が比較的高いエフエム大阪では放送されないJFNの番組が阪神地区でも聴取できる様になり、FM滋賀(E-Radio)(主に京滋地区) と共に近畿広域圏の大半(ただしJFN系列局のない奈良・和歌山両県の一部地域を除く)でJFNのネットワーク番組が聴取可能となった。その一方で、大阪市、神戸市などでエフエム大阪とKiss-FM KOBEの受信エリアが重複し、土・日曜日を中心に2局で同一番組が常に放送される結果となった[注 5]。その上、岡山県や香川県、山陰地方などJFN加盟局しか存在しない地域では、遠距離ながら独自性が高く、洗練されたKiss-FM KOBEの放送がよく聴取されていたが、JFN加盟でそのメリットが失われた。このため、結果としてリスナー離れを引き起こした。なお、JFNの生放送番組ではローカル枠を中心に兵庫からの情報ゾーンとして差し替え放送を多めに行うことで独立局時代からの情報コーナーを一部維持した。 同年6月1日、旧法人は愛称と同じ株式会社Kiss-FM KOBEに商号を変更した。 2006年(平成18年)10月の番組改編で再び自社制作の番組中心の編成となった。これにより、平日 7:30 - 19:55の時間帯の大部分が自社制作の番組となった。 2007年(平成19年)7月には、大阪・心斎橋のアメリカ村に大阪支社を設置、同時に新たなサテライトスタジオ「Kiss-FM Studio@アメリカ村 MichelCube」(マイケルキューブ)も設置し、一部の番組収録や『アメリカ村@DEEP』の生放送を行うと共に、動画配信サイト「アメリカ村TV」(後述)もオープンした。また、同年9月にはサテライトスタジオ「城下町すたじお」が姫路市内に設けられ、『PUMP IT UP!』の公開生放送が開始された。 このJFN加盟を機に経営は改善され、2005年(平成17年)3月期は黒字転換を果たした。しかし、広告収入が激減し、収入は2年で3分の2に下落した[8]。編成に於いてはJFNの番組を開始した際に自社制作番組の数が一旦大幅に減り、その後自社枠を増加させたが、2009年秋の改編期を待たずに大幅な改編を行った。 2009年(平成21年)8月改編では再び自社制作の番組を減らし、代わりに東京発の番組の放送時間を拡大させた。この改編で平日朝枠の『BRANDNEW KOBE』が平日帯の放送から金曜のみの放送へ縮小(それ以外は『OH! HAPPY MORNING』)、平日昼枠の『PUMP IT UP!』(→『ONCE』)と平日夜枠の『たそがれのA.O.R.』(→『A・O・R』)が相次いで終了した。これにより、同月以降の自社制作生放送はウィークデイ夕方のワイド『Kiss MUSIC PRESENTER』と金曜朝の『BRAND NEW KOBE FRIDAY』、金曜夕方の『アメリカ村@DEEP』(2010年1月より『BPM(Beats Per Minute)』)のみとなった(月曜 - 木曜に関して言えばエフエム青森も同様の状況であった)。 2010年(平成22年)2月22日からは、姫路・みゆき通りにあるCafe de Miki with Hello Kitty内特設サテライトスタジオからの『Sound Barista from Cafe de MIKI with Hello Kitty』が放送開始されたため、『ONCE』の放送時間が短縮された。同番組のサウンドクルーとして平野智一が復帰、新サウンドクルーとして三崎智子が加わった。また4月スタートの『REBOOT!!』ではターザン山下が復帰した。 この他、金曜日の深夜(土曜未明)1時間のみだが『Nocturne』が復活した(2010年3月終了。その後2019年4月から日曜深夜(月曜未明 2時台)の1時間枠で再度復活)。 2010年4月以降と経営問題旧法人は、2009年(平成21年)12月22日の臨時株主総会において、資源採掘会社の日本・ボルネオ・エネルギー株式会社を引受先とする6,300万円の第三者割当増資を決議。これにさかのぼり18日、代表取締役社長の平沢正博が会長に就き、広告代理店シーエムパックの城田渉が社長に就任する人事を発表した[9]。 2010年(平成22年)2月10日、神戸新聞の報道により、平沢社長時代の2007 - 2008年度の売上高を粉飾決算した疑いが発覚(2007年に約2億円、2008年に約4億円を粉飾)した。ボルネオは「会計に不明朗な点があるとして出資を見合わせる」と報じられた[10]。当局は記者会見を開き、旧経営陣に対し損害賠償訴訟を起こした[11][12]。翌3月6日には、「経費削減に区切りがついた」として城田が取締役に退き、新たに取締役の相田勲が代表取締役社長に就任した。 帝国データバンクの調べでは、「第三者割当増資先から払込期限を過ぎた3月25日に6,300万円の入金」があり、同日出金されるという不明瞭な会計が行われた[8]。 大株主であるエフエム東京は新経営陣が旧経営陣と関係がある事を理由に臨時株主総会の招集を請求。4月15日に旧法人の臨時株主総会が開かれる事が決まる。総会を前にJFNは旧法人に対して同月末での除名を通達する[13]。総会直前の13日、株式会社SRCグループ代表の横山剛が日本・ボルネオ・エネルギーによる議決権行使差止めの仮処分の申立てをし、総会当日の15日朝、神戸地方裁判所はこれを認め、同社は臨時株主総会で議決権行使ができなくなった[14]。 15日午後の臨時株主総会では、相田をはじめとする経営陣が流会を宣言して退席した後、残った株主のみで、相田ら取締役5人の解任案とエフエム東京常務の唐島夏生ら3人の取締役選任案を賛成多数で可決。続いて開催された取締役会で横山が旧法人の代表取締役社長に就任した[13]。翌16日の新経営陣による社員説明会にはこれを認めない旧経営陣も押しかけ、警察が割って入る騒動に発展した[15]。相田は19日、「株主総会無効及び地位の確認を求める訴訟を提起する」と記者会見で発表した[14]。 28日、旧法人は神戸地裁に民事再生法の適用を申請し受理され、保全命令を受けた。負債総額は6億7千万円だった[16][8]。日本で倒産法の適用を受けた地上波民放局(コミュニティ放送を除く)は、1994年(平成6年)の京都放送(会社更生法適用)、2008年(平成20年)のエフエム九州(新旧分離による清算)に次ぐ3例目である。 またこの日、JFNは「放送局の社会的信用を失墜させた」として旧法人に2010年(平成22年)4月30日付けで除名することを通知した。全時間帯の6 - 8割強をJFNからの配信に頼っているが、JFN側は「改善が見られない限り5月末で配信を打ち切る」と発表した[17]。ただ、JFNから完全に縁を切られた訳ではなく、コンプライアンス体制整備をJFN再加盟の条件としていた[18]。なお、JFN史上ネットワーク局の除名は初めてである[注 6][注 7]。 旧法人に対して譲渡受け入れをしめしたのは、エフエム東京と横山剛率いるSRCグループ、それに東京タワー(現・株式会社TOKYO TOWER)が出資して2010年5月19日付で設立した兵庫エフエム放送株式会社(新法人)1社で、旧法人は同月27日の取締役会で経営譲渡先として新法人への事業譲渡を決定、旧法人は会社清算する見込みとなった[19]。この時、旧法人側は10月1日までに経営譲渡を終えたいとしていた。同日、JFNは番組配信打ち切り期限を5月末から9月末まで延長する事を発表した[20]。 経営譲渡を4日後に控えた9月28日、JFNが番組配信停止の猶予期間をさらに延長することが明らかになる[21]。翌29日、総務省は放送事業の免許を新法人が10月1日付で承継する許可を発表した[22]。JFNが新法人の加盟審査を行う11月までは暫定的にJFNの番組配信を受けられることになった。これに伴い旧法人は清算され、新法人に1億円で事業譲渡する事になった[23]。放送局の経営破綻に伴う新旧分離は前述のエフエム九州以来2例目となった。 10月1日 0:00をもって正式に旧法人から新法人に事業譲渡された。新法人の愛称はKiss FM KOBE(KissとFMの間のハイフンが無くなった[注 8])で、同時に公式ウェブサイトもリニューアルされた。ドメイン名は旧法人時代と同じものを引き続き使用している。なお、同日は開局から20周年にあたる日でもあり、ターザン山下とジェフリー・ジェムズによる記念特別番組を放送した[24]。 11月4日、JFNは新法人の新規加盟を決め、Kiss-FM KOBE時代に一旦除名していたJFN系列のネットが再開された[25]。 新法人の発足後は、社長に就任した横山の「ほとんどの番組が自社制作で、よく聞かれていたころの(独立局時代の)Kiss FM KOBEを思い出してもらう必要があるだろう」という方針のもと、夕方のワイド番組だけに減少していた自社制作番組の再拡充を行い、旧法人時代末期に、広告収入が高額なことから放送が増加していた(薬事法制的にグレーと思われる)健康食品のCMを辞退するなど、放送内容のテコ入れを行った。また看板広告の設置やフリーペーパー『Kiss PRESS』の刊行(紙面での発行は2020年休刊)など、広報活動にも力を入れた[26]。これ以降、7:30 - 19:00が自社制作生ワイド枠となっているほか、平日週末問わず自社制作の箱番組がちりばめられている。 2011年(平成23年)4月12日、ラジオ関西・KBS京都・和歌山放送・ラジオNIKKEIと同時にradikoの試験配信を開始。同局は近畿広域圏全域への配信が行われた。 2014年(平成26年)3月31日、文字多重放送を終了[注 9]。 10月4日、グランフェスタ6番街(姫路市)にサテライトスタジオを開設した[27](2017年8月26日閉鎖)。 新局舎に移転2021年(令和3年)3月29日、本社・演奏所をそれまでの中突堤中央ビル4階(中央区波止場町5番4号)から中突堤旅客ターミナル(神戸市中央区波止場町5番6号、神戸メリケンパークオリエンタルホテル2階)へ移転、この日から新しい演奏所(スタジオ)からの放送を開始(本社は4月1日、マスターは4月17日にそれぞれ移転された)[28]。 4月1日、ロゴマークを変更[29]。キャッチコピーは、「the wonderful station」。 本社・スタジオ
東京支社
送信所・中継局
兵庫県全域、大阪府・京都府・香川県・徳島県の大部分、福井県・三重県・滋賀県・和歌山県・岡山県・鳥取県・島根県・広島県・高知県の各一部、県域民放ラジオ局がない奈良県の大部分にて聴取可能。 日本においてFM補完放送が開始されるまではNHK・民放を含めたFM局では最も高い周波数であった。 近畿2府4県内全域、鳥取県、岡山県・香川県、徳島県の大半のケーブルテレビ局にて再配信が行われている。 ラジオ関西同様に2府4県内全域でradiko再配信も行われている。 資本構成企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[32][33][34] 2014年10月1日
過去の資本構成1992年3月31日
2003年3月31日
タイムテーブル2025年4月時点。 太字は自社制作番組で、番組の後の氏名はサウンドクルーを表す。
平日
週末
その他
過去に放送されていた自社制作番組独立局時代
JFN加盟後
など
など
など
など サウンドクルーサウンドクルーとは、同局におけるディスクジョッキー・アナウンサーの社内呼称(愛称)である。当然ながら自社制作番組のみに用いられる。 現在2024年4月26日現在、JFN加入前から番組担当を継続しているサウンドクルーは中野耕史だけである[注 26][35]。 過去
アメリカ村TVについて2007年7月、前身のKiss-FM KOBEが大阪・心斎橋のアメリカ村に大阪支社を設置した際に、新たなサテライトスタジオ「Kiss-FM Studio@アメリカ村 MichelCube(マイケルキューブ)」をオープンした。それと同時にパソコンでの動画配信サービスがユーチューブと共にスタートされ、『アメリカ村TV』という愛称で行われる様になった。なお、動画配信は大阪支社と同じビルに設けられた番組制作会社「kfe」に委託していた。 開始当初は、『kankiss.jp〜関西にキッスしよ!〜』(後の『アメリカ村@DEEP』)という生放送番組のみだったが、その後も数本の番組の配信が行われた。 しかし、2009年9月を以て『アメリカ村@DEEP』の動画配信は終了、『樋井明日香のTeen's Voice』もインターネット配信番組に移行し、同年7月から2010年1月まで放送された『SAY YOU CHANNEL Kiss Of Voice!』を最後に自社制作番組の配信は終了、翌2月には自社の運営問題によりサービス自体も終了(公開は4月まで)し、『樋井明日香のTeen's Voice』は放送休止となった。なお、ユーチューブからは3月まで姫路・みゆき通りのCafe de Miki with Hello Kitty内特設サテライトスタジオからの動画配信が行われていたが、これも5月で公開を終了した。現在でも一部の動画配信サイトで番組が視聴できる。 動画配信が行われた『アメリカ村@DEEP』以外の主な番組は以下の通り(カッコ内はサウンドクルー又は出演者)。
オープニング・クロージング
2024年2月現在は日曜深夜(月曜未明)の26:00(2:00)の時報直後にクロージングを流し[注 28]、5:00までメンテナンスで休止する。ただし、停波はせずテストトーンを送出している。また不定期で放送終了時間が25:00に繰り上がる場合があり、この場合は停波している(放送休止が早くなる場合、テストトーンの途中で停波し無音を経て4:50頃に再びテストトーンを送出する)。その後、4:56頃からオープニングを流して放送再開となる。なお、オープニング・クロージングともに局名[注 29]・コールサイン・周波数・送信出力・親局・中継局等の紹介はすべて英語で行われる。 また、ステーションブレイクなどに女性の英語の歌に乗せて、女性のサウンドクルーが日本語で周波数を読み上げるIDのようなものが60秒間流れることがある。 ちなみにスザンヌ・シアニは、独立局時代の看板番組の1つ『Nocturne』のテーマミュージック『Drifting』の作曲者でもある。 ジングル類
主な受賞歴先述の通り、2001年には『SHINGO'S RADIO SHOW ~花鳥風月~』(シンゴズ・レディオ・ショー ~花鳥風月~)でサウンドクルーのSHINGOがギャラクシー賞パーソナリティー部門で受賞したが他にも『KOBE TEEN'S COMMUNITY"HO'VID PARK"』で平成16年(2004年)日本民間放送連盟賞ラジオ生ワイド部門優秀賞を[36]『Kiss Music Presenter』で2020年日本民間放送連盟賞ラジオ生ワイド部門優秀賞をそれぞれ受賞した[37]。 関連人物脚注注釈
出典
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia