たけしの万物創世紀
たけしの万物創世紀(たけしのばんぶつそうせいき)は、1995年10月17日から2001年3月20日まで、テレビ朝日系列で放送されていた科学情報ドキュメンタリー。朝日放送(ABC)とイーストの共同制作。放送時間は、毎週火曜20:00 - 20:54(JST)。ただし、2000年4月から同年9月は19:54 - 20:48。 毎回ある一つのモノ、特に科学・物理学系の話題を中心に、ドキュメント映像とキャスター・ビートたけしの独特な解説で番組を進行した。番組制作にはソニーも関わっており、番組サイトは朝日放送上ではなくSo-net上にあった。また、初期のエンディングテーマは、かつて存在したソニー・ミュージック傘下のレーベル会社のダブル・オーレコードからのリリースだった。 番組スタイルの変遷最初期にはオープニングタイトルの前に、たけしがテーマに絡めた小咄をしてテーマを視聴者に伝えるイントロのミニコーナーが放送された。 初期の頃は、たけしがパネラーの質問に行き詰まったり新たに疑問が湧いたりしたとき「隣の家が火事になった」などと言い訳をしつつ、別室に戻るCGキャラクターの下目黒権之助(しもめぐろ・ごんのすけ)博士に聞きにいっていた。後にパネラーがスタジオで直接下目黒博士に質問する形となった。 また、下目黒博士の声はボイスチェンジャー(ピッチシフター)で変調され、素性が分からないようになっていた。話す際の口調が毎回違うことから、テーマごとに監修を担当した大学教授などの専門家が話していたと推測される。 後期は、進行と解説をCGキャラクター・レオナルド源内が担当し、また、視聴者からの質問に答える企画を導入した。レオナルド源内の正体はそのまんま東である。これはキャスターのたけしも知らされておらず、最終回でそれが発表された時は驚いており、「気の利いたコメントを言える先生だと感心したこともあった」とコメントした[要出典]。 2000年頃から視聴率が低迷したため、2001年3月に番組は最終回を迎えた。後番組として「たけし・所のWA風がきた!」が放送された。 開始までの裏話企画段階では、『所さんの万物創世紀』のタイトルで、所ジョージが司会を務める予定で、たけしはコメンテーターという位置付けになっていた。実際に、当時のTVガイド誌面にも1995年5月の段階で、「所ジョージ司会のABC制作の情報番組が始まる」と掲載されていた。するとこの番組のオファーを受けたたけしが、ABC側に「司会をやらせてほしい」と伝えた。ABC側はたけしの申し出はありがたかったが、所の司会が決定している手前、非常に困惑したという。そこで、たけしサイドと所サイドが話し合いの場を持ち、「所は既に『所さんの目がテン!』(日本テレビ)で科学番組の司会をしている」などと交渉した結果、所サイドも納得したけしの司会が決まったという。所へは、司会を担当するにあたりスケジュール調整をしていたため、スペシャルパネラーという形で出演をしてほしいとたけしサイドも要請し、所サイドも了承したという。こうして番組は、『たけしの万物創世紀』として放送が開始された[1]。 その後1998年3月31日には『たけし・所の万物創世紀・特別編〜タイタニック号悲劇の真実〜』として、たけし・所によるダブル司会が実現した。また、2000年11月4日、5日の『土曜ワイド劇場』『日曜洋画劇場』枠でABC創立50周年スペシャルとして『たけし&所のサイエンスアドベンチャー 遥かなる人類への旅』を放送した。 出演司会レギュラー出演者
ナレーション本番組の企画からのデビュー本番組にて癒し声の女性のオーディションを行い、選ばれた長野恭子が2000年8月23日にソニー・ミュージックからCD「ワタシノママデ」を出した[3]。これは、「イルカが会話に使用する超音波が人体によい」、といった企画を取り上げて声(歌声)に超音波を含む人間の歌を募集した。選考基準はあくまで超音波であり、上手い下手ではなかった[3]。つまり、ここで言う「癒し」とは、超音波によるものである。曲のほうも、過去のヒット曲を科学的に分析した「ヒットの要素」を含めるように田中花乃が作詞、パッパラー河合が作曲した[3]。 スタッフ
ネット局
テーマ曲
書籍
関連項目
脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia