2000年の全日本ロードレース選手権
2000年の全日本ロードレース選手権 (2000ねん の ぜんにほんロードレースせんしゅけん) は、2000年(平成12年)3月26日のミリオンカードカップ鈴鹿2&4レースで開幕し、同年11月5日の第37回MFJグランプリレースinもてぎで閉幕した、全11戦による2000年シーズンの全日本ロードレース選手権である。最高峰のスーパーバイククラスチャンピオンは井筒仁康(カワサキ)が獲得した[1]。 2000年シーズンスーパーバイククラスに参戦するホンダ・ワークス (HRC)にJTがタイトルスポンサーとしてつき[2]、「チームキャビン・ホンダ」を結成。マシンもこれまでのRVF/RC45からVTR1000SPWへと変更され、伊藤真一と山口辰也の2人がタイトルを目指す[3]。加えて、前年に引き続いて旧型マシンとなるRC45をチーム高武の玉田誠に供給、サテライトチームの桜井ホンダからは武田雄一がVTR1000SP-1で参戦と、タイトル奪還へ本腰を入れた体制を構築した[4]。 対するヤマハは前年王座を獲得した吉川和多留と辻村猛に注力した少数精鋭で参戦[5]。スズキは梁明、北川圭一、加賀山就臣、渡辺篤と実績持つ選手層で挑み、カワサキは井筒仁康、芹沢太麻樹がワークスZX-7RRで参戦する[6]。 シーズンは第3戦からの3連勝で大量ポイントを確保したカワサキの井筒が2位の梁明(スズキ)に対して17ポイントのリードを持って最終戦となり有利な状況だったが、予選で転倒した際に肩を負傷。最後は我慢の走りでポイントを重ね、自身初の全日本チャンピオンを獲得した。ホンダは新マシン・VTRが終盤に熟成度を増し勝利を挙げるようになったが、シーズン全般では旧型RVF/RC45に乗る玉田が最も安定したシーズンを送った。VTRの熟成に追われた伊藤は、「今年はもがき続けてシーズンが終わってしまった。」と悔しさをコメントした[7]。ヤマハの最上位はランキング5位の吉川で、最高位2位2回と優勝を挙げることができなかったが、第9戦SUGO大会ではポールポジションを獲得するなど実力の片鱗を見せた[8]。 なお、この年から250ccクラスはワークスチームの参戦が禁止となった。 スケジュールおよび勝者
シリーズポイントランキング
スーパーバイク
GP250関連項目脚注
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