1981年の全日本ロードレース選手権 (1981ねん の ぜんにほんロードレースせんしゅけん) は、1981年2月22日の筑波ロードレース大会で開幕し、同年9月13日の鈴鹿ロードレース大会で閉幕した全9戦(500ccは6戦)による1981年シーズンの全日本ロードレース選手権である。
トップカテゴリーの500ccクラスチャンピオンは木下恵司(ヤマハ)が獲得した[1]。
1981年シーズン
全日本500ccクラスの開始
このシーズンより全日本ロードレース選手権でも世界選手権 (WGP)と同様500ccクラスが設置され、ロードレースでの国内頂点のカテゴリーとなった[2]。前年までの750ccクラスでもシーズン中盤にほぼすべての参戦ライダーが500ccマシンでの参戦となっていたが[3]、全日本での正式なカテゴリー区分として500ccクラスの開催初年度となった。ただし、選手権の対象となる車両にはこれまでと同じく制限が設けられ、主催するMFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)の公認を受けた車両での参戦者のみに選手権ポイントが与えられる。メーカーのワークスマシンは参戦できるが、改造自由の「フォーミュラリブレ」枠での参戦となり、ポイント対象外である。このためヤマハ・YZR500で参戦する金谷秀夫、高井幾次郎や、スズキ・RG-Γ500で参戦する河崎裕之、石川岩男は好結果を残した場合表彰対象ではあるが、選手権ポイントは与えられない。MFJから公認を受けた市販レーサー車両「ヤマハ・TZ500」や「スズキ・RG500」で参戦する選手にのみポイントを得る資格が生じるこのレギュレーションは、メーカーと契約するライダーの中でも参戦マシンによってWGPのためマシン開発を担う者と、全日本選手権チャンピオンを狙う者に役割が明確化されることになり、ヤマハ陣営ではBIG2&4でYZRに乗った木下恵司が第4戦日本GPからはTZで参戦、木下はヤマハ・ワークス契約でありヤマハワークスのフレームパーツやエンジンノウハウが入ったTZでチャンピオン候補の筆頭となったほか、前年TZ500で750ccクラスのチャンピオンとなった鈴木修やベテラン毛利良一、スズキ陣営では市販レーサーRG500で参戦する水谷勝、酒井清孝などがタイトルを狙うライダーと目された[4]。
1981 ホンダ・NR500
第2戦鈴鹿BIG2&4では、やはり選手権対象外であったがワークスマシンのホンダ・NR500で片山敬済と木山賢悟が参戦、日本国内でホンダの500ccマシンが参戦を開始したことはレース界の注目を集めた[5]。木山は第6戦鈴鹿200kmレースではNR500で優勝を果たした[6]。第4戦からTZにマシンを乗り換えた木下はそこからの4戦中3勝を挙げ、第8戦菅生での完勝で最終戦を残しシリーズチャンピオン獲得を決定、ヤマハワークス入り1年目にして全日本タイトル獲得の任務を果たした。ランキング4位までをヤマハ・TZ500が占め、スズキ・RG勢の最上位は5位の水谷勝となった。
WGPと同じく500cc、350cc、250ccというクラス分けとなったこの年、350ccクラスにはTZ350での参戦者が多かったが、選手が500と350に流れたため、250ccクラスは9戦中8戦が参戦者不足のため不成立となり、唯一のレース成立大会となった第4戦日本GPでは平忠彦がベテラン毛利良一を破りクラス優勝した[7]。125ccクラスはホンダ鈴鹿レーシングの一ノ瀬憲明が開幕からの連勝など9戦中4勝を挙げ、2年連続のチャンピオンを獲得した。
なお、500ccは国際A・B級混走で「国際B級500ccクラス」も設置されており若手の挑戦を期待してのものであったが、参加者が少なく全戦不成立に終わった。
市販車改造クラスは全日本選手権には含まれないが鈴鹿での開催時に併催され、FIMのフォーミュラー規則に準じた「A/B級混走フォーミュラー1クラス(スーパー1000クラス、スーパーバイククラスとも呼ばれた)」として開催、フォーミュラ3クラスはノービスライダーにのみ限られ開催された。
選手権の変更点
ライセンス区分では本年度からジュニアクラスを国際B級と変更し、入門クラスから順にノービス-国際B級-国際A級というピラミッドが形成された。
決勝レースの開催方式は同年より大きく変更され、前年までは参戦台数不足によるレース不成立を防止する観点から350ccから750ccまでが同一レースで混走し、その中で各排気量別の順位で各クラスのポイントが付与される方式で開催されてきたが、この1981年より500ccを新設したことを受け、単一排気量クラスでそれぞれ500cc、350cc、250cc、125ccの決勝レースが実施される。また、これまで採用されてきた有効ポイント制が廃止され、観戦するファンに分かりやすい全得点制によって年間チャンピオンが争われるルールに変更された。
スケジュール面では、シリーズの中で最も重要な1戦に位置付けられている「日本グランプリロードレース大会」は従来9月に開催されていたが、この年は日本での初開催となるFIM総会が秋に東京で開催となったためその期間を避け、4月19日決勝の鈴鹿大会が日本グランプリとして開催される事になった。
スケジュールおよび勝者
- ※鈴鹿大会で併催のスーパーバイクレースには全日本選手権がかけられていない。
- ‡MFJ公認車両ではない車両(プロトタイプマシン・メーカーワークスマシン)での参戦も改造自由のフォーミュラ・リブレとして認められるが、全日本選手権のポイント対象外。
シリーズポイントランキング
ポイントシステム:
順位 |
1位 |
2位 |
3位 |
4位 |
5位 |
6位 |
7位 |
8位 |
9位 |
10位
|
ポイント |
15 |
12 |
10 |
8 |
6 |
5 |
4 |
3 |
2 |
1
|
- 第4戦日本GPでは特別ポイントとして入賞者に従来のポイント+3ポイントが与えられる。
500cc
順位
|
No.
|
ライダー
|
使用車両
|
2 SUZ
|
4 SUZ
|
5 SUG
|
6 SUZ
|
8 SUG
|
9 SUZ
|
ポイント
|
1
|
28
|
木下恵司
|
ヤマハ・TZ500
|
1‡
|
5
|
3
|
2
|
1
|
-
|
58
|
2
|
1
|
鈴木修
|
ヤマハ・TZ500
|
2
|
7
|
8
|
|
5
|
4
|
43
|
3
|
20
|
上野真一
|
ヤマハ・TZ500
|
3
|
|
5
|
7
|
2
|
Ret
|
42
|
4
|
5
|
毛利良一
|
ヤマハ・TZ500
|
|
2
|
6
|
Ret
|
|
1
|
38
|
5
|
8
|
水谷勝
|
スズキ・RG500
|
|
1
|
|
|
4
|
2
|
38
|
6
|
62
|
平忠彦
|
ヤマハ・TZ500
|
Ret
|
|
4
|
11
|
|
5
|
31
|
7
|
88
|
伊藤巧
|
スズキ・RG500
|
|
|
|
6
|
|
3
|
20
|
8
|
102
|
樋渡治
|
ヤマハ・TZ500
|
6
|
9
|
7
|
|
|
|
19
|
9
|
86
|
酒井清孝
|
スズキ・RG500
|
|
6
|
Ret
|
|
7
|
Ret
|
15
|
10
|
115
|
馬場勝巳
|
ヤマハ・TZ500
|
|
|
|
5
|
|
|
12
|
選手権ポイント対象外
|
-
|
12
|
木山賢悟
|
ホンダ・NR500
|
Ret
|
4‡
|
|
1‡
|
-
|
|
-
|
-
|
3
|
高井幾次郎
|
ヤマハ・YZR500
|
-
|
Ret
|
1‡
|
|
-
|
-
|
-
|
-
|
2
|
金谷秀夫
|
ヤマハ・YZR500
|
-
|
3‡
|
Ret
|
|
-
|
-
|
-
|
-
|
18
|
石川岩男
|
スズキ・RG-Γ500
|
Ret
|
|
3‡
|
|
-
|
Ret
|
-
|
-
|
7
|
河崎裕之
|
スズキ・RG-Γ500
|
Ret
|
|
|
3‡
|
-
|
Ret
|
-
|
-
|
9
|
阿部孝夫
|
ホンダ・NR500
|
|
|
|
4‡
|
-
|
|
-
|
-
|
01
|
片山敬済
|
ホンダ・NR500
|
Ret
|
-
|
-
|
-
|
-
|
|
-
|
- 太字はポールポジション。
- 8月22日の菅生大会予選は悪天のため中止。スタートグリッドは抽選で決められた。
- ‡フォーミュラ・リブレ、全日本選手権のポイント対象外。
350cc
順位
|
No.
|
ライダー
|
使用車両
|
1 TSU
|
3 TSU
|
4 SUZ
|
5 SUG
|
6 SUZ
|
7 TSU
|
8 SUG
|
9 SUZ
|
ポイント
|
1
|
85
|
藤本泰東
|
ヤマハ・TZ
|
1
|
|
1
|
2
|
1
|
2
|
1
|
Ret
|
87
|
2
|
89
|
和歌山利宏
|
ヤマハ・TZ
|
|
6
|
2
|
3
|
3
|
6
|
2
|
1
|
72
|
3
|
97
|
石出和之
|
ヤマハ・TZ
|
3
|
Ret
|
4
|
|
2
|
3
|
4
|
4
|
61
|
4
|
114
|
三上訓弘
|
ヤマハ・TZ
|
2
|
3
|
5
|
|
4
|
5
|
3
|
6
|
61
|
5
|
138
|
池田直
|
ヤマハ・TZ
|
|
Ret
|
|
1
|
|
|
|
2
|
27
|
6
|
26
|
若菜博
|
ヤマハ・TZ
|
6
|
|
3
|
|
|
4
|
|
|
26
|
7
|
95
|
草間郁夫
|
ヤマハ・TZ
|
4
|
1
|
|
|
|
|
|
|
23
|
8
|
62
|
平忠彦
|
ヤマハ・TZ
|
-
|
|
|
|
-
|
1
|
-
|
-
|
15
|
9
|
118
|
下村勇二
|
ヤマハ・TZ
|
Ret
|
2
|
|
|
|
|
|
|
12
|
10
|
44
|
高橋力也
|
ヤマハ・TZ
|
|
|
|
|
|
|
|
|
8
|
11
|
117
|
保立秀男
|
ヤマハ・TZ
|
|
4
|
|
|
|
|
|
|
8
|
12
|
113
|
田中光男
|
ヤマハ・TZ
|
|
|
6
|
|
|
|
|
|
8
|
13
|
70
|
吉村俊宏
|
|
|
5
|
|
|
|
|
|
|
6
|
14
|
103
|
赤石博行
|
ヤマハ・TZ
|
5
|
|
|
|
|
|
|
|
6
|
250cc
- 国際A級250ccクラスは、A級ライセンス所持者の参戦台数が少なくレース成立となったのは第4戦日本GP(鈴鹿)のみとなった。
125cc
順位
|
No.
|
ライダー
|
使用車両
|
1 TSU
|
2 SUZ
|
3 TSU
|
4 SUZ
|
5 SUG
|
6 SUZ
|
7 TSU
|
8 SUG
|
9 SUZ
|
ポイント
|
1
|
99
|
一ノ瀬憲明
|
ホンダ・RS125RW ホンダ・RS125RW T(Rd.4)
|
1
|
1
|
4
|
1‡
|
1
|
1
|
6
|
2
|
DNS
|
85
|
2
|
55
|
鯉沼慶次郎
|
ホンダ・RS125RW
|
3
|
2
|
1
|
|
3
|
|
4
|
4
|
5
|
71
|
3
|
127
|
冨田英志
|
ホンダ・RS125RW
|
|
|
2
|
|
6
|
3
|
2
|
3
|
3
|
63
|
4
|
124
|
山本陽一
|
ホンダ・RS125RW
|
4
|
|
5
|
3
|
5
|
|
|
5
|
1
|
56
|
5
|
38
|
江崎正
|
ヤマハ・TZ125
|
|
|
Ret
|
Ret
|
2
|
4
|
1
|
1
|
Ret
|
52
|
6
|
126
|
小沼賀代子
|
|
2
|
3
|
6
|
|
|
|
10
|
|
9
|
31
|
7
|
54
|
榎本勤
|
MBA・125
|
|
|
|
2
|
|
|
|
|
4
|
28
|
8
|
104
|
岩瀬孝明
|
ホンダ・RS125RW
|
|
|
3
|
9
|
|
8
|
|
|
7
|
25
|
9
|
77
|
五十木俊克
|
|
5
|
4
|
|
|
4
|
|
|
|
|
22
|
10
|
109
|
小阪弘行
|
|
6
|
|
9
|
|
|
5
|
5
|
|
|
21
|
11
|
125
|
畝本久(スペイン語版)
|
ホンダ・RS125RW
|
Ret
|
|
|
|
|
|
4
|
6
|
8
|
20
|
|
-
|
9
|
阿部孝夫
|
ホンダ・RS125RW T
|
|
|
Ret
|
|
|
|
|
|
|
-
|
- 太字はポールポジション。
- ‡第4戦鈴鹿(日本GP)でのNo.99・一ノ瀬憲明はホンダのワークスマシンRS125RW-Tで参戦し1位となったが、MFJ公認車両ではないため選手権ポイントの対象外。
- 8月22日の菅生大会予選は悪天のため中止。スタートグリッドは抽選(くじ引き)で決められた。
ジュニア区分
関連項目
脚注
- ^ 歴代チャンピオン1981国際A級 MFJ日本モーターサイクルスポーツ協会 (2025年3月05日閲覧)
- ^ 「ロードレース頂点のレースは500ccクラスに変更」『ライディング No.125』日本モーターサイクルスポーツ協会、1981年1月1日、11頁。
- ^ 「A級750ccはTZ500鈴木修が初のチャンピオン獲得」『ライディング No.124』日本モーターサイクルスポーツ協会、1981年2月1日、11頁。
- ^ 「メーカーワークス活動計画」『ライディング No.128』日本モーターサイクルスポーツ協会、1981年4月1日。12-13頁。
- ^ 「4サイクルで健闘する ホンダNR500」『ライディング No.128』、1981年4月1日、8頁。
- ^ NR500・独自の4ストロークマシンでWGP参戦再開 Hondaモータースポーツ (2024年12月20日閲覧)
- ^ 「'81全日本選手権ランキング発表 ロードレース」『ライディング No.137』、1982年1月1日、9-10頁。