富司純子
富司 純子(ふじ すみこ、1945年〈昭和20年〉12月1日[1]- )は、日本の女優・司会者。血液型O型。和歌山県御坊市出身[2]。旧芸名は藤 純子(ふじ じゅんこ)。本名は寺嶋 純子(てらじま じゅんこ)、旧姓は俊藤(しゅんどう)。2007年(平成19年)に紫綬褒章受章[3]。2016年(平成28年)春の叙勲で旭日小綬章を受章[4]。 来歴![]() 疎開先の御坊市で生まれ[2][5]、5歳のときに大阪市東成区へ移り[2][5]、7歳から日本舞踊を習う。大阪市立中道小学校、大阪市立本庄中学校卒業[2]。父親・俊藤浩滋は家にはほとんど帰ってこない火宅の人で、母と祖母に苦労して育てられる[5]。中学のときに宝塚歌劇のファンになり、中学卒業時に宝塚音楽学校を受験しようと考えて、宝塚コドモアテネに通っていたことがあった。しかしながら、父の反対があり受験を断念[6]。 1962年(昭和37年)、四條畷学園高等学校2年生のときに[2]、よみうりテレビの歌謡番組『ハイハイ、マヒナです』のカバーガールとして姉・允子とともに出演[2]。その当時は大阪の芸能プロダクションに所属していた[6]。同年一家が京都に転居したため[2]、京都女子高等学校に転校[2]。 1963年(昭和38年)、当時共演をしていた名和宏から「松竹のカメラテストを受けてみないか」と誘われ[5]、松竹も東映も当時、京都に撮影所があったため[5]、両方行って父・俊藤浩滋にも会いにいこうとなり[5]、松竹の後、父の勤務先である東映京都撮影所(以下、東映京都)に行った際にマキノ雅弘にスカウトされる[6][7]。俊藤は自分の仕事場に娘が出入りされるのが嫌で猛反対したが[7]、マキノが「俺が責任を持つから、お前は黙っていろ」と俊藤を屈服させた[7]。マキノから藤 純子の芸名をもらい、同年の映画『八州遊侠伝 男の盃』で千葉真一の恋人役でデビューした[1]。松竹のテスト結果は聞いていなかったが、もし松竹に入っていたら人生、全く違っていたと思うと話している[7]。もともと、苦労して育ててくれた母を一日でも早く一人前になって楽にしてあげたいと考えていたから[5]、一人前になれれば、女優でなくてもよかったという[5]。俊藤が東映に深く関わるのは岡田茂が1964年に東映京都所長に就任して以降で[8]、藤は「父が東映にいることもそれまでは知らなかった」と話している[5]。この年は朝日放送のコメディー『スチャラカ社員』の若い女給役で出演している。 1967年(昭和42年)、出演55本目の『尼寺㊙物語』で初主演[9]。1968年(昭和43年)、当時の東映常務兼企画製作本部長・岡田茂が企画した『緋牡丹博徒』の主役に抜擢される[10][11][12][13][14][15]。岡田が俊藤に気付かれないようこっそり藤を呼び[14]、「オヤジは照れてよう口説かんだろうけど、片肌脱げるか。そして入墨入れろ」と説得し[12][13][14]、藤は「分かりました」と即答した[12][13]。同作で主題歌を歌い、映画も大ヒット[16][17]、任侠映画ファンを中心に絶大な支持を得て[2][12][18]、主人公・緋牡丹のお竜(矢野竜子役)は、藤の最大の当たり役となってシリーズ化された[16][19]。若山富三郎・菅原文太と共演した1970年(昭和45年)の第6作目『緋牡丹博徒 お竜参上』はシリーズの代表作となった[1]。『緋牡丹博徒』の成功をみた岡田茂企画本部長は[15][20][21]、『日本女侠伝シリーズ』『女渡世人シリーズ』と合わせ、東映のトップスター・高倉健と並ぶ三つの主演シリーズを敷き[15][22]、藤はまたたく間にスターダムへ駆け上がり、東映の看板女優となった[15][23]。 このころ出演した1969年(昭和44年)の『日本暗殺秘録』と1970年(昭和45年)の『日本侠客伝 昇り龍』を、二作品とも富司の主演ではない映画だが、富司は好きな作品として挙げている[24]。 1972年(昭和47年)、NHKの大河ドラマ『源義経』で共演した歌舞伎俳優の四代目尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎)と結婚し、『関東緋桜一家』を最後に引退を表明[1]。 1974年(昭和49年)、寺島 純子(てらしま じゅんこ)の本名でフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会に就任し、「司会者」として芸能界に復帰。1977年(昭和52年)より3年間、出産・育児のため番組を一時降板したが、1980年(昭和55年)より復帰。歴代司会者では森光子に次いで2番目の長寿司会在任期間(10年11か月)となった。1983年(昭和58年)には、NHK『勇者は語らず いま、日米自動車戦争は』で女優としても復帰。 1989年(平成元年)には、ファンのアンコールもあって高倉健との『あ・うん』で映画への出演を再開[1]。この際「白紙の新人女優としてスタートしたい」、「寺島は夫の名字」との意思から芸名を富司 純子(ふじ すみこ)に改めた。 1996年 (平成8年)『祇園の姉妹』で菊田一夫演劇賞受賞。 1998年(平成10年)『おもちゃ』で26年ぶりに映画に出演、各助演女優賞に輝く。 2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の10位になった。2014年発表の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本女優3位となっている[25]。 2006年(平成18年)、映画『フラガール』で日刊スポーツ映画大賞助演女優賞を受賞。同賞の主演・助演賞の2冠は渡哲也、真田広之、鈴木京香に続き4人目[26]。 2010年(平成22年)、連続テレビ小説『てっぱん』で主人公の祖母役を演じ、ギャラクシー賞2011年度2月月間賞を獲得した。 家族父は俊藤浩滋、夫は七代目尾上菊五郎、長女は寺島しのぶ、長男は八代目尾上菊五郎、孫は尾上眞秀、六代目尾上菊之助。兄は六本木で居酒屋を営んでいる。 出演映画
テレビドラマ
情報番組
ドキュメンタリー
バラエティ
声優CM
受賞
脚注
参考文献
外部リンク
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