札幌駅
![]() 札幌駅(さっぽろえき)は、北海道札幌市北区北6条西4丁目に所在する、北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。駅番号は01。電報略号はサツ。事務管理コードは▲130124[2][3]。 札幌市並びに北海道の代表駅かつJR北海道最大の拠点駅であり、全列車が停車する。道内各地とを結ぶ特急列車、北海道の空の玄関口である新千歳空港へ行く快速「エアポート」、札幌近郊の通勤・通学輸送を担う普通列車などが多く発着し、JR北海道の駅の中で最も利用客数が多い駅である。 南口駅前広場を挟んで札幌市営地下鉄南北線・東豊線の「さっぽろ駅」(JR駅は漢字、地下鉄駅は平仮名が正式名称)と隣接しており、同駅が代替輸送の指定駅となっている。 概要札幌駅は交通の要衝としての位置付けが強いものの、繁華街・商業集積地としての位置付けは大通・すすきの地区に次ぐ二番手という状態が長らく続いた。しかし、2000年代初頭からは札幌都市圏への人口一極集中に加え、2003年の駅ビル「JRタワー」の開業などの駅周辺地域の再開発に伴い、札幌近郊のみならず道内主要都市や道外からの利用客が増加している他、鉄道利用客に留まらず商業などの集積においても大通・すすきの地区を凌ぐ新たな拠点へと成長した。近年では若年層を中心に「サツエキ」という通称で呼ばれることも多くなっている[記事 1]。 当駅では終電が全線同一時刻(23時59分)に発車する。 南口広場は、土木学会デザイン賞 2004 優秀賞 受賞。 乗り入れ路線駅番号はJR北海道で唯一区間記号(アルファベット)の無い01で、道内各方面への起点と位置付けられている。また、JRの特定都区市内制度における「札幌市内」の駅であり、運賃計算の中心駅となっている。 北海道新幹線の整備計画上の終点となっており[注釈 1]、新函館北斗駅 - 当駅間の延伸事業が進められている。 発着する特急列車
歴史
地上駅(初代 - 3代目)時代![]() 1880年11月28日、手宮 - 札幌間に開通した官営幌内鉄道の終点に札幌停車場として開業した。当初の建物は仮のもので、1881年12月に木造平屋建て211.3坪の新しい駅舎が完成し、翌1882年1月から使用された。同年6月には札幌から江別まで、同年12月には幌内まで、冬季を除く運行が始まった。当初は駅ではなく停車場、その長を場長と称した。 民営化によって、札幌駅は1888年の北有社を経て、1889年に北海道炭礦鉄道の手に渡った。冬季の営業中止は廃され、札幌の発展とともに駅舎が増築された。周囲に関連施設も建ち、札幌駅の規模は次第に大きくなった。1907年10月に駅舎が火災を被ったため、1908年に建て替え工事を始め、同年12月に完成した。木造2階建て838坪で、洋風の建築だった。この3代目駅舎は、現在野幌森林公園内にある北海道開拓の村に復元され、同施設の正門を兼ねている。 1910年には札幌石材馬車鉄道が北5条通経由で駅前まで延伸され、やがて駅前通にも軌道が敷かれた。1918年には改軌・電化され、札幌電気軌道停公線(のちの札幌市電西4丁目線)が、1927年には同北5条線が開業した。 ![]() 地上駅(4代目)時代4代目駅舎は、駅以外の店舗と複合する民衆駅として計画され、3代目駅舎の南側に1951年から工事を始め、翌年に利用に供された。この駅舎は地下1階・地上4階の鉄筋コンクリート建築で、地下に店舗(ステーションデパート)、1階と2階の一部が駅、2階から4階が業務用(駅施設および国鉄北海道総局、国鉄分割民営化後はJR北海道本社)に使われた。1958年には貨物取り扱いを止め、旅客・荷物専用駅となり、3代目駅舎撤去跡に新1、2番線が新設された[4][5]。1965年に5階建てに増築された。1971年に札幌市営地下鉄が開業、南北線のさっぽろ駅と改札を隔てて連絡するようになり、同時に駅前を通る市電は廃止された。1972年には地下街「札幌駅名店街」(現在の「アピア」)が、1978年には駅東口に接して駅ビル「札幌エスタ」が開業した。 駅舎に面する単式ホーム1線・島式ホーム4面8線、千歳線折り返し列車が使用していた0番線の合計10線で構成されており、駅舎と各ホームは跨線橋および地下連絡道で結ばれていた[6]。南側駅舎に地上改札のほか、地下街に直結する改札が設けられており、札幌駅名店街を経て地下鉄さっぽろ駅に直結していた。また9番線奥には複数の側線があり、主に小樽築港方面の貨物列車や回送列車が使用し、そのさらに北側には跨線橋若しくは地下道を連絡道とする北口駅舎が併設されていた。 札幌駅は、現在に至るまで北海道の交通の中心であり、1970年代初頭頃までは青函連絡船を乗り継いだ本州方面からの長距離旅客者も多くこの駅に降り立った。駅の出口に幟をもった旅館の客引きが待ち構え、降りてきた旅人に声をかけたという。しかし、次第に航空機に押され始め、1977年からは東京・札幌間の旅客利用者数で航空機が鉄道を上回るようになった。 地上駅から高架駅へ駅前周辺開発および市内連続立体交差事業に伴い、地上駅から高架駅へ5代目駅としてリニューアルされることになり、北側側線および北口駅舎を撤去し工事を開始、現3番ホームから10番ホームまでと11番仮設ホームの完成後、1988年11月3日に高架駅として一次開業した。その後、地上の旧ホームを解体し残りの高架工事を開始、新1番および2番ホーム、ならびに駅舎南側外観を完成させ1990年に全面開業となった。その後、11番仮設ホームを解体して駅舎北側外観を完成させるとともに北口広場を整備した。なお、改札口が北側へ70m移動したことで、歩く距離が長くなったため、1990年8月30日から1998年1月27日まで、現在の大丸札幌店と札幌ステラプレイスセンターの間の通路に、動く歩道が設置された[記事 2][記事 3]。 その後、1995年頃までは旧ホーム跡地は劇場「JRシアター」やイベントスペースとして用いられたほか、西口側のスペースは月極駐車場として運用されていた。1996年に入り周辺の再開発計画が持ち上がり、旧駅舎とホーム跡地に商業施設の建設が行われることになり、準備段階として同年秋より旧駅舎が解体撤去された。1999年末より旧駅ホーム跡地に建設されていた駐車場などを閉鎖して再開発が開始され、2003年にJRタワーを含む一連の再開発施設が完成した。地上駅時代に駅舎が設置されていた場所は、現在南口広場の一部となっている。 北海道新幹線工事に関連して、2022年10月16日より1番ホームを廃止し、11番ホームの使用を開始した[JR 1]。 新幹線駅舎建設北海道新幹線の当駅延伸に伴う北5条西1丁目と同西2丁目で実施される南口再開発事業に向けて、2020年8月5日に、札幌市とJR北海道で構成される準備組合は、「西1丁目に約255m、西2丁目に約85m」、「西1丁目に約200m、西2丁目に約150m」の2案の新駅ビルの建設を検討・構想していることを発表した[記事 4]。この内、1階にはバスターミナルが入り、西1丁目には都市間バス、西2丁目には路線バスが乗り入れる予定である[記事 5]。新駅ビルは、2029年の完成が予定されている[記事 5]。2021年3月12日には、「西1丁目に約255m、西2丁目に約85m」の案を軸とすることを決定した[記事 6]。なお、予定通り完成した場合は、JRタワー(173m)を超えて、北海道内だけではなく関東・近畿以外では最も高い高層ビルとなる[記事 6]。 年表![]()
駅名の由来「札幌市#市名の由来」を参照。 駅構造
線路とプラットホームは全て屋根で覆われている。気動車の発着も多いことから、換気口を兼ねて屋根は所々出っ張っている。屋上は複合商業施設「JRタワー」の「センター屋外駐車場」となっており、札幌ステラプレイスの4階と接続している。1階の東西2箇所にコンコースと改札口、みどりの窓口、指定席券売機[1]、話せる券売機[1]を備える。2021年1月21日より、トマム駅からの列車利用時に限り、「QRコード乗車駅証明書」による精算機の自動精算を行うサービスが利用可能となる[JR 8]。 島式ホーム4面8線に加え、単式ホーム2面2線を有する。2番線と11番線が単式ホーム、3番線から10番線が島式ホームである[25]。ホームの長さは2・7/8・9/10番線が8両、3/4・5/6番線が12両、11番線が6両[JR 1]となっている。折り返し運転時などに使用する引き上げ線は桑園方と苗穂方にそれぞれ1本設置されているが、収容能力の関係から、隣の苗穂駅の留置線(2本)または2つ隣りの琴似駅の留置線(1本)を使用するケースもある。改札内コンコースと各ホームは、階段やエスカレーター、エレベーター(11人乗り、各ホームごとに合計6基)で連絡する。駅構内には密閉できる空間がないため、冬季はコンコースの待合所に風除けとストーブを設置して防寒対策としている。 地下街や札幌駅前通地下歩行空間(チカホ)などの地下道を通じて、周辺のオフィスビルやホテル、百貨店などと地下で往来することができる。札幌駅北口地下歩道からパセオ - 札幌ステラプレイス - アピア - 地下鉄さっぽろ駅 - 札幌駅前通地下歩行空間 - 地下鉄大通駅 - さっぽろ地下街ポールタウンを経由し、地下鉄すすきの駅までの南北約1.8kmが地下で往来可能となった。また、地下鉄バスセンター前駅も当駅から地下で行ける。 北口駅前広場には市営の地下駐車場、さらにその下には巨大な融雪槽がある[注釈 4]。 在来線のりば![]() 以下に、おもな発車番線を示す。
新幹線相対式ホーム・0番線と1番線の2面2線で計画されている[記事 11]。 北海道新幹線ホームの位置問題については、後述の「#北海道新幹線ホームの位置を巡る議論」を参照。 駅構内の店舗・施設
改札内
西コンコース
東コンコース
駅弁主な駅弁は下記の通り(いずれも株式会社札幌駅立売商会(弁菜亭)によるもの)[28]。
利用状況JR北海道によると、2023年度の1日平均乗車人員は84,015人である[29]。同社の駅かつ北海道内で最も利用客の多い駅であり、ここ数年は増加傾向にある。2023年現在、2番目に利用客が多い新千歳空港駅(18,726人)の約4.5倍であり、当駅に一極集中していることが窺える。 近年の1日平均乗車人員の推移は下表の通りである。
駅周辺南口<大通公園・すすきの方面>南口から札幌駅前通を約700m南下した大通公園周辺まで、オフィスビルや商業施設、ホテルなどが数多く立ち並んでいる。 2020年10月30日には、札幌西武跡に高さ約220mの高層棟と約60mの低層棟からなる複合ビルを整備する事業計画案の概要を、ヨドバシカメラなどでつくる再開発準備組合が示した[記事 12]。同年11月2日から縦覧が始まる札幌市の環境アセスメント手続きの「環境影響評価方法書」で示したのち、2021年度の都市計画決定を経て着工を行い、2020年代中頃の完成が予定されている[記事 12]。 その周辺には多数の医療機関が集積している。 金融機関は、北海道内を主な営業区域とする北洋銀行と北海道銀行、北海道信用金庫の本店営業部が大通地区に所在する。また、札幌市外に本店を置く道内の信用金庫(苫小牧信用金庫・室蘭信用金庫・日高信用金庫・稚内信用金庫・北星信用金庫・大地みらい信用金庫)、東京・大阪に本店を置く銀行(みずほ銀行・みずほ信託銀行・三井住友銀行・三井住友信託銀行・三菱UFJ銀行・三菱UFJ信託銀行・りそな銀行・SBI新生銀行・あおぞら銀行)、東北地方・北陸地方・静岡県に本店を置く銀行(青森みちのく銀行・秋田銀行・第四北越銀行・七十七銀行・北陸銀行・スルガ銀行)の札幌支店、信金中央金庫北海道支店、商工組合中央金庫札幌支店、ホクレン農業協同組合連合会本所、北海道信用農業協同組合連合会(JAバンク北海道)本所、札幌市農業協同組合(JAさっぽろ)中央支店、北海道漁業協同組合連合会(ぎょれん)本所が周辺に所在する。 マスメディアは、2018年のHTB移転により、道内の全テレビ局(NHK・HBC・STV・HTB・TVh・UHB)が北1条通周辺に所在している。新聞社は、北海道新聞社本社が大通地区に、朝日新聞社・毎日新聞社・読売新聞社の北海道支社が周辺にそれぞれ所在している。ラジオ局は、AIR-G'が大通地区に、NORTH WAVEは北口側にある。 駅ビル・商業施設
官公庁・公的施設
北口<北海道大学方面>当駅以北は北海道大学や藤女子大学、天使大学などの学生街となっている。 2020年9月18日から2022年度にかけて、北口広場の改修工事が実施されている[JR 9]。2020年11月初旬時点では、駅外観に足場が組まれたほか、駅前広場の工事区画も鉄板で囲まれている[25]。 2020年7月より、北8条西1丁目では再開発組合によってマンションなどを建設する再開発事業に着手し、[記事 13]。48階建て超高層マンションと商業施設からなるA棟、14階建てホテルを中心としたB棟、4階建てのオフィス棟、立体駐車場が建設され[34][35]、2024年春に複合施設「さつきた8・1」として開業[記事 13][記事 14][36]これと同時に、北8条西1丁目と札幌駅までを地下通路で結ばれた[記事 13][記事 14][37][38]。商業施設内には、札幌駅周辺では初となる常設劇場「北八劇場」が開業[39]。なお、この再開発事業で建設されたマンションは、北海道では最高層となる[記事 13][記事 14]。
かつて周辺に存在した施設
路線バス→詳細は「札幌駅バスターミナル」を参照
札幌エスタ1階にバスターミナルが設置されていたが、再開発事業に伴い2023年9月30日で閉鎖。2023年10月1日以降、バスターミナルに乗り入れていた市内路線の一部と都市間バスは主に札幌駅南側の路上に分散して仮設のりばが設置される。定期観光バスは札幌駅北口に変更された。北口広場など、駅周辺のバス停に発着する路線もあり、また一部の長距離路線はバスターミナルは降車のみで乗車は北海道中央バス札幌ターミナルや大通バスセンターで取り扱う。詳細は各項目を参照。 北海道新幹線ホームの位置を巡る議論北海道新幹線のルートが公表された1998年2月2日[44]に札幌駅南側に新幹線を乗り入れることを運営主体となるJR北海道、建設主体の日本鉄道建設公団、地元自治体の北海道、札幌市の関係4団体が合意したことに端を発する[45]。 1973年の整備新幹線の整備計画の決定以来、ルートは長らく公表されていなかったことや、建設費の膨大さや採算性への疑問から実現が強く疑問視され、当時の社長の坂本眞一はJRタワーの建設と新幹線ホームの在来線ホーム転用案を示した記者会見の席上で「北海道新幹線の駅の具体的な構想を明らかにし、地元から早期着工をアピールしたい」と述べる一方で、当時の運輸省幹部は「十分な議論ができていない」と指摘する[45]など、計画や議論は長らく停滞していた。 一方、1980年代後半には札幌~新千歳空港間のリニアモーターカー導入構想[46]もあったことから、長らく現在のJRタワーの敷地となった札幌駅高架化で生じる敷地の再活用案を巡る議論でも、新幹線のホームをどこに建設するかははっきりとは決まっていなかった。 なお、鉄道公団OBで、1995年頃に鉄道公団札幌工事事務所に勤務し、北海道新幹線のルート提案に携わった吉川大三によると、新幹線ホーム用地の確保を進言したが、坂本は「いつ新幹線は来るかわからない」として聞き入れてもらえず、公団とJRとで在来線ホームを転用する案を検討し、(当時のダイヤの水準であれば)ホームを減らしても、在来線のダイヤを維持できると判断されたという[47]。
隣の駅
開業予定の路線
脚注注釈
出典
報道発表資料JR北海道
鉄道運輸機構新聞記事
参考文献書籍
雑誌
関連項目外部リンク
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