関口宏の東京フレンドパークII
『関口宏の東京フレンドパークII』(せきぐちひろしのとうきょうフレンドパークツー)は、1994年4月11日から2011年3月28日まで、TBS系列で毎週放送されたゲームバラエティ番組であり、関口宏の冠番組でもある。 毎日放送を含めたJNN各局が指定する「青少年に見てもらいたい番組」でもあった[1][2][3]。 略称は「フレンドパーク」、「フレパ」[4][5]、「フレパー」[6][7]、「TFP2」(Tokyo Friend Park 2の略で、番組ロゴとしても使用されていた)。2004年2月にハイビジョン化され、2010年5月31日放送分より、アナログ放送ではレターボックス形式で放送に移行。字幕放送(2002年4月8日放送分より)。 本番組の前身であり、1992年10月12日から1993年9月20日まで同時間帯で放送されていた『ムーブ・関口宏の東京フレンドパーク』、そして本番組の放送終了直後に一部放送局で放送されていたミニ番組『後のまつり』についても、本項目で併せて記述する。 2017年1月から2021年1月まで4年間放送されていた特番については『関口宏の東京フレンドパーク ドラマ大集合SP!!』で記述する。 概要体で遊ぶゲームをテーマとしたテーマパークという体裁のバラエティ番組で、週替わりのゲストが2人(ペア)以上で登場し、5ゲームに挑み、最終コーナー「ビッグチャレンジ」というダーツで賞品を獲るというのが主な番組の流れ。 番組内では司会の関口宏を「支配人」、渡辺正行を「副支配人」と呼び、アトラクション・ビッグチャレンジともに支配人が審判を務める。また支配人は三管笛を胸ポケットから提げており、ゲームのスタート・ゲストや従業員へのツッコミ・ハイパーホッケーのパックが飛んだりした時に吹き鳴らす。笛はメッキがはがれかかっているが一貫して変わっていない[8]。支配人、副支配人のジャケットの色は白・赤・ピンク・青・水色の計5色。 絶頂期には、関東地区では20%前後を推移し(最高視聴率は1996年11月4日放送の26.0%)、家庭用テレビの過疎化が進み20%を取ることが難しくなった2004年以降も17%前後を記録するなど、TBSの人気番組の一つとして幅広い視聴者層をもった長寿番組である。最後に20%越えを記録したのは2005年9月26日SP放送の21.0%(関東地区)であり、2006年頃から木曜20時台に移動する前の2009年3月までは平均15 - 17%で推移した。関西地区では、放送開始当初は低迷していたものの、木曜20時台に移動する前までは10%台後半を記録することもあり回によっては関東を上回ることもあった。 ムーブ時代から、収録はTBSテレビ局舎→TBS放送センターで、毎週月曜日の15時あるいは16時からと19時からの観客入れ替え制の二本撮りだった[注釈 2]。 TBS系列局が無い地域についてレギュラーでの系列外ネットはなかったが、フジテレビ系列の秋田テレビ・サガテレビや日本テレビ系列の四国放送が単発で数回放送を行った実績がある。 打ち合わせは一切なくプロデューサーは「関口さんにすべて任せている」[8]。 関口は「狙いは若い人たちの達成感」と話していた[9]。 2-4番目に登場する怪獣のおなかに書かれた文字にはそれぞれカタカナが一文字付いていて3つの文字を組み合わせるとその回のゲストにちなんだ言葉ができあがる[10]。 十万円金貨は田中貴金属ジュエリーから購入したオーストラリアの24金カンガルー金貨(2オンス[11])で、鈴木蘭々や高田純次、ベンガルらはダーツの矢に交換せずそのまま持ち帰っている[12]。 石川プロデューサーは人気の理由について「ハッキリ言って分かりません」と答え、裏番組の魔法騎士レイアースの諏訪プロデューサーは「うちに比べて、あちらは門戸開放型というか、子供からお年寄りまで気楽に見られるのが強みになっているのでは?」と回答した[13]。 沿革
月曜第1期1992年10月12日に、TBSの19時台に設けられたバラエティー枠『ムーブ』の1番組として『関口宏の東京フレンドパーク』が放送開始。視聴率の低迷により1年で終了したものの、『ザッツ!・関口宏のPAPAパラダイス』を間に挟み半年後の1994年4月11日に『関口宏の東京フレンドパークII』として、放送を再開した。初回のゲストは布施博と柳沢慎吾[14]。 『TFP2』の視聴率も開始直後こそ低迷したが、半年後の1994年9月12日に初めて20%に到達して以降は、高視聴率を連発した。 1995年の最高視聴率はTBSで3位、バラエティ全体で10位の25.6%(2月6日)だった[15]。 1997年の最高視聴率はTBSで2位、バラエティ全体で10位の23.8%(10月13日)だった[16]。 1998年8月17日で放送200回(199回と二本録りで7月20日収録、ゲストは中山エミリと安達祐実)を迎え、これを記念して読売新聞の読者二人が7月20日に番組を体験し結果が紙面上に掲載された、この時点での平均視聴率は20.2%だった[17]。 1999年11月に一般出場者が出演した際には9月に予選会が行われた。応募要項は小学四年生以上の五人一組、ただし友人関係に限定し血縁関係は含まないというものだった[18]。 2000年には、1月31日に22.7%[19]、3月20日にも20.3%[20]、4月17日に20.9%[21]、5月15日にも2.4%[22]、8月28日20.1%[23]、10月30日に22.9%[24]、11月27日21.5%[25]と数多く20%以上を記録した。 2001年も1月29日23.1%[26]、3月26日のスペシャルは20.8%[27][28]、9月3日20.8%[29][30]、9月10日に20.4%[31]と多数20%超えを記録した。 2002年も1月21日に21.3%[32]を記録。 2003年から2006年までは1月2日(もしくは3日)に『新春特別営業』としてスペシャル版が放送されていたが、2008年12月の当時のTBS社長の定例記者会見で、2009年1月1日(木)にそれまで毎年放送されていた『スポーツマンNo.1決定戦』に替わり本番組のスペシャル版を放送することを発表。本番組最長の放送時間となる4時間半スペシャルが放送された。各界のスポーツ選手4チームの対抗戦で、ルールが対戦形式にアレンジされた。 木曜時代2009年3月30日より平日の17:50 - 19:50の時間帯に2時間の報道番組『総力報道!THE NEWS』が放送されることに伴い、本番組の放送時間は2009年4月2日から木曜日の20時台に移動することとなった[33]。これにより『クイズ100人に聞きました』(1979年4月 - 1992年9月)以来続いてきた月曜日19時台関口宏枠も通算30年で一旦終了した。また、それまで木曜20時台で放送されていた『うたばん』が本番組に押し出される形で移動となり、2009年3月に終了した『どうぶつ奇想天外!』の後を継いで日曜20時台での放送となった。 2009年度の木曜20時台での放送は、夏頃から10%を切ることも増え月曜第1期の頃より大きく下がった。 TBSチャンネルで、2009年6月1日より、毎週月曜21:00に『ムーブ・東京フレンドパーク』時代の番組が2010年5月10日まで再放送された。2010年3月までは本編終了後、その週の木曜日に地上波で放送予定分の番宣が流れていた[注釈 3]。 月曜第2期2010年3月26日で『総力報道!THE NEWS』が終了したことに伴い、同年3月29日放送分からは放送時間が月曜19時枠に戻された[34]が、放送開始時間は19:00となったため、放送時間が4分短縮した。これにより、2002年4月以来続いてきたTBSの平日夜7時台のフライングスタートが全番組廃止された。前述の通り、音声もステレオ放送へ切り替わった。 2010年7月よりオープニングが一部簡略化され、さらにマンネリ化防止対策として長年最初のアトラクションだった「ウォールクラッシュ」(開始から10年で面ファスナーが強化された[8])、定番だった「クイズ!ボディー&ブレイン」を不定期に実施するなど新たなテコ入れを行ったが、視聴率は回復しなかった。 シリーズの終焉とその後2010年10月に従来のアトラクションをリニューアルしたり、新アトラクションを登場させるなどして事実上新装開園を実施したものの、視聴率は平均7% - 9%と、低迷が続いた。 そして、2011年3月をもってレギュラー放送を終了(一旦閉園)[35]、3月28日放送の生放送2時間スペシャルをもって『ムーブ』時代から17年間、『ムーブ』時代とIIの間に放送されていた『関口宏のPAPAパラダイス』を含めれば19年の放送に終止符を打った。最終回は生放送で、過去の名珍場面を見せる一方、かつての累計2388人の来園者の中から一部の来園者と『ハンチョウ〜神南署安積班〜』の出演者がアトラクションに挑戦。最後は全従業員が挨拶をした後、関口支配人が愛用の笛を床に置いた所で、スタジオ内のカノン砲から大量の紙吹雪が発射されて大団円となった。 後番組は、同年4月18日から歴史をテーマとしたバラエティ番組『世紀のワイドショー!ザ・今夜はヒストリー』で、司会は引き続いて関口と当時オセロの松嶋尚美が務めることとなった[36][37][38]。これにより関口が司会を務める月曜日19時台の番組は、1979年4月の『クイズ100人に聞きました』開始以来、『総力報道!THE NEWS』放送に伴う1年間の中断を挟んで通算32年目に入ることが決まった[39]。しかし、同番組は半年で水曜日に追いやられ、関口の月曜19時台レギュラー出演は32年半で終止符を打った(番組自体はその後2012年8月まで水曜日で続いた)。 特別番組としての復活2014年3月および10月の『オールスター感謝祭』では、イベントとして「ウォールクラッシュ」が行なわれた[40][41]。 2017年から2021年にかけては特別番組『関口宏の東京フレンドパーク ドラマ大集合SP!!』として定期的に放送されていた(以下、「復活特番」)。 →「関口宏の東京フレンドパーク ドラマ大集合SP!!」を参照
2024年8月9日からは『それSnow Manにやらせて下さい』の特番として『それSnow Manにやらせて下さい×東京フレンドパーク』が不定期で放送されている[42](以下、「それスノ版」)。アトラクションは従来どおりだが、支配人が深澤辰哉(Snow Man)、副支配人が山里亮太にそれぞれ代わって行なわれる[43] [44]。ルールは復活特番などのチーム制に準じており、支配人の深澤を除くSnow Manメンバーによる「Snow Manチーム」が毎回参加し、さらにゲストの2チームが加わった3チーム対抗で行われる。 2024年12月31日の『大晦日オールスター体育祭』では「ウォールクラッシュ」が行なわれた[45]。 出演者支配人/副支配人
従業員
ナレーション
元従業員
出演者の変遷
番組構成・ルールオープニング支配人や副支配人・従業員があいさつした後、ジェットコースターに乗ってゲストが登場する。 アトラクション→詳細は「東京フレンドパークのアトラクション一覧」を参照
各アトラクションには、一定のノルマ(番組内では、「クリアポイント」と呼ばれる)が定められており、その一定のノルマをクリアすれば、時価10万円相当の金貨を1枚獲得できる[注釈 6]。男女のペアおよび女性2人のペアの場合、クリアとなるノルマ・ゲーム自体の難易度が低くなるアトラクションもある。また、早い段階でクリア条件を達成した場合は通常の金貨1枚に加え、さらに提示された条件をクリアすることによって追加の金貨をもらえる「スペシャルチャレンジ」が行われる場合もあり、逆にそれまでの成績があまりにもひどい場合、(クリアとは認められないが)成功すれば金貨をもらえる追加チャレンジが行われる場合もある。最多金貨獲得枚数は97年12月29日放送に出たヤクルトチームの12枚[8]。 ただし、クリア後のスペシャルチャレンジの有無や、チャレンジクリアのノルマに関しては、ゲストと支配人との交渉次第でもあり、ケースバイケースである。2010年7月頃より、一部のアトラクションのクリア条件が変更されている。 アトラクションをクリアすると白文字で「Cleared!!」と画面下の中央に表示され(復活特番などでは金文字で「CLEAR」)、CGで金貨と文字が光り輝く(通常は金貨1枚、スペシャルチャレンジ成功で金貨2枚以上[注釈 7])演出が入り、アトラクションをクリア出来なかった場合は青文字で「Not Cleared!!」と画面下の中央に表示され(復活特番などでは水色文字で「NOT CLEAR」、初期は赤文字で「Not」、前述の白文字で「Cleared!!」)、CGで金貨が落ちる(初期は割れる)演出が入る。 全アトラクションをクリアした場合は「グランドスラム」となり、スタジオが暗転し、ゲストにスポットライトが当たって、ファンファーレが鳴り響き(この時、画面上部に金文字で「GRAND SLAM」と表示される)、キャノン砲で大量の紙吹雪が舞い、ミッキーマウスとミニーマウスのぬいぐるみ[注釈 8]、全日空のビジネスクラス「CLUB ANA」による、アメリカ・カリフォルニアのディズニーランド旅行獲得(少人数の場合はそれぞれがペア、大人数の場合は全員分)となり、目録が贈られる。2008年11月のリニューアル以前は、ディズニーランド・パリ旅行だった。SPでゲストが大人数の場合は、ロサンゼルス往復航空券になる場合がある。 あくまで「全アトラクションをクリア」が条件であるため、「スペシャルチャレンジ」によって獲得金貨が5枚以上になったとしても、他のアトラクションで、失敗したものが1つでもあれば「グランドスラム」は達成できない。また、放送回によっては、全アトラクションをクリアできず、「『逆』グランドスラム」となってしまったゲストも存在する。 挑戦するアトラクションの順番は、基本的には以下の通りとなっている(『ムーブ』時代では、アトラクションの種類、放送時間によっては全6アトラクションとなっている)。
ムーブ時代では、第2(または第3)アトラクションで「ウォールクラッシュ」が行われたこともあった。第4アトラクションは、長らく「クイズ!ボディ&ブレイン」で固定されていた。後に「クイズ!ピクチャー5」が不定期で登場し、2009年頃からは第2 - 第3アトラクション同様、週変わりのアトラクションが登場した。 ゲストの中に「日本語をあまり理解できない、または通訳を要する」外国人がいる場合や、ゲストの参加人数が多い場合は、「クイズ!ボディ&ブレイン」の代わりに、アーケードゲーム(主にスペシャル限定の、ミニゲームが集合したアトラクション)が行われる場合もある。 腰痛持ちの人が来園した場合、その負担軽減への配慮として、第1アトラクション(ウォールクラッシュ)が別のアトラクションに変更されるケースもあった。2010年4月以降は、「ウォールクラッシュ」が第1アトラクションでなかったり、第1アトラクション以外に登場することが以前に比べて多くなっていた。 対抗戦(後述)では、基本的に下記のアトラクションが、以下の順番で行われる。
『ムーブ』時代には、第1アトラクションの前に、オープニングアトラクションとして、ゲストの出演番組、映画宣伝のポスターをジグソーパズルにして制限時間内に完成させる「PRジグソーパズル」があった。なお、このアトラクションは、金貨獲得の対象ではない。 →アトラクションの詳細については「東京フレンドパークのアトラクション一覧」を参照
最後のアトラクションが終わると、副支配人の渡辺が、ビッグチャレンジへの送りコメント[注釈 9]を言った後に、CMに入る前のジングルが流れた後、CMに入っていた。 ビッグチャレンジ番組最後のコーナー「ビッグチャレンジ」では、獲得した金貨1枚につき1本の矢と交換し、ダーツに挑戦できる[注釈 10]。ダーツの矢は形式上、獲得した金貨で「購入する」ことになっている。 支配人の「回して!」という合図でダーツの的が回転し、ゲストがその的に向かってダーツの矢を投げ、ダーツの矢が刺さったゾーンに書かれた賞品を獲得できる。 賞品は、ゲストが予めいくつか希望しており、ペアの場合は2種類ずつ、3人の場合は1人だけ2種類か全員1種類、その他のスペシャルなどでは全員1種類ずつである。価格としては20 - 30万円の物を希望でき、後期の希望賞品に多かった旅行券や商品券などの金券の場合は必ず20万円分と明記されていた。 ダーツの的には賞品のほかに「たわし」というゾーンがあり、そこに矢が刺さってしまった場合は、フランキー為谷(2008年11月以降は西秋元喜)が腰を低くしてクリアケースに梱包されたたわしを贈呈する。 また、ダーツの的には、1か所だけ赤色のゾーンが存在し、そのゾーンに矢が当たるとひときわ豪華な賞品が貰える。 通常放送では自動車が貰える(後述)。毎回、渡辺が「運がよければ、こちらを差し上げます」と言って、当番組のスタッフから見て、セットの観客席右側後方のカーテンが落ち、車が登場する(この時、毎回、石塚が車の隣にいてポーズをとっていた。ムーブ最終回ではフランキー為谷が車の窓につかまっていた)。スペシャル版やTFP2017以降では、自動車の代わりに旅行券がスペシャル賞品になる場合がある。 スペシャル賞品獲得後の豪華賞品ゾーンは「ラッキーゾーン」となり、そのゾーンに矢が当たれば、用意した賞品から任意の物を1つ獲得できる。2008年11月から自動車がダーツの矢1本につき1台獲得に変更されたため「ラッキーゾーン」は事実上廃止となったが、2009年12月17日のプロ野球スペシャルの視聴者プレゼントで、7つの商品の中から4つの賞品を獲得できる形式で登場した。対抗戦の一時期は、敗北チーム向けの大当たりとなっていた。 リクエスト賞品とたわしは、そのゾーンにダーツの矢が刺されば何回でもプレゼントされる。ダーツの矢を投げた後、テレビの画面には「(賞品名)獲得」「たわし獲得」「大ハズレ」といったテロップが表示されるが、同じ賞品やたわしやハズレが複数回あった場合は、テロップの上に小さく「またまた!」(2回目)や「またまたまた!」(3回目以降)というテロップが追加される。2010年10月以降は2回目は「また」、3回目以降は「またまた」に変更された。 2011年3月20日(同年3月14日の振替)・3月21日放送分は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響により、視聴者プレゼント分も含めたビッグチャレンジがカットされた。最終回でもビッグチャレンジは行われなかったため、レギュラー放送での事実上最後のビッグチャレンジの実施は、同年3月7日放送分となった。 ダーツの矢がダーツの的から完全に外れた場合は何も得られず(当初は「大ハズレ」と表記、後に「ハズレ」となる)、次回放送にて矢が刺さった位置に「←(名前)様(回数[注釈 11])」と書かれたシールが貼られ、半永久的に残されることとなる。矢が的に刺さっても、的の回転を止める前に矢が落ちた場合もハズレとなってしまう(ただし、矢の本体を残して羽の部分だけが落ちた場合はハズレにはならない)。「ムーブ」時代を含め、番組開始以来の大ハズレ第1号は「ムーブ」時代第5回の髙嶋政宏であった。 復活特番の際にも、ダーツのセットの周りに過去のレギュラー放送時に大ハズレを出した来園者の名前の記載が再現されている。ここでも以前と同じく、大ハズレとなった場合は刺した箇所に後日「←(名前)様(回数[注釈 11])」と書かれたシールが貼られ、半永久的に残ってしまう。これ以降は敗れた2チームの当たりゾーンがあり、そこに矢が当たった場合、当たったチームの希望賞品が与えられる。スペシャル賞品を獲得した場合は「全部」に変わり、チームの希望賞品を全て獲得できる(レギュラー時代の、視聴者向けの大当たりと同じ)。 視聴者プレゼント毎週、ゲストの挑戦が終わった後に番組宛にはがきを送った全国の視聴者の中から抽選で1人に賞品の獲得権が与えられ、ゲストが視聴者へのプレゼントのためのダーツに挑戦する。金貨獲得数とは別枠のため、ゲストの獲得金貨が0枚の場合も視聴者向けのダーツ挑戦は行われる。ゲストの1人がハガキを選出して当選者の氏名を読み上げ、別の1人がダーツを投げる。大ハズレの場合はプレゼントはなく[注釈 12]、代わりにお詫びとしてゲストがサインを書いてプレゼントする。また、2006年4月3日放送のTBSアナウンサーSPの際にはゲストが希望した賞品をそれぞれ4人分用意し、1つは本人が持ち帰り、残り3つは視聴者へプレゼントする形が取られた[注釈 13]。例として2007年6月18日放送で山本裕典が「全部」のゾーンに当てた事がある。 この視聴者用ダーツを行うきっかけとなったのは、ムーブ時代の第6回にて、番組宛に届いた1通のお便りからだった。このお便りを読んだ支配人が、お礼にダーツの矢を投げて当たった賞品をプレゼントしたというのが始まりで、それ以降番組では、ダーツ用の宛先を用意することになった。その翌週からは、視聴者プレゼント用の専用的(ゲストの希望商品やたわしはなく、中央も含めすべての的で何かしら良い商品が当たる仕様)が用意され、毎週1枚のお便りに対して、1本のダーツをゲストの1人が投げる現在のスタイルが形成されたが[注釈 14]、視聴者もゲストと同じたわしつきの的になったのはムーブ時代の第9回から。この時に視聴者用の自動車プレゼントも登場し、最初の視聴者プレゼントの自動車はダイハツ・オプティであった。 1996年4月から2010年3月までは、視聴者向けの大当たりの賞品を発表する際に、石塚がダジャレ(その週のハイパーホッケーの着ぐるみやゲストにかけたダジャレが多い)を言うのが恒例だった。このシーンはたびたび瞬間最高視聴率を記録し、TBSで毎週土曜日放送の『王様のブランチ』の中の「TBS瞬間最高視聴率ランキング」で毎週のようにランクインしていた。しかし、年が経つにつれて過去のネタを使い回すことも多くなり、2010年4月以降は廃止された。 賞品の自動車の変遷『ムーブ』時代は、番組開始当初の3か月間のみダイハツ・ラガーで、その後はダイハツ・ロッキーR4に変わった。掛け声と手拍子はなく、ただティンパニロールが流れるだけだった。ダーツの的も「自動車」と言うシンプルな表記であった。また、視聴者プレゼントはダイハツ・オプティが用意されていた。 1993年4月から2010年3月までは三菱・パジェロとなり、的の表記も「パジェロ」へ変更された。また、『ムーブ』時代末期になってからは応援団(番組観覧者)による「パジェロ!パジェロ!」の掛け声と手拍子が導入され、番組の代名詞ともいえるほど広く一般に知られるようになった[注釈 15]。当たった後はラッキーゾーンとなり、当たると好きな商品と交換が出来る。掛け声は「ラッキーゾーン!ラッキーゾーン!」となる。また、TFP2初期は、車はパジェロとFTOの2種類から選ぶこともできた。 自動車の競合他社(トヨタ自動車、日産自動車、マツダなど)が親会社あるいは、主要株主となっている団体に所属している、あるいは個人スポンサーとなっているスポーツ選手が当番組に出演した場合は、上記のこれらに配慮して他の賞品に変えたことがあった。 2004年6月に、三菱リコール隠しが発覚した際は、同社が当番組のスポンサーを一時降板したため、2004年6月28日の放送分からは、自動車ではなくラスベガス10日間の旅に変更し、同年11月1日の放送分から2006年9月までは、ランドローバー・フリーランダーが賞品となっていた(2004年6月以前に収録したものは、冒頭の商品紹介の際に収録日のテロップを挿入し、応援団が発していた「パジェロ!パジェロ!」の音声部分を、「クルマ!クルマ!」に差し替える措置が採られた。上記のリコール隠し事件発生時においても同様の措置を採った)。 また、視聴者プレゼントにおいては、ムーブ時代からTFP2初期はミラージュ、その後はパジェロミニ、パジェロジュニア、RVR、パジェロイオなどがプレゼントされたが、2004年6月以降は赤色のゾーンに書かれた自動車のゾーンが「全部」と書かれた黄色のゾーン(一時期は水色のゾーン)に変わり、そのゾーンに矢が当たればその回のゲストの希望賞品すべてをプレゼントしていた(この時、ゲストが視聴者プレゼント用のダーツを投げる際には応援団が「全部!全部!」と掛け声を発していた)。 2006年10月より三菱自動車のスポンサー復帰及び、パジェロのフルモデルチェンジに伴い、同年10月16日放送分より、パジェロが再び賞品になった。ただし、視聴者プレゼントは「全部」のままであった[注釈 16]。2008年11月のリニューアルからは、従来ダーツの矢1本で挑戦者の人数分[注釈 17]プレゼントされていたのが、ダーツの矢1本で1台までとなり、また、パジェロがガソリン車から、クリーンディーゼル車に変更された。 2010年4月5日放送分からは、自動車はトヨタ・パッソに変更された。応援団の掛け声も「パピプペパッソ!」(当時のパッソのCMソングから取ったもの)に変わった。視聴者プレゼントも同様にパッソとなり、約6年ぶりに視聴者プレゼントの豪華賞品が自動車に戻った形となった。 エンディング「ビッグチャレンジ」が終わると、出演者全員が横一列に並び、関口がゲストに感想を尋ね、ゲストが感想を述べ始めた辺りから画面下部にエンドロールが表示される。感想を述べ終えたところで、関口が「またいらしてください。どうもありがとうございました」と挨拶(場合によってはここで1人ずつ握手を交わしていた)して、翌週のゲストを告知[注釈 18]して「開園は夜7時[注釈 19]、また来週、さようなら!」と締めの挨拶をしたところで[注釈 20]スタジオの引きの映像に切り替わり、画面下部にエンドカードが表示されて番組は終了した。なお、ムーブ時代は最末期を除き挨拶の後に「今月の歌」(1ヶ月毎に変わる各曜日共通のエンディング曲、同枠の項も参照)、TFP2初期は挨拶の後に提供クレジットとCMを挟んでゲストが収録後に感想や反省を述べるエンドカードとなっていた。 対抗戦2009年12月10日放送分から、特別企画として実施されていた。 2チームによる対抗戦形式で、アトラクションのルールも全て2チームが対決する仕様・ルールに変更されていた。全アトラクション勝利で「グランドスラム」達成となる。 5つのアトラクションが(2009年12月10日放送分は第4アトラクションまで行われた。特番では第7アトラクションまで行われた。)実施されていた。各アトラクションでは、勝利したチームに金貨が贈られ、獲得した金貨の枚数で総合優勝チームを決定する。最後の「ハイパーホッケー」は最大2枚の金貨獲得で、逆転や同点決勝が見込めるアトラクションとなっている。 ビッグチャレンジは両チームが挑戦できるが、勝利チームは通常サイズの的で、敗北チームは通常よりもかなり小さい的で、それぞれダーツに挑戦。2009年12月10日放送分は、敗北チームのダーツの的の中央の「たわし」部分のサイズも勝ちチームと同じであったため、的で「たわし」の占めるサイズがかなり大きかったが、2010年1月14日放送分以降は、周辺に合わせて中央の「たわし」も縮小、幾分か賞品を獲得し易くなった。視聴者のダーツは、勝利チームが自チームの的で行い、「全部」に当たった場合は勝利チームの希望賞品を全部獲得となる。 2010年2月25日放送では、大幅に対抗戦のルールが改められた。5つのアトラクション行うが、2チーム対決を行うのは第4アトラクションまでされている。そこで、総合優勝を決めたチームが、獲得した金貨の増量(およびグランドスラム)を賭けたスペシャルアトラクション「ハイパーホッケー」に挑戦(敗北チームは客席で観戦)という形式に変更された。 ビッグチャレンジも、各チームの希望賞品(2010年2月25日・3月18日放送では1人1品、同年3月11日放送では1人2品)が記載された通常サイズの的が各チームに1枚ずつ用意されるが、挑戦できるのは勝ちチームのみである。敗北チームが獲得した金貨は、持ち帰りとなる。 2010年3月29日放送分からは、ハイパーホッケーまでのルールこそ変わらないものの、再び敗北チームにもビッグチャレンジへの挑戦権が与えられるようになった。2010年3月29日放送分では、ダーツ板に全チームの希望商品が書かれており、敗北チームは「スペシャル賞品」に相当する部分が、当てた人が任意の賞品を1品獲得できる「ラッキーゾーン」となっている点だけが敗北チームとの差異である。同年4月12日放送分では、敗北チームのダーツ板は勝利チームと同じ大きさではあるが、賞品エリアの外側がたわしゾーンとなり、勝利チームに比べて賞品エリアが小さくなっている。また、賞品は、個人・2人共通の希望賞品の計3つとなった。 スペシャル版「特別営業」と呼ばれているスペシャルは、原則として春・秋の番組改編期・年末年始に放送していた。3時間半[注釈 21]、3時間[注釈 22]、2時間半、2時間、1時間半のバージョンが放送されてきた。かつて1時間半ないし2時間半のバージョンでは、当時の夕方のニュース番組(『JNNニュースの森』→『イブニング・ファイブ〈全国ニュース枠は『JNNイブニング・ニュース』〉』)が30分繰り上がったことがあったが、2004年12月の「貴乃花部屋親方衆」のときは、前枠の『JNNニュースの森』が18:00 - 18:30の短縮版と年末年始編成だったため、時間繰り上げはなかった。 2001年4月から2009年3月までと2010年4月以降は、『ナショナル劇場』→『パナソニック ドラマシアター』の繋ぎとして改編期や年末年始に2週連続または2回スペシャルが放送されることもあった[注釈 23]。 スペシャル時はゲストメンバーの人数が通常時より多人数で、アトラクション数も通常より多くなることがある。スペシャルならではのアトラクション「アーケード」も登場したり、アトラクション自体が、チームや放送時期にちなんだ装飾が施される場合もあった。「ビッグチャレンジ」における豪華賞品もいつもの自動車とは異なった賞品が用意されることもあった。 これまでに、以下のチームなどが出演した。
上記ジャニーズグループは、OPで持ち歌を歌うことが慣例だった。(1996年9月30日のV6と2003年1月2日のSMAPを除く)
野球
→「§ プロ野球スペシャル」も参照
サッカー
相撲
その他のスポーツ
複数のスポーツのアスリート
ドラマ・映画
バラエティ・情報番組
プロ野球スペシャル1995年からは毎年恒例で、プロ野球選手によるチームがフレンドパークのアトラクションに挑戦している。出演するのは主に同年の日本シリーズ優勝チームである(1995年、1997年-2003年、2009年は年末最終放送のゲストがこの年の日本シリーズ優勝チームの選手となっていた)。チームと結果(アトラクション数と獲得金貨枚数)は次の通り。
日本シリーズ制覇やリーグ優勝とは関係なく来園
ミニ番組1999年4月より、来園者のインタビューをメインとしたミニ番組を開始。『後のまつり』は月曜日時代の本編放送後に、『ナビっち』は木曜日時代の本編開始前に放送している。TBSではすべての番組を通してエフ・ジェー・ネクストの一社提供。 後のまつり(第1期)本編終了後の19:54から(実際には19:55 - 19:56)放送された(新聞等の番組表では特記されていないものの、編成上は別番組となる)。2005年3月までは北陸放送でも放送されていた。 従業員・西秋元喜が当日の来園者の楽屋を訪れ、来園者とその日の活躍を振り返るトークが中心。映画や舞台などのチームで来園した場合、番組本編ではなくここで宣伝が行われるケースがほとんどである。 重大なニュースが入った場合はニュースに差し替えられる。特別営業や20:00から1時間以上の特番が組まれた場合は、この時間帯に『JNNフラッシュニュース』を放送したため休止した。 ナビっち → もうすぐ関口宏の東京フレンドパークII2009年春の放送枠移動を期に、19:50からミニ番宣番組『ナビっち』内で同年4月23日開始(実際は4月2日に開始)。その後6月末で『ナビっち』木曜の放送が終了したのに伴い、番組表上では『関口宏の東京フレンドパークII』の放送開始時間が5分繰り上がる形式になっている。 TBSテレビ以外では、新潟放送・北陸放送・中部日本放送(現・CBCテレビ)でも放送されていた。 内容は、2002年春に月曜18:55開始へ変更された当初設けられていた、従業員で当時TBSアナウンサーの小林豊による来園者インタビューの復活版を放送していたが、同年秋にはインタビューがなくなり、オーソドックスな本編予告になった。 後のまつり(第2期)月曜19時台に戻った2010年4月12日より「後のまつり」も復活したが、第1期と違って番組表等にも掲載されるようになり、名実共に単独番組となったのに加え、2時間SPなどの場合でも放送されるようになった。インタビュアーは同時期に新従業員となった当時TBSアナウンサーの田中みな実に交代した。TBSテレビ(関東ローカル)のみ放送された。 グランドスラム関連の記録グランドスラム達成者グランドスラムを達成したゲストは全53組。また、開園した1992年と1995年と1998年とチーム対抗戦SPでは1組もいなかった。そのうち、リクエスト賞品および豪華賞品(たわしを除いて)を1つも獲得出来なかったのは榊原郁恵と井森美幸(2007年11月5日放送分)のみ、車およびスペシャル賞品を射止めたのは11組である。なお放送回数は「TFP2」でのレギュラー放送のカウントとし、放送年度は当年4月から翌年3月までとする。
逆グランドスラム達成者(TFP2以降)アトラクションを1つもクリアできなかったチーム。『ムーブ』時代は逆グランドスラム達成者はなし。
また、さまぁ〜ず(2001年2月26日・第314回)や布施明・華原朋美(2005年4月11日・第498回)のように、結果的にはアトラクションを1つもクリアしていない逆グランドスラムだが、スペシャルチャレンジの成功で金貨一枚を手に入れたというケースもある。 ゲームをすべてクリアした上で、ダーツでパジェロを獲得したペア
出典は[8] スタッフ復活特番
最終回時点
過去
関連ゲームこの番組は2000年代に体感ゲームなどをはじめとしてコンピュータゲーム化されている。発売ラインナップは以下の通り。なお、ゲーム版は従業員は支配人・副支配人・ホンジャマカのみである(Wii版のみ女性従業員も登場)。携帯サイト「TBSゲームパーク」にも本作を参考にしたflashゲームが利用者に複数提供されている。 以下に示した物以外にも、セガサターン専用ソフトとして、「デリソバデラックス」がゲーム化されたこともあった(ケイブ開発)。視聴者プレゼントされたが、非売品。 体感ゲーム
ゲームソフト
ネット局レギュラー放送終了時点
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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