1975年の全日本ロードレース選手権
1975年の全日本ロードレース選手権 (1975ねん の ぜんにほんロードレースせんしゅけん) は、1975年3月16日の筑波フォーミュラグレーテストレース大会で開幕し[1]、同年10月12日の日本グランプリロードレース大会(鈴鹿)で閉幕した全9戦による1975年シーズンの全日本ロードレース選手権である。 トップカテゴリのセニア750ccクラスチャンピオンは浅見貞男(ヤマハ / ワールドワイドMC)が獲得した[2]。 1975年シーズン750ccクラスにFL(フォーミュラリブレ/ ポイント対象外の改造自由車両)で参戦した和田正宏・清原明彦・阿部孝夫のカワサキ勢が速さを見せ、ポイント対象外ではあったが特に鈴鹿では最速の存在であった。和田は第5戦鈴鹿大会で2分22秒4のコースレコードをマークし、前年最終戦でヤマハの河崎裕之が出した2分23秒6を1秒以上更新、「鈴鹿で一番速い男」の称号を取り返した。清原も筑波大会で1分4秒台に入るニューレコードを樹立した[3]。 750ccの選手権争いは、関西の神戸木の実レーシングに所属する片山敬済・毛利良一の2人が第5戦まで勝利を分け合い、ポイント争い1位2位を独占。続いて東京のワールドワイドMCから参戦する浅見貞男がランキング3番手で追う展開となった[4]。片山はシーズン途中で渡欧し世界グランプリに進出したため全日本タイトル争いから離れた。浅見は第9戦筑波でFL参戦の安良岡健を上回り総合2位(クラス優勝)でポイントを積み重ね、最終戦日本GPでは毛利を有効ポイントで1ポイント逆転、トップカテゴリーでのタイトル獲得を果たした。 セニア125ccクラスは最終戦を終えてホンダの上田公次とヤマハの江崎正が同ポイントで並ぶ接戦となり、上位入賞回数で上回る江崎がチャンピオンとなった。江崎は年末に'75MFJ最優秀選手賞も獲得した。 同年の全日本ロードレースで起きた新しい動きとして、第6戦がこの年5月に開業したばかりのスポーツランドSUGO[5]で初開催となったほか、第7戦鈴鹿200マイル大会ではサポートレースとして初の一般市販オートバイによるプロダクション・レースが開催され、参戦費用の上限が定められているなどイコールコンディション重視であり参戦のしやすさからMFJライセンス講習申請者が急激に増加するなどの出来事があった[6]。 一方、9月9日には、ボルドール24時間耐久ロードレース参戦のためフランスに遠征しル・マン・ブガッティサーキットでテスト走行をしていたホンダ・ワークスの隅谷守男が転倒し、この事故のため死去した[7]。 スケジュールおよび勝者
表彰ポイントランキング
750cc
350cc125ccジュニア区分
関連項目脚注
|
Portal di Ensiklopedia Dunia