竹本英史
竹本 英史(たけもと えいじ、1973年[12]3月7日[4][13] - )は、日本の男性声優、ナレーター[6]である。山口県徳山市(現・周南市)出身[3]。青二プロダクション所属[7]。 来歴生い立ち元々引っ込み思案で、当時は人前で何かするとは想像もしてなかったという[14]。友人と外で遊んだりもしていたが、1人でいる時は石を集めて遊ぶなど空想好きで、頭の中で色々考えて楽んでいた[14]。大人になってからはバイク、ドライブ、旅行、自転車などを趣味にしているが、どれも1人でも楽しめるものばかりで、子供の頃から空想好きだった性質は、2011年時点でも続いていると語る[14]。 声優になるまで学生時代は芸能には興味がなかったが、高校2年生の時の一番の目標が、山口から東京に出ることだったことから、「東京でしかできないことは何か」と探していたところ、思いついたのが芸能活動だった[14]。 芸能活動の中で、「興味があることは何だろう」と思い出したのが、劇団四季の『ウェスト・サイド・ストーリー』を観て感銘を受けたことだった[14]。その後映画も観て感銘を受けたが、吹き替え版だったこともあり、自身が背も小さく踊りもできず、吹き替えなら『ウェスト・サイド・ストーリー』の世界を担うことができると思い、声優になることを決意した[14]。 アニメも観ていたが、アニメのキャラクターはアニメの世界の中で完結してることから、声をあまり意識していなかった[14]。声優業界に入るまで、『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブル(声 - 池田秀一)とブライト・ノア(声 - 鈴置洋孝)の声の違いすら分からず、漫然と「みんないい声だなぁ」と何も考えずに観ていた[14]。初めて鈴置洋孝と仕事をした時、台本で鈴置の名前を見ていた友人から「うわぁ、とうとうガンダム声優と共演か、いいなぁ!」と言われた[14]。その時、「……ということは、この方はシャアか?」と勝手に思いこんでしまい、後で別の友人に「シャアと仕事したんだぜ」と自慢して鈴置の名前を言ったところ、「全然違う!」と怒られた[14]。田舎にいた頃は、「そこそこのアニメ好きだ」と思っていたが、声優の業界に入ってからは、周囲の知識が尋常ではないため、2011年時点では「アニメが好き」とは一切、言わないようにしているという[14]。 代々木アニメーション学院の就職率130%の広告に魅せられ[3]、親に学校資料を見せて説得をし、「4年間、ほかの人が大学を出る年になるまで声優として芽が出なかったら、そこから大学に行き直してまっとうな人生を送る」と約束して、山口から上京[15]。上京後は、親に金銭的な負担を掛けないように新聞奨学生として同学院に入学[15]。 当時の声優科の総責任者だった三ツ矢雄二が設立した劇団フリーアトムで学内オーディションで合格者の30人に残り入団。芝居をしながら、その学校で3~4年、講師のアルバイトをしていた[10]。所属事務所はネルケプランニング[4]、ラブライブを経て、フリーとなり、その後青二プロダクションに所属[7]。 デビュー後1993年[3]、『ドラゴンリーグ』のテコドント役で声優デビュー[10][11]。親との約束は「4年間でプロになる」だったが、結局は2年間でデビューできたため、ミッションはクリアしたという[10]。 その後はしばらく鳴かず飛ばずで、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に出演するまでの3年間くらいは、講師のアルバイトで生活していた[10]。 劇団時代は、芝居が上手いほうではなく、劇団の芝居で主人公を演じたこともなかった[16]。ただし、ガッツだけはあったことから、周囲の劇団員が退団していっても脇役で必死に演じていた[16]。劇団時代に声優デビューできたことから根性だけは認められたようだが、その後はチャンスを活かすこともできず、劣等生だという気持ちの負い目もあった[16]。 当時の三ツ矢はとても怖い存在であったといい、気軽に話をすることもできなかったが、2011年時点でも声優として活動できるのは、三ツ矢が我慢して劇団に置いてくれていたおかげであるため、感謝してるという[16]。一緒に劇団員だった人物たちにも、少し後ろめたい気持ちがあった[16]。その時に皆のように「アニメが大好き! だからアニメの声優になりたい!」というまっとうな情熱と違い「この業界に入り、運良くアニメでデビューできてしまったからだ」とのこと[16]。 講師時代に生徒には「自分の気の済むまでやらないと、何も始まらないと思う」と言っており、無責任かも知れないが、今までそうやっていい出会いを引き寄せることもできたという[16]。 人物特色・役柄役柄としてはシリアスで高圧的なキャラクターから淡々としたコメディー・リリーフ的な役までこなしている[11]。幅広い演技に定評があり、1つの作品で複数のキャラクターを演じている[11]。 東映アニメーション制作アニメや大地丙太郎監督作品に出演していることが多い。 『コスモウォーリアー零』では、ヤング・ハーロック役を演じており、オーディションでは船員か何かで呼んでくれていたが、『宇宙海賊キャプテンハーロック』のハーロックが好きだったため、初めて現場で、「すみません、ハーロックもやらせていただけませんか?」とワガママを言っていた[17]。その時に「記念でいいんで」と言われ、ハーロックの台詞をマイクの前で読んでみたく、その時に「あぁ、じゃあいいよ」と言ってくれて合格したという[17]。 ハーロック自体は小学生時代に観ていたため思い入れがあり、ハーロックを演じてからは、精神的にも安定していた[17]。それまでは、その日の気分で好きなことをして、芝居もその日の気分で演技を変えていた[17]。ハーロックを演じていた時は、気分の前に「ハーロックなんだから」という「らしさ」を、考えるようになり、芝居にも自信が持てるようになったという[17]。松本零士の作品は一通り観ているが、ダントツにハーロックが好きだという[17]。 青二プロダクションに移籍後、『戦国無双シリーズ』の石田三成役を演じたが、ハーロックを演じ終えて、自分の芝居が見えたところで出会ったのもタイミング良かったといい、それまでは悪役のイメージがあったキャラクターを演じられたのも良かったという[17]。石田三成役は竹本が『戦国無双』で演じるまで、女の子に好かれるキャラクターイメージはなく、全然女性向けを意識してはいなかった[18]。男臭いキャラクター、芝居が好きであったことから、石田三成の冷徹なところも好きであった[18]。人の見方には左右されない一本芯の通ったところは、ハーロックが持つ自分の道をただ突き進む男らしさにも共通していた[18]。女性から人気を得るキャラとは思ってもみなかったといい、竹本にとっての石田三成は、取り巻く環境も、時代も、中身も、「全てのタイミングが合致した……天からいただいた役なのかなぁ」と語る[18]。 趣味・嗜好趣味として映画鑑賞、サッカー観戦、旅行を挙げている[7]。資格・免許は普通自動車免許、中型自動車免許[7]、わな猟免許。 中学時代から新聞配達のバイトをしていたため、興味があるものは、好きに買い集められる状況だったことから同世代の子よりお金を持っていたという[19]。 講師時代は全国に分校があり、旅行好きだったため三ツ矢に「同じ講師をやるなら、僕をなるべく地方に行かせてくれ、冬はできれば札幌がいい」と直談判していたという[10]。 北海道札幌市の出張は、金曜日にスノーボードを抱えて現地入り、土日はスノボ三昧で、翌週の月~金は仕事をして、夜は札幌市内のスキー場でナイター、次の土日で1日中スノーボードをして帰るというスケジュールだった[10]。東京にいる時は、夜、ロックのクラブで遊び、そうではない時は地方で遊んでいたという[10]。 仕事がなくただ腐っていても意味がなく、ほかの役者と違いアニメに詳しいわけでもなく、「だったらリアルを充実させて、ほかの役者が興味を持たないこと、やらないことを経験して、得意分野を芝居にフィードバックさせたほうがいいだろう」と思っていたという[10]。 出張先のホテルですることがなさそうだと、「楽器でも始めてみよう」とギター、トランペットを持って行き練習していたり、バイクを買って日本中乗り回しており、その3年間は趣味を満喫していたという[10]。 田舎にいた頃はスーパーカブに乗り、上京後はオートバイで全国を走っていた[20]。かつては車も好きであったが、酒も好きだったことから辞め、2011年時点では数年以上が経っているという[20]。 映画関連映画鑑賞が好きで、中学の頃に見た映画の数は150本を超えているという[14]。 一番好きだった映画は『サボテン・ブラザーズ』で、竹本の田舎ではシルベスタ・スタローンのアクション映画と併映で、スタローンに期待して行っていた[14]。しかし面白くなく、同時上映の『サボテン・ブラザーズ』がめちゃめちゃ面白かったという[14]。その落差もあり、竹本にとっては、『サボテン・ブラザーズ』は、最高に面白い映画になった[14]。当時、映画館に通っていた頃は、邦画が元気がなく、上映されていた注目作もハリウッド映画ばかりで、観ていたのは洋画ばかりだったという[14]。 『スター・ウォーズシリーズ』も好きで、小学校時代は大人になってビデオデッキが買えるようになったら、『スター・ウォーズ』のビデオを全巻揃えるのが夢だった[21]。最初の『スター・ウォーズ』を吹き替えで観ていたため、ルーク・スカイウォーカー役の島田敏と会った時は、一般のファンのように「うわぁ、島田敏だ!」と心の中でつい呼び捨てにしてしまうくらい緊張していた[21]。2011年時点でも未だに島田にはファンだとは言ってないという[21]。 田舎にいた頃、山口県に民放テレビ局が2局しかなかったことから外画派になった[21]。ほとんどアニメ枠がなかったため、ロボットアニメもほとんど観ておらず、唯一、ちゃんと観ていたのが『銀河漂流バイファム』だった[21]。 外画の出演は2011年時点ではさほど多くはないが、現場ではものすごく緊張しており、同じアフレコでも、アニメだとさらっと行くが、外画はモニターをついじっくり観ており、ふわーっとしてしまうという[21]。外画の現場だと、ファン意識が残り、竹本にとって外画は、演るものではなく観るもの、なのかも知れないという[21]。 好きな女優は当時、映画『ラビリンス/魔王の迷宮』でデヴィッド・ボウイと共演しており、一番数多く映画に出演していたジェニファー・コネリーで、「一番最初に好きになった女性」と語る[21]。ソフィー・マルソーも好きで、フランスに興味持ったという[21]。 好きな男優は大人になってから好きなのは、竹本自身が好きな映画でもある『いまを生きる』に出演していたロビン・ウィリアムズで、声優の仕事をしてて迷う時、人生に迷う時には『いまを生きる』を観ているという[21]。子供の頃に一番好きだったのはスタローンで、スタローンがいなければ、『サボテン・ブラザーズ』に出会えなかったため、そういう意味でも感謝しているという[21]。 当時の好きなものは『フットルース』のケヴィン・ベーコン、『トップガン』など[21]。当時の作品も俳優も、竹本から見れば、2011年時点の俳優たちとは輝きが違い、映画が世界を知る窓口だったことから、観るだけでワクワクでき、色々な文化を勉強させてくれたという[21]。 好きな監督で作品を選ぶことはなかったが、多く観たのはスティーヴン・スピルバーグだった[21]。アート系にはあまり熱中しておらず、エンターテイメントな映画がよく、「スピルバーグの映画は、よくできてるなぁ、頭のいい人だなぁ」と思っているという[21]。 中学時代に観ていた映画は竹本自身を作った原点で、2011年時点で芝居をする上でも、一番肥やしになってると語る[21]。 音楽関連音楽については、2011年時点ではビートルズは好きであり、小学生の時に『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』が車のCMで流れていたのを聴いて、好きになったという[19]。 2人の姉がブラスバンド部に所属していたため音楽が身近にあり、その影響で洋楽、グラミー賞に興味を持つ[19]。その後は洋画のサウンドトラックも聴くようになり、2人の姉の影響が強かったため、同世代の友人からすれば、何かとマセた子供だったと語る[19]。一方、アイドルには興味を持っていなかった[19]。 上京後はロックだけ流すクラブに入り浸り、一時期はニルヴァーナ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン系のものばかり聴いていたという[15]。 歌詞もただの愛だ恋ではない、政治色もあるような曲ばかりだったが、英語が喋れないことから、政治性のあるメッセージも対訳がないと分からないのが歯痒かったりしていた[15]。そこで共感できたのが、THE YELLOW MONKEYの『JAM』で、歌詞の政治性に感化され、初めて聴いた時は衝撃を受けたという[15]。 ビートルズとニルヴァーナの間には、サザンオールスターズなどのJ-POPも聴いていたという[15]。中学時代に好きだった女の子も竹本の姉と同じブラスバンド部に所属しており、その女の子と話を合わせたいため、途端にクラシック音楽ばかり聴くようになった[15]。NHKラジオで、毎朝クラシックばかりを流していた番組を聴いて、クラシックのレコードを買い集めて勉強していた[15]。 自転車関連2010年、レギュラーが野島裕史と一緒で話をする機会が多かったが、そこで「竹本さんも自転車どうですか?」と勧められたのがきっかけで自転車を始めた[20]。最初にダウンハンドルのロードバイクに乗った時は衝撃を受け、人生が変わった[20]。 小野坂昌也と野島が、ロードバイクのお目当てのフレームを買おうかどうしようか相談していた現場に竹本もおり、その時に小野坂が「これはいいフレームだから、俺との色違いを買うといいよ!」と勧められ、翌日に竹本も購入した[20]。イタリアのメーカーのデローザだが、シーズンオフだったことからバーゲン価格で買い得だったこともあり、小野坂と野島のお勧めるであったため「間違いないだろう」と思った[20]。 それまでは野島に「ロードバイクは怖いからミニベロにしようか、クロスバイクにしようか」と相談していた[20]。その時に野島から「自転車の醍醐味は、やっぱり最後はロードバイクに行き着く」と言われ、思い切って買ってしまったという[20]。その後は野島のお薦めしていたパーツを集め、3ヶ月後の2010年12月には組み上がった[20]。小野坂に「今日できます」とメールしていたところ、「俺より後に買ったのに、俺より前に組むんじゃない!」と怒られたという[20]。 小野坂の金色の自転車[注 1]が出来上がった日、自転車屋からの帰り道、竹本も自転車で一緒に走ったが、道行き人が皆「え?」と顔をしていたという[22]。 竹本の自転車は、フレームが青で、それ以外のパーツがほとんど赤であり、非常にポップな見た目だという[22]。いつも行っていた自転車屋の前で抱えて歩いていたところ、女の子に「その自転車、どういうのなんですか?」と声を掛けられたという[22]。 2011年時点では自転車用の半ズボンにジャージで、どこでも行っている[22]。半日暇であれば5~60kmは走り、行きは都内を走るが、帰りは遠回りをしてサイクリングロードを行くことが多いという[22]。 野島に感化されて「声優は自転車に乗らなきゃダメ」と思い込んでることから自転車に乗ってない声優、自転車を持ってない声優は「モグリ」と見ているという[20]。 交友関係小野坂昌也とは仲が良く、小野坂のことは「ヤング師匠」と呼んでいる[20][23][24][25][26]。 吉野裕行とはサッカー、野島裕史とは自転車など趣味が一緒であることから仲が良い[20]。 『ドラゴンリーグ』で親しくなった高木渉は、スノーボード旅行に連れて行ってくれたという[10]。高木が旅行に連れてくれた縁で、古谷徹ともお近づきになったという[10]。 私生活自身のHPの「竹本日誌」で、既婚であることを公表しており[27]、事務所プロフィールの特技は「妻自慢」とある[7]。末っ子長男で[19]、姉が二人いる[15]。捨て猫だったみかんと、2020年から元繁殖犬だったチワワのアイを保護している。 出演太字はメインキャラクター。 テレビアニメ
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