1990年の日本
1990年の日本(1990ねんのにほん)では、1990年(平成2年)の日本の政治、経済、文化など出来事についてまとめる。 他の紀年法日本では、西暦の他にも以下の紀年法を使用している。なお、以下の紀年法は西暦と月日が一致している。 カレンダー周年できごと主なできごと(通年)報道各社が報道した、本年の主要なニュース
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東西に分裂しており冷戦の象徴的存在だったドイツが、西ドイツ主導で東ドイツを再統一し、1945年以来の東西ベルリン市が首都に復帰した。一連の民主化を求める東欧革命の流れの中で急速に再統一が実現した。一方で冷戦構造で戦後世界に東側諸国の盟主として君臨してきたソビエト連邦は、構成連邦国家の独立宣言が相次いだ年でもあり、この年から翌年にかけて急速に有名無実化したソ連政府は、1991年12月25日に活動を停止する事をゴルバチョフ大統領が発表し、最大の構成主体共和国であったロシア連邦が主な後継国家として独立した事で、事実上ソ連は滅亡した。東欧では旧ソ連から独自性の高い地域であったウクライナとベラルーシなどが新たな独立国となり、名実共に1950年代から続いた欧米地域の東西冷戦構造は解体されたが、中国の首都北京での民主化要求が挫折した天安門事件などを経た為に、東アジアや東南アジアでは冷戦期の国家が存続した状態で21世紀を迎えた。 経済
1980年代の日本の自由民主党は、円高対策のために公定歩合を5%から2.5%に引き下げて日本円が市中に過剰に出回り続ける状態が放置された結果、"かね余り"状態になり[17]、おまけに法人税減税や個人への減税も行ったので[17]、その金が株や土地に対する投機にまわり、投機目的の売買により株価や地価が異常な上昇を続け、いわゆるバブルが発生した[17]。なお、株式投機や土地投機で"にわか金持ち"(成金)なった人々が多く、成金は自分が金を得たことを必要以上に他人に見せびらかそう、目立とうとし、人々の心を煽るので、日本はある種の狂乱状態になっていた。日本人のほとんどは、自分らが一時的なバブルという現象の中に入り込んでしまっていること、一時的な異常心理状態[注釈 2]に陥っていることに気づいていなかった。
ただし警告を発した日本人がひとりもいなかったわけではない。早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問を務めていた野口悠紀雄は、日本経済の異常さ(バブル状態)を指摘する声を発していた。野口は「地価高騰はバブルであり、このバブルが崩壊したら大変なことになる」と警告したが、日本人の誰も聞く耳を持っていなかった[18]。投機に狂乱し、あわよくば自分も投機で儲けようと考えていた当時の日本人(日本人のほぼ全員)には、野口の指摘を謙虚に聴く気持ちが欠如していた。 冷静に判断をする為政者がいさえすれば、過剰な金余りというものは、公定歩合を引き上げさえすれば抑制できるので、早めに公定歩合を引き上げておきさえすれば、バブルの異常な膨張やバブル崩壊は予防できたはずなのだが、自由民主党の国会議員は、バブルの投機で金儲け中の にわか金持ち(成金)たちからも政治献金を受けており、さらに言えば国会議員の中には自身で投機による金儲けに直接的に関与している者もかなりいたので、かけるべきブレーキをかけられず、異常に低い公定歩合を放置していた。
しかし、さすがの自民党国会議員にも、1989年春ころにはバブルへの警戒感が出始め、景気の過熱を抑える目的で公定歩合を段階的に引き上げることにし、日本銀行が動いた。概要としては、1989年5月から1990年8月にかけて、2.5%から6%まで引き上げた。
なお、それまでの人々の熱狂状態があまりに極端になってしまっていたので、公定歩合の引き上げによる鎮静効果は1989年の引き上げですぐには現れず、一種の"慣性"のようなものが働き株価はしばらく上昇を続け、1989年末に日経平均は3万8957円44銭を記録した。年末年始の株式市場が閉じる期間、すなわち投機家も頭を冷やせる期間中にようやく、投機家の中に少し冷静に考える人々、バブル状態とそれが崩壊した先に起きることに警戒心を持つ人の割合が増えた。こうして潮目が変わり、1990年1月入ると株価が急落を開始し、一旦下落傾向に入ると、夢から覚める人が続出し、特に欲望に駆られて株式の信用買いの割合を増やしすぎていた人々は必然的に連鎖的な株式売却をせざるを得なくなり、こうして株価は大暴落してゆき、1989年末-1990年年始の最高値からわずか9ヶ月後の10月には一時2万円割れまで下落した。その後、翌年1991年にかけて不動産市場の過熱も次第に沈静化し、下落傾向となり、土地投機をしたばかりに大損し、行き詰まる人々・企業も続出するようになる。 なお、公定歩合を引き上げたから悲惨な状態になったわけではなく、公定歩合を低いまま長年放置しつづけて過度なバブルを発生させたことが根本原因である。為政者が市場の状態、経済の状態を冷静に判断して、公定歩合の早め早めの微調整を繰り返せば、経済は加熱しすぎず、冷えすぎず、適度な温度を保つことができたのだが、日本の為政者(自由民主党)にはそれができなかった。硬直的で、動きがとにかく遅すぎ、自由民主党は企業献金も受け取っているので、欲に駆られた "にわか金持ち"(成金)の影響を受けすぎていた。 労働教育女性史→詳細は「1990年の日本の女性史」を参照
交通→詳細は「1990年の交通」を参照
道路→詳細は「1990年の道路」を参照
鉄道→詳細は「1990年の鉄道」を参照
航空→詳細は「1990年の航空」を参照
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天候・天災 等日本の天候、自然災害、および自然環境の変化など
建築
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芸術、文化、サブカルチャー、スポーツハイカルチャーから、サブカルチャー、流行、スポーツなど幅広く 文学→詳細は「1990年の文学」を参照
演劇映画→詳細は「1990年の日本公開映画」を参照
邦画洋画
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→1990年のアニメ映画作品については「日本のアニメ映画作品一覧」を参照
→1990年のテレビアニメ作品については「日本のテレビアニメ作品一覧 (1990年代) § 1990年(平成2年)」を参照
→1990年のOVA作品については「日本のOVA作品一覧」を参照
音楽→詳細は「1990年の音楽」を参照
ラジオ→詳細は「1990年のラジオ (日本)」を参照
テレビ→詳細は「1990年のテレビ (日本)」を参照
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コンピューターゲーム→「Category:1990年のコンピュータゲーム」も参照
アーケードゲーム
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流行流行の商品流行の服装1990年の流行語→詳細は「新語・流行語大賞」を参照
新語・流行語大賞の新語部門は「ファジィ」(松下電器産業)、流行語部門は「ちびまる子ちゃん (現象)」が金賞を受賞した。
スポーツ→詳細は「1990年のスポーツ」を参照
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サッカー相撲→詳細は「1990年の相撲」を参照
プロレス
モータースポーツ競馬→詳細は「1990年の日本競馬」を参照
誕生誕生した事に特筆性のある人物等(世襲制の跡継ぎ、絶滅寸前の生物の誕生、等)を記載しています。それ以外については、Category:1990年生を参照してください。 1月
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死去→「訃報 1990年」を参照
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目 |
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