秋田 豊(あきた ゆたか、1970年8月6日 - )は、愛知県名古屋市中村区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者、実業家(株式会社サンクトジャパン代表取締役)。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。
1998年、2002年のW杯メンバー。
2022年10月から2024年11月まで株式会社いわてアスリートクラブの代表取締役オーナー兼代表取締役社長を務めた[1]。
経歴
選手経歴
小学生時代は野球、中学生時代は夏に野球、冬にサッカーをしていた[2][3]。中学生時代にはフォワード、センターバックを経験。愛知高等学校から愛知学院大学に特待生で進学した。
1993年に鹿島アントラーズに加入。当初はジーコの推薦で右サイドバックとしてレギュラーに定着し、以降はセンターバックとして活躍。9つのタイトル獲得に貢献した。
サッカー日本代表にも選出され、1998 FIFAワールドカップ・アジア予選が始まった段階ではセンターバックの3番手という立場だったため、4バックが基本のチームでサブメンバーだった。しかし加茂周監督がセンターバックを1枚増やした3バックを導入するとスタメンで出場し、対人や空中戦での強さを見せ評価を急上昇させると、岡田武史体制になり4バックに移行後もレギュラーに定着。ヘディングで2得点するなど、攻撃においてもセットプレイで大きな武器ともなった。1998 FIFAワールドカップ本大会ではアルゼンチンのバティストゥータ、クロアチアのシューケルなど相手のエースのマークを任される。
フィリップ・トルシエ体制では1998年秋の立ち上げ当初こそ招集されるも、まもなく構想から外され招集外となるが、本大会メンバーにまさかのサプライズ選出され、2002 FIFAワールドカップに出場。トルシエ曰く「試合には出ないがチームを纏めるためにベテランが必要」と語っており、実際大会前のテストマッチ1試合の後半途中から出場したのみで、本大会ではフィールドプレイヤーとして唯一出場機会がなかった。
代表監督がジーコに変わると立ち上げ当初はレギュラーストッパーとして招集されるが、バックラインの総入れ替えを断行されて以来、呼ばれることはなかった。
2003年のリーグ終了後戦力外通告を受け、名古屋グランパスエイトに移籍。移籍1年目の2004年はレギュラーとして活躍。以降は増川隆洋の加入や年齢もあって控えに回ることが多くなった。
2006年シーズン終了後に名古屋から戦力外通告を受け、この年J2に降格した京都サンガF.C.へ移籍。出場機会は多くなかったが、リーグ戦3位で進出したJ1・J2入れ替え戦では既に引退を発表した中で2戦ともベンチ入りし、2戦目にはこのまま引き分けなら昇格という場面で後半ロスタイムに出場し、クラブのJ1への昇格を経験した。
シーズン終了後、FC琉球の総監督に就任したフィリップ・トルシエから現役復帰のオファーがあったが、これを固辞。現役引退を表明し、2008年シーズンより京都のトップチームコーチに就任することが決定した。
指導者経歴
2009年2月1日には、茨城県立カシマサッカースタジアムにて鹿島アントラーズ対ジュビロ磐田を対戦カードとして引退試合が行われる。同年11月30日には、監督職に必要なS級ライセンスを取得。
2010年7月、成績不振により解任された加藤久の後任として、コーチから京都の監督に昇格した。当初は2011年までの1年半契約となっており、チームがJ2に降格しても続投する方針だったが、就任後2勝3分14敗という不振から2011年度の契約更新を撤回され、わずか半年で解任となった。
2012年、東京ヴェルディトップチームのコーチに就任[4]。11月、東京Vとの契約を解除し[5]、FC町田ゼルビアの監督に就任した[6]。2013年シーズンは前半戦で3位につけるも、天皇杯のシード権を逃し、6月25日に解任された[7]。
町田監督退任後の2013年8月23日、ジュビロ磐田がコーチ就任のオファーを出したと一部スポーツ紙で報じられたが、その日のうちに磐田側から完全否定された[8][9]。
2020年よりいわてグルージャ盛岡の監督に就任すると発表され[10]、2021年にJ3リーグで2位フィニッシュ、初のJ2昇格に導いた。2022年の東北ダービー・ブラウブリッツ秋田戦では、秋田の顔が印刷されたお面が配布され話題を呼んだ[11]。監督としては2022年シーズン終了後に退任した。
経営者時代
現役引退後は実業家としても活動しており、サンクト・ジャパンの代表取締役社長としてトレーニング器具の販売を手掛けている[12]。
2022年10月、いわてグルージャ盛岡を運営する「株式会社いわてアスリートクラブ」の社長に就任[1]。また大株主のNOVAホールディングスから株式33.4%を譲り受け、同社のオーナーとなった[13]。
2024年11月25日、いわてアスリートクラブの保有株をNOVAホールディングスに譲渡し、代表取締役社長兼オーナーから退任した[14][15]。
指導者時代(第2期)
2024年12月22日、新たにJリーグに参入した高知ユナイテッドSCの監督就任が発表された[16]。2025年6月29日、指導にパワーハラスメントがあったと選手やスタッフから申し立てが行われたことを受け、同日より当面の間休養することが発表された。秋田自身はこうした申し立てに至ったことについて謝罪しつつも、その内容には一部事実ではないものがあるとも主張し、特別調査委員会による調査にて自身の見解を伝える意向を示した[17]。
その他
2015年、本田圭佑がプロデュースを行っているSOLTILO FCユースとジュニアユースのスーパーアドバイザーに就任。
またeSports関連の活動も行っている。N高等学校サッカー部の特別顧問に就任し、2018年アジア競技大会のeSports(ウイニングイレブン 2018)競技に日本代表として出場した選手の指導を行い[18]、2018年9月には元チームメイトの岡山哲也とともに、eSportsの選手育成を行う「eスポーツジャパン」を発足させ、アジア大会や五輪への出場を目標に選手の指導を行うことを発表した[19][20]。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 | オープン杯 |
期間通算 |
出場 | 得点 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
出場 | 得点 |
日本
| リーグ戦 |
リーグ杯 | 天皇杯
|
期間通算
|
1993 |
鹿島 |
- |
J |
35 |
0 |
5 |
1 |
5 |
2 |
45 |
3
|
1994 |
38 |
4 |
1 |
0 |
0 |
0 |
39 |
4
|
1995 |
50 |
0 |
- |
4 |
0 |
54 |
0
|
1996 |
16 |
0 |
4 |
0 |
3 |
0 |
23 |
0
|
1997 |
3 |
21 |
3 |
2 |
2 |
5 |
1 |
28 |
6
|
1998 |
32 |
3 |
1 |
0 |
4 |
0 |
37 |
3
|
1999 |
J1 |
28 |
2 |
6 |
1 |
2 |
0 |
36 |
3
|
2000 |
28 |
1 |
7 |
0 |
4 |
1 |
39 |
2
|
2001 |
29 |
2 |
6 |
1 |
2 |
0 |
37 |
3
|
2002 |
29 |
4 |
8 |
0 |
5 |
1 |
42 |
5
|
2003 |
28 |
1 |
5 |
0 |
4 |
1 |
37 |
2
|
2004 |
名古屋 |
2 |
26 |
0 |
7 |
0 |
2 |
0 |
35 |
0
|
2005 |
19 |
1 |
0 |
0 |
2 |
0 |
21 |
1
|
2006 |
12 |
2 |
3 |
0 |
1 |
0 |
16 |
2
|
2007 |
京都 |
J2 |
14 |
0 |
- |
0 |
0 |
14 |
0
|
通算 |
日本 |
J1
|
391 |
23 |
55 |
5 |
43 |
6 |
489 |
34
|
日本 |
J2
|
14 |
0 |
- |
0 |
0 |
14 |
0
|
総通算
|
405 |
23 |
55 |
5 |
43 |
6 |
503 |
34
|
その他の公式戦
- 1993年
- 1996年
- 1997年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1998年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
- 1999年
- 2000年
- 2001年
- スーパーカップ 1試合0得点
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合1得点
- 2002年
- 2007年
その他の国際公式戦
- 1998年 - 1999年
- 1999年 - 2000年
- 2001年 - 2002年
- 2003年
タイトル
選手時代
クラブ
- 鹿島アントラーズ
- Jリーグ年間王者:4回 (1996年、1998年、2000年、2001年)
- Jリーグ1st優勝:2回 (1993年、1997年)
- Jリーグ2nd優勝:3回 (1998年、2000年、2001年)
- 天皇杯優勝:2回 (1997年、2000年)
- Jリーグカップ優勝:3回 (1997年、2000年、2002年)
- スーパーカップ優勝:3回 (1997年、1998年、1999年)
- A3チャンピオンズカップ優勝:1回 (2003年)
個人
- Jリーグベストイレブン:4回 (1997年、1998年、2000年、2001年)
- JリーグチャンピオンシップMVP (1998年)
- AFC All Star Team (1998年)
- A3チャンピオンズカップMVP (2003年)
- アントラーズ功労賞 (2009年)
監督時代
個人
代表歴
出場大会など
試合数
- 国際Aマッチ 44試合 4得点(1995-2003)
出場
得点
引退試合
- 出場選手
- 高桑大二朗、名良橋晃、秋田豊、奥野僚右、相馬直樹、本田泰人、サントス、石井正忠、増田忠俊、黒崎久志、マジーニョ、曽ヶ端準、内藤就行、岩政大樹、池内友彦、金古聖司、本山雅志、中田浩二、熊谷浩二、野沢拓也、小笠原満男、長谷川祥之、深井正樹、鈴木隆行
- 大神友明、山西尊裕、古賀琢磨、渡邉一平、名波浩、福西崇史、藤田俊哉、三浦文丈、川口信男、高原直泰、中山雅史、佐藤洋平、鈴木秀人、大岩剛、田中誠、西紀寛、倉貫一毅、松原良香
指導歴
監督成績
- 2010年は第15節より指揮。(第15節は監督代行として)
- 2012年は天皇杯4回戦の1試合のみ指揮。
- 2013年は第17節、解任時の成績。
著書
脚注
関連項目
外部リンク
タイトル・受賞歴 |
---|
|
---|
J1 |
1990年代 |
- 93: 大野俊三, 柱谷哲二, ペレイラ, 井原正巳, 堀池巧
- 94: ペレイラ, 井原正巳, 名塚善寛
- 95: 相馬直樹, 井原正巳, ブッフバルト
- 96: 相馬直樹, 井原正巳, ブッフバルト
- 97: 相馬直樹, 井原正巳, 秋田豊
- 98: 相馬直樹, 田中誠, 秋田豊
- 99: 中澤佑二, 斉藤俊秀, 森岡隆三
|
---|
2000年代 |
- 00: 秋田豊, 洪明甫, 松田直樹
- 01: 大岩剛, 秋田豊, 名良橋晃
- 02: 鈴木秀人, 田中誠, 松田直樹
- 03: 坪井慶介, ドゥトラ, 中澤佑二
- 04: 田中マルクス闘莉王, ドゥトラ, 中澤佑二
- 05: ストヤノフ, 田中マルクス闘莉王, 中澤佑二
- 06: 田中マルクス闘莉王, 山口智, 加地亮
- 07: 岩政大樹, 田中マルクス闘莉王, 山口智
- 08: 岩政大樹, 内田篤人, 中澤佑二, 田中マルクス闘莉王, 山口智
- 09: 岩政大樹, 内田篤人, 田中マルクス闘莉王, 長友佑都
|
---|
2010年代 |
- 10: 田中マルクス闘莉王, 増川隆洋, 槙野智章
- 11: 近藤直也, 酒井宏樹, 田中マルクス闘莉王
- 12: 駒野友一, 田中マルクス闘莉王, 水本裕貴
- 13: 那須大亮, 森重真人, 中澤佑二
- 14: 太田宏介, 森重真人, 塩谷司
- 15: 槙野智章, 森重真人, 太田宏介, 塩谷司
- 16: 昌子源, 槙野智章, 森重真人, 塩谷司
- 17: 昌子源, 西大伍, エウシーニョ, 車屋紳太郎
- 18: 西大伍, エウシーニョ, 車屋紳太郎, 谷口彰悟
- 19: 室屋成, 森重真人, チアゴ・マルチンス
|
---|
2020年代 |
- 20: 山根視来, ジェジエウ, 谷口彰悟, 登里享平
- 21: ジェジエウ, 谷口彰悟, 山根視来
- 22: 谷口彰悟, 岩田智輝, 山根視来, 小池龍太
- 23: アレクサンダー・ショルツ, マリウス・ホイブラーテン, 毎熊晟矢, 酒井高徳
- 24: 濃野公人, 中谷進之介, マテウス・トゥーレル, 佐々木翔
|
---|
|
---|
J2 |
|
---|
J3 |
|
---|
ベストイレブン(GK - DF - MF - FW) - JCB |
|
---|
※記述のない年は該当者なし | 1990年代 | |
---|
2000年代 |
- 00: 松永成立
- 01: ストイコビッチ
- 02: サントス
- 03: 井原正巳, 福田正博, 北澤豪
- 05: ビスマルク
- 06: 相馬直樹, 小島伸幸, 澤登正朗
- 07: 本田泰人, アマラオ, 城彰二
- 08: 秋田豊, 名良橋晃, 黒崎久志, 山口素弘
- 09: 小村徳男, 加藤望, 名波浩, 福西崇史, 森岡隆三, 森島寛晃
|
---|
2010年代 |
- 11: 三浦淳宏, 松田直樹
- 12: 藤田俊哉, 田中誠
- 13: 中山雅史, 土肥洋一, 服部公太
- 14: 伊藤宏樹, 岡野雅行, ジュニーニョ, 服部年宏, 波戸康広, 山田暢久, 吉田孝行, ルーカス
- 15: 宮本恒靖, 柳沢敦, 中田浩二, 新井場徹, 藤本主税
- 16: 山口智, 鈴木啓太
- 17: 市川大祐, 大島秀夫
- 18: 石原克哉, 加地亮, 坂田大輔, 土屋征夫, 羽生直剛
- 19: 小笠原満男, 川口能活, 中澤佑二, 楢﨑正剛, 播戸竜二, 巻誠一郎, 森﨑和幸, アレックス
|
---|
2020年代 |
- 20: 佐藤勇人, 那須大亮, 明神智和
- 21: 大黒将志, 佐藤寿人, 清水健太, 曽ヶ端準, 徳永悠平, 中村憲剛, 前田遼一
- 22: 青木剛, 阿部勇樹, 石原直樹, 大久保嘉人, 角田誠, 小林祐三, 高橋義希, 田中達也, 田中マルクス闘莉王, 田中佑昌, 玉田圭司, 谷澤達也
- 23: 上里一将, 大谷秀和, 駒野友一, 田中隼磨, 鄭大世, 富田晋伍, 中村俊輔, 橋本英郎, 藤本淳吾, 槙野智章, 水本裕貴, 本山雅志, 赤嶺真吾
- 24: 遠藤保仁, 柏木陽介, 柴﨑晃誠, 林卓人, 南雄太, 梁勇基, 渡邉千真
|
---|
Jリーグアウォーズ(最優秀選手賞 - JB11 - 得点王 - JBYP賞 - JFP個人賞 - J2MEP - 功労選手賞 - 最優秀監督賞 - 最優秀主審賞 - 最優秀副審賞 - JBP賞) |
|
---|
1995年-2016年は「最優秀監督賞」、1993年-94年,2017年-は「優秀監督賞」 | 最優秀/優秀監督賞 |
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 |
- 20: 宮本恒靖, 小林伸二, 三浦文丈
- 21: リカルド・ロドリゲス, 曺貴裁, 秋田豊
- 22: ミヒャエル・スキッベ, 大木武, 須藤大輔
- 23: 長谷部茂利, 横内昭展, フリアン
- 24: ミヒャエル・スキッベ, 四方田修平, 寺田周平
|
---|
|
---|
優勝監督賞 |
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 |
- 20: 鬼木達, リカルド・ロドリゲス, 吉田謙
- 21: 鬼木達, 鈴木政一, 大木武
- 22: ケヴィン・マスカット, 松橋力蔵, 村主博正
- 23: 吉田孝行, 黒田剛, 石丸清隆
- 24: 吉田孝行, 秋葉忠宏, 長澤徹
|
---|
|
---|
|
|
監督歴 |
---|
|
---|
京都紫郊クラブ / 京都紫光クラブ |
- n/a ? - 1966
- 今大路仟 1967 - 1971
- 嶋谷征四郎 1972 - 1974
- 米沢研二 1975 - 1976
- 嶋谷征四郎 1977 - 1979
- 板谷照夫 1980 - 1981
- 江見敏夫 1982
- 木村文治 1983 - 1990
- 来栖孝治 1991 - 1992
- 高間武 1993
|
---|
京都パープルサンガ / 京都サンガF.C. |
- 美濃部直彦 2006.10 - 2007.10
- 加藤久 2007.10 - 2010.7
- 秋田豊 2010.7 - 2010.12
- 大木武 2011 - 2013
- バドゥ 2014 - 2014.6
- 森下仁志(代行) 2014.6
- 川勝良一 2014.6 - 2014.12
- 和田昌裕 2015 - 2015.7
|
---|
|
---|
ヴィラノーバ盛岡 | |
---|
グルージャ盛岡 / いわてグルージャ盛岡 | |
---|
|
|