バカリズム
バカリズム(1975年〈昭和50年〉11月28日 - )は、日本のお笑いタレント、ナレーター、司会者、脚本家、俳優、作詞家。本名は升野英知(ますの ひでとも)[1]。福岡県田川市出身。マセキ芸能社所属。R-1ぐらんぷり2006・2007・2009・2010ファイナリスト[2]。愛称は、バカリ。 1995年から2005年までは本名名義で、松下敏宏とのお笑いコンビ・バカリズムとして活動。コンビを解散後、升野はそのままバカリズム名義でピン芸人として活動を継続する。 コンビ時代のメンバー
略歴コンビ時代日本映画学校在学中、1995年に升野・松下のふたりによってコンビ「バカリズム」を結成。このコンビ名(後に升野単独の芸名)は升野が考えた造語であり、既存の言葉では調べた時にややこしくなるという思いから敢えてこの世に無い言葉で名付けたという[6]。ちなみに学校での2人は決して仲が良かったわけではなく、偶然漫才の授業でコンビを組んだのが出会いのきっかけであり、以降ビジネスパートナー的な存在だったと語っている[7]。 当時から深夜番組を中心にレギュラー出演しており、中でも『笑う子犬の生活R』では主要キャストとして活躍。ビビる、U-turn、フットボールアワー、次長課長、アクシャンらと共に番組を盛り上げた。2000年8月19日放送分では"特別編"と銘打って生瀬勝久・土田晃之・升野の3人のみでコント「やや甘い生活〜何故、人生は中途半端になってしまうのか〜」を披露[8]。『笑う犬』本編にも若手として参加していた。 また『桂芸能社』にもシャカ、ホーム・チーム、ゴリけん、パラシュート部隊らと共にレギュラー出演。「北京から万里の長城まで直径2000ミリの巨大な玉を押して運ぶ」「2000秒息止めをする」といった過酷なロケにも挑んだ[8]。 しかし『爆笑オンエアバトル』では、1999年から2003年までの4年間出演するも苦戦を強いられる事が多く、第1回チャンピオン大会出場・「ラジオ挫折第一」で最高525KBという大きな功績は残したものの総合戦績は10勝13敗。ちなみに敗退した際の敗者コメントでは「悔しさを強調してほしい」というスタッフからの要望が出されるが、2000年10月21日放送分で升野は「ベストは尽くした」という理由で「また同じネタを持ってきます」と無表情でコメント。スタッフから撮り直しの指示を受けてもコメントは変えず、5度の撮り直しで全て同じコメントをしたところ結局5度目が使われたことを明かしており「なんで面白いと思ってきたのに、敗者コメントなんか言わなきゃいけないのって。あれ、凄い残酷だったじゃないですか。他の芸人さんがやってるのも見たくなかったし、可哀想だから」と後に語っている[9]。 他事務所のライブにゲスト出演した際、あまりにもスベリ過ぎたため升野が舞台から逃げ出したことがある。升野が楽屋へ逃げ帰って舞台上に残された松下は1人2役で演じきった[10]。 30歳という節目を迎えた2005年、松下から突如引退の申し出があり、升野はそれを「本人の中でも色々と考えた末での結論なので、無理に止めても意味がない」という理由でそのまま承認。升野は後に「(引退について)相談よりも報告に近かった」と語っている。そして同年11月末をもってコンビは解散、松下がバカリズムを脱退[11]。当時レギュラー出演していた「虎の門」にはコンビ解散後も升野がピンとして継続して出演。 なお当時は升野がネタ作りを行う傍らで松下はあらゆる雑用をこなし、方向音痴の升野に対して現場までの行き先をすべて教えるといった優しさもあったため、コンビ解散の話し合い時に升野から松下にマネージャーにならないかと話を持ちかけている。その際、松下は「金額次第ではない話ではないし、俺ならお前を売る自信がある」と返答したが、その返答に対し升野が「想像したら気持ち悪い」との理由で結局撤回したと明かしている[12]。 コンビとして最後の仕事は2005年11月29日にしもきた空間リバティにて開催された故林広志監修のコントイベント「絹」のゲスト出演。この時点で解散発表はしていなかったものの、既に升野はピンでの単独ライブ(2006年1月にウッディシアター中目黒で開催の升野英知ソロライブ「宇宙時代」)のフライヤーを客席に配布していた[13]。 現在、升野がコンビ時代の話をする際は松下の名前は伏せて「元相方」と呼んでいる。なお2009年5月放送の「アイドリング!!!」(フジテレビ)でメンバーそれぞれの懐かしいものを紹介する企画を行った際、アイドリング!!!19号の橘ゆりかが紹介した「動物占い」が流行った1999年当時が升野はコンビだったという話題に及ぶと、升野はカメラ目線で「そうなんですよ。松下観てる〜?」「松下〜!頑張ってるよ俺!」と手を振って松下へメッセージを送るボケをし、観客からは拍手が起こった[14]。 ピン転向後松下の脱退後、升野は「今まで積み重ねてきたものを0にするのはもったいない」という理由で元コンビ名であるバカリズム名義での活動を継続(いわゆるソロユニット形式。解散直後のネタ番組以外では、バカリズム升野で出演していた時期もある)。解散後すぐに『R-1ぐらんぷり』に初出場し、ピンでの活動開始からわずか2ヶ月で決勝進出。初出場の2006年の大会ではフリップネタ『トツギーノ』を披露し、結果は4位。これがきっかけとなり仕事は急増し、『爆笑レッドカーペット』などのネタ番組で「トツギーノ」を披露することが多くなり、このネタでCMにも出演。またグッズも発売された。一方、「このままではバカリズムではなく、トツギーノの人になってしまう」と一発屋になってしまう可能性を危惧し、升野はその後1年ほどしてトツギーノを一切披露することをやめた[15]。これについて升野は後に「この戦略はバッチリ上手くいった」と述べている[16]。 『R-1』には2006年から5年連続で出場し、2008年以外の4度決勝進出。2009年には『地理バカ先生』を披露し、審査員の清水ミチコから大会史上初の100点満点をつけられるなどの記録を収めたが優勝はできなかった。2010年の大会終了後、決勝前から2010年大会が最後の出場と決めていたという「R-1卒業」を発表した[17]。 コンビ解散から約1年後、『アイドリング!!!』で初のバラエティ番組MCを担当。当初は断ろうと考えていた升野だったが、「この番組は普通のアイドル番組にしたくない」というスタッフの意向に賛同して快諾。以降2006年から9年にわたって務め、同番組で朝日奈央や菊地亜美、フォンチーらを輩出した[18]。なお、番組中期以降はスケジュールの都合により、海外ロケを含め番組を休む回もあった。 大喜利日本一を決める『IPPONグランプリ』では2009年の初回から出演し最多優勝回数[19]を誇り、大会チェアマンの松本人志からも高い評価を受けている[20]。 2010年5月、オリコンによって集計された「面白いと思うピン芸人は?」というアンケートにおいて1位にランクインしており、「トツギーノ」のようなフリップを使った独創的なネタをはじめ、『IPPONグランプリ』のような大喜利の面白さを競う大会においても優勝するなどマルチな才能が評価されている。この結果を受けバカリズム自身は「まさか僕のようなゴミクズ芸人が1位に選ばれるなんて…」「迷惑をかけないように精進します」と、冗談とも本気ともつかないコメントをしている[21]。 『トップランナー』(2010年11月27日放送)に出演した際、今後の目標について聞かれ「現状維持」と答えている[16]。 2011年3月20日、自宅にて転倒し右手薬指を骨折。翌日の『アメトーーク!』の収録には包帯を巻いて参加し、骨折の経緯を説明した[22]。 福岡県田川市のゆるキャラのデザインを手掛け「石田川炭夫(いしたがわ すみお)」が2012年3月21日、お披露目された[23]。 RAM RIDERのアルバム『AUDIO GALAXY-RAM RIDER vs STARS!!!-』収録の「HELLO starring ORANGE RANGE」のミュージック・ビデオの脚本・監督を担当。また、同アルバム収録曲「放課後★サスペンス」に作詞で参加[注 1]。“ほぼ”監督・脚本・主演を務めた映画『バカリズム THE MOVIE』が2012年5月26日公開。『世にも奇妙な物語 2012年 秋の特別編』の「来世不動産」においても原作・脚本・出演の3役を担当[注 2]。この頃から映像作品の脚本などの創作の仕事へも取り組むこととなる。 過去2回に渡って特番で放送されたラジオ番組「バカリズムのオールナイトニッポンGOLD」が2013年10月からレギュラー化。その後2年間に渡って放送され、名物コーナー「エロリズム論」は2014年9月に書籍化。 『素敵な選TAXI』で連続テレビドラマの脚本を初めて担当し、役者としても出演。これがきっかけとなり脚本家としても活動の幅を広げた[24]。2016年秋から3クール連続で連ドラ(『黒い十人の女』『住住』『架空OL日記』)の脚本と出演をこなした(「黒い十人の女」では声の出演、「架空OL日記」では主演、「住住」では本人役)。 『Quick Japan』2015年8月12日発売号にて「バカリズム 考えまくる人」と題し、60ページにわたる特集が組まれた。ロングインタビューと密着ドキュメント、彼と親しい人々が語る「私と升野さん」、またデビュー当時から親交がある構成作家・オークラがバカリズムの20年を綴った「大バカリズム論」などで構成されている[25]。 宣材写真はピンになって以降2005年のコンビ解散直後に撮ったものを使用し続けていたが、2016年に『青春バカリズム』番組の企画にて11年ぶりに新しくした。 テレビやラジオの仕事をこなすと共に、ライブも精力的に開催。一人コントを披露する『バカリズムライブ』と、番外編として「2〜3週間の間に考えてきた案をひたすら発表する」だけの『バカリズム案』を合わせて年に2〜3回開催していたが、2014年からは『バカリズムライブ』を年に1回開催するのみとなっている。 音楽アーティストと様々なコラボをするユニット『バカリズムと』を結成。これは音楽番組『バズリズム』内の企画で、第一弾として秦基博と『ハタリズム』として升野が作詞と歌唱、秦が作曲とコーラスを担当した『「いくらだと思う?」って聞かれると緊張する』が2017年8月25日に配信開始、第二弾では水野良樹と『ミズノリズム』としてコラボし升野が作詞と歌唱、水野が作曲を担当した『白が人気』が同年9月30日より配信開始。第三弾としてフジファブリックとのコラボ『フジファブリズム』で升野が作詞、山内総一郎が作曲を担当した『Tie up』が2019年11月10日配信された。 YouTube公式チャンネルを2017年11月15日開設[26][27]。撮りおろし動画はなく、過去のバカリズムライブからコントを選出し毎月10日にアップロードするものでコンテンツリーグが運営。 ギャラクシー賞2017年6月度月間賞をテレビドラマ『架空OL日記』が受賞[28]。升野が原作・脚本・主演を務めているもの。その後、脚本家としての升野はこのドラマで第36回向田邦子賞を受賞[29]。さらに第55回(2017年度、年間)ギャラクシー賞のテレビ部門特別賞を受賞した[30]。 ギャラクシー賞2018年4月度月間賞を『バカリズムのそこスルーする?』(2018年4月4日放送)が受賞[31]。 TOWA TEIの変名音楽ユニット「Sweet Robots Against The Machine」に砂原良徳とともに2018年加入。同年7月にアルバム「3」を発売。きっかけは「バカリズムのオールナイトニッポンGOLD」のジングル作成等を通じて親交があったため。 東京・上野の森美術館での展示を皮切りに大阪・福岡・愛媛で開催の『ミラクル エッシャー展覧会』(2018年6月6日 - 7月29日)のナビゲーターに就任。この展覧会の音声ガイドも務めた[32]。 夢眠ねむと結婚、2019年12月24日入籍[3]。なお発表直後に放送された『ゴゴスマ』や『情報ライブミヤネ屋』では速報としてこのニュースが扱われた。 先述の「架空OL日記」が映画化となり、2020年2月28日から劇場公開を開始。ドラマ版同様、升野が原作・脚本・主演の3役を務めた[33]。これに先駆けて日本映画専門チャンネルでは、過去の作品(「架空OL日記」全話、「素敵な選TAXI」(SP分も含む)、「バカリズム THE MOVIE」、バカリズムライブ「image」〈2019年開催分〉)+当企画オリジナル番組「バカリズム専門チャンネル特別編」を2月23日21:00〜2月24日21:00の24時間連続で放送する特別企画「24時間バカリズム専門チャンネル」という大特集を実施[34]。 毎年恒例のバカリズムライブ『○○』(草月ホール)を2020年5月17日 - 5月20日に開催予定だったが、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を鑑みての公演中止を発表[35]。 かねてからドラえもんの大ファンを公言していたが、ドラえもん50周年記念映画『STAND BY ME ドラえもん 2』に声優として参加[36]。 『水曜日のダウンタウン』2021年3月24日放送で開かれた30秒ネタのネタバトル企画「30-1グランプリ」でプレゼンター、そして松本人志や伊集院光らとともに審査員を担当。以降、年1回ペースでこの企画は放送されているが全ての回でプレゼンターと審査員を務めている。 2年ぶりとなるバカリズムライブ『○○』を草月ホールにて2021年5月13日 - 5月16日に開催予定でチケット発売もされていたものの、「4月25日に発令された新型コロナウィルス緊急事態宣言が5月末まで延長された」影響を受け全5公演のうち2公演が中止に。残りの3公演はオンライン配信のみの無観客開催[37]。 新型コロナウイルスに感染したことを所属事務所が2022年2月1日発表。療養期間を経て2月12日から仕事復帰。 『R-1グランプリ2022』では初の賞レース審査員を担当。先述のR-1卒業以降、他の歴代ファイナリストのように関連番組や特番への出演も一切なかったため、最後の出場だった2010年以来12年ぶりの凱旋となった。翌年2023年も続投[38]。 ドラマ『ブラッシュアップライフ』(日本テレビ)で脚本・出演を担当。Twitterでトレンド世界1位になるなどといった驚異的な盛り上がりを見せ、第49回放送文化基金賞 テレビドラマ部門 奨励賞、第39回ATP賞テレビグランプリ 総務大臣賞・優秀賞、東京ドラマアウォード2023 脚本賞など国内外で様々な賞を受賞した。 『第74回NHK紅白歌合戦』(2023年末)にてゲスト審査員を担当[39]。 『IPPONグランプリ』には28回大会中27回に出演し、うち6回で優勝経験があるが、2024年2月3日放送予定の第29回大会では、芸能活動休止中の松本人志の代理としてチェアマンのポジションを務めることとなった[40]。 人物身長165 cm[1]、体重60 kg[1]、血液型はA型[1][41]。私立飯塚高等学校、日本映画学校(現・日本映画大学)俳優科卒業[1]。喫煙者。妹がいる。酒は一杯程度であれば飲むことができ、乾杯には参加している。実家は祖父の代から弁当店「田川給食センター」を営んでいたが[15]、父が40歳の時に廃業。その後、父は転職し勤めていたが、升野が高校2年の1993年2月に45歳の若さで急逝。その翌月には祖父も亡くなっている[42]。タクシー運転手を題材にしたドラマの脚本を書いたりしているが、運転免許を持っていないことで知られている[43]。 高校受験の際、本命だった県立西田川高校を受験したものの不合格。滑り止めで受けていた男子校の飯塚高校に入学し、野球部に所属。2年の夏の前に足を複雑骨折し、記録員等の裏方に回るように言われ「このままだと選手として試合に出られなくなる」と思い筋力トレーニングをした結果、高校3年時の夏の福岡大会では背番号16でスタメン出場を果たした。甲子園出場は目標というより、「絶対に出るもんだ」と思っていたため、帽子のつばの裏に「全国制覇」と書き、打席でいかに目立つ動きをするかを研究して、当時憧れていた池山隆寛(ヤクルト)のフォームを真似していた[44]。 学生時代は血気盛んな地域に住んでいたことから喧嘩することも多く、温和そうな見た目とは裏腹に体育会系であることから「武闘派」と呼ばれることが多い。なお高校時代に升野はレンガで頭を殴られたことがあり、殴った相手が同郷の小峠英二(バイきんぐ)の知人であることが後に発覚した[45]。漫画の影響でヤンキーに憧れがあり、剃りこみらしきものを入れたり少し改造した学生服を着たりしていた[46]。先輩芸人から元ヤンと指摘されることが多いが否定している。小峠英二とは若手当時は面識がなかったが、地元で親同士は知った仲であったので小峠の親から升野の親伝いに「英二は実家へ連絡して来ないから心配なので、おなじく東京に居り同じ業界の升野さん、目を掛けてください。」との依頼があったという。しかし、親交ができたのはバイきんぐがキングオブコントで優勝し売れた辺りから[47]。 健康診断でMRIを受けた際に「考え過ぎの超論理的思考で脳が変わってきており、左脳が少し右脳の部分まで来てしまっている」という結果が判明した[48]。 「初対面の際に敬語で話してからタメ口に変わるまでのグラデーションが恥ずかしい」という理由で[49]、同期や他事務所の後輩芸人に対しても敬語を使うことが多い。 妻の作る手料理で好きなものは「炊き込みご飯」[50]。 第1子となる男児が誕生したことを2023年10月25日発表[51][52]。 祖先母方の高祖父に当たる福岡藩の二天一流の継承者の原弥平次は、嘉永6年(1853年)黒船が来航した年に二十歳を迎え、剣術に長け、藩主の警護に当たった。やがて 御詮議掛・御陸目付といった監視・取り調べなどの役目を担った。明治維新になると、福岡藩は財政難を打破するため、明治政府発行の太政官札を偽造した。太政官札贋造事件である。原弥平次自身も、監督不行き届きとして35日間の閉門となった。[53] 作風主に一人コント、フリップネタ、映像ネタなどを行う。『爆笑レッドカーペット』内でのキャッチフレーズは「お笑い四次元ポケット」。なお、コンビ時代に出演していた『完売劇場』主催のイベント「東京腸捻転」内でのキャッチフレーズは「革命遊園地」。 高校卒業後、芸人を志すも当時の主流であったNSCではなく日本映画学校への進学を決意。その理由として「役者志望の人間ばかりの中に芸人志望で一人だけいたほうが圧倒的に才能があるように見えるから」「関西弁じゃないから大阪NSCには行きたくなかったし、東京には当時まだNSCがなかったから」と語っている[54]。また芸人になるにあたり、「芸風に合わない」との理由で高校時代の野球部の練習で鍛えた筋肉を全て落とした[55]。 日本映画学校出身であり映画監督デビューも果たしているが、あくまでも芸人志望で進学したため映画は「年に1回観ればいいほう」というほど興味がない[56]。升野英知名義の短編小説「来世不動産」(小学館『東と西2』収録)で小説家デビューを飾っているが、「文字を文字として認識できなくて、ただの図形にしか見えない」という理由で、ほとんど本を読まない[57]。 コンビ時代はいわゆる突拍子もない設定が特徴のシュールなコントを披露していた。明確なボケ・ツッコミの役割関係は無かったものの、大きな動きや強いツッコミがあるコントは松下、会話が中心で動きの少ないコントは升野がボケを担当することが多かった。 「トツギーノ」や「地理バカ先生」などのフリップネタが出世作であるが、本人は「誰がやってもいいっていうところがある」「笑いを取るのが簡単」という理由で元々フリップネタが好きではないとしている。「トツギーノ」も当初は単独ライブで箸休め的なネタとして作ったのがきっかけであった[58]。本人曰く「映像でやるのがベスト」「フリップをめくっている自分の存在を説明できていない時点であのネタはベストではない」という理由から「トツギーノ」に対しては否定的な評価を下している[59]。なお2004年に発売されたコンビ時代のDVD「フルーツ」にはトツギーノの前身ともいえる升野のピンネタ「カエリーノ」が収録されている[60]。 過去には架空のOLになりすまし日常を綴るブログ『架空升野日記』を開設していた(当初は正体がバカリズムであることも明かしていなかったが、後に正体を明かしている)[注 3]。後に各種メディア化へと展開させている。 定期的にライブを開催する事に力を注いでおり、Quick Japanのインタビューでは「ネタ作りをやめてしまうと僕は終わってしまう気がする」と語っている。また、「僕は大喜利やネタの筋肉はあるが、ひな壇の筋肉はプヨプヨ」と語っているとおり、大喜利やネタには自信を持っている[61]。 ネタ作りは基本的に1人でパソコンで脚本を書くスタイルをとっている。2014年からは自宅とは別に集中して仕事を行うための作業場を設け、基本的にライブの準備やドラマの脚本・連載の執筆などを全てそこで行っている[62]。締切は厳守している。これは演者側で待たされることを何度か経験し脚本家の悪口を言っていたことに起因しており、「締切守らないと裏で言われるんだと思ったら、絶対に守ろう」と心に誓ったという[63][64]。結婚後も基本的に作業場にいることが多く、独身の男性芸人に対して「別宅を借りるなら独身のうちに」とアドバイスを送っている[65] 第36回向田邦子賞を受賞するなど、脚本家としても活躍している。向田邦子賞の選考委員でもあった脚本家の坂元裕二は2018年のTV Bros.に掲載されたインタビューの中で自身も大好きなドラマであり、読者に見て欲しいオススメのドラマに『架空OL日記』の名前を挙げ、「ワールドクラスの大傑作」と絶賛している[66]。 親交先輩のバナナマンとは「ラ・ママ新人コント大会」をきっかけに知り合って以降、デビュー当時からの古い親交がある。初めてバナナマン、バカリズム、作家のオークラの5人で焼肉を食べに行った後に設楽統・オークラ・升野の3人で銭湯に行ったのがきっかけでまずは設楽と仲良くなり、その後仲良くなった日村勇紀とは2年程同居生活をしていた[67]。日村とは『アメトーーク!』の「トキワ荘芸人」「くされ縁芸人」で当時のエピソードを披露しているほか、『ウンナン極限ネタバトル! ザ・イロモネア 笑わせたら100万円』(2010年1月3日放送時)にユニットで参戦した。 他に、仲の良かった芸人として同世代の柴田英嗣や東京03、ゆってぃ、後輩には学生時代からの交流があるおかゆ太郎やルシファー吉岡がいる[68]。 インタビューなどで「仲の良い芸人は?」と聞かれると同世代の東京03、またはテレビ番組『ヨロシクご検討ください』でも共演していた若林正恭、山里亮太などを挙げている。しかし「相手が仲のいい芸能人として自分の名前を出してくれない」や「自分を抜かして食事に行ったりしている」などの理由から仲の良い芸人はいないと答える場合もある[69]。 いとうせいこうは「コンビ時代から升野に惹かれるものがあった」と語り、当時から自身のレギュラー番組『虎の門』や舞台に呼んでいた。2007年からは『ビットワールド』で共演。升野もいとうのことを師匠として尊敬している[70]。 元アイドリング!!!メンバーの朝日奈央は升野から多くの影響を受けたとし、自身を「升野育ち」としている[71]。また、升野も朝日のことを「朝日さんは弟みたいなもん」と話している[72]。 基本的には「バカリズム」や「バカリ」と呼ばれているが、ウッチャンナンチャンや爆笑問題、よゐこ、東京03、エレキコミック、片桐仁、ふかわりょうなどコンビ時代から交流のある人物や、オードリー若林、狩野英孝やナイツなどマセキ芸能社の後輩、番組MCを務めていたアイドリング!!!のメンバーからは本名の「升野さん」、バナナマンや柴田英嗣、ゆってぃやオークラからは本名の「英知」から「ヒデ」と呼ばれている[67]。 なお千原ジュニアからは「リズムちゃん」[73]、次長課長からは「おます」、出川哲朗からは「まこっちゃん」(漫画『まことちゃん』のキャラクターに似ているため)と呼ばれている[74]。 かつて爆笑問題・山田まりや司会の『バクマリヤ』にレギュラー出演していた縁もあり、太田光(爆笑問題)には会うと必ず「相方どうした?」と聞かれるのがお決まりのノリになっている[75]。 コンビ時代は並行して各芸人達と一時的なユニットを組んでいた。
コンビ時代からピンとして既に活動を行っていた2009年までは小林賢太郎と共に「大喜利猿」としてライブ活動や執筆活動を行っていた[79]。 1年先輩のふかわりょうとはデビュー当時から交流があり、ふかわの著書『ミツバ学園中等部 入学案内』の挿絵を升野が担当。 構成作家のオークラは「バカリズムは19、20歳の時点でもう完成された『システムの笑い』をやっていた」と語っており、なかなか芽が出ず苦労したコンビ時代を経て、ブレイクし始めた2007年頃からのバカリズムを「バケモノ」と評している[80]。 今田耕司とは『爆笑レッドカーペット』での共演や『しゃべくり007』で今田が一番面白い後輩芸人としてバカリズムの名前を出したのがきっかけで交流があり、2013年から不定期でトークライブ『見たい!ラジオ』を開催している。 同郷である博多華丸・大吉とは番組での共演のほか、2017年以降は毎年福岡にて開催される華丸大吉の周年イベントにゲスト出演。バカリズムライブは東京のみの開催であるため、地方で升野がネタを披露する唯一の場となっている[81]。 千原ジュニアとは『IPPONグランプリ』を開始当初から支え、決勝も争った経験のある互いの大喜利を絶賛しあっている[82][83]。 お笑い界の大御所とされる一部の芸人(明石家さんま、とんねるずなど)との共演はテレビ・ラジオなどのメディアや舞台を含めほとんどない[84]。なおタモリとは『笑っていいとも!』で数度共演、笑福亭鶴瓶とは『スジナシ』や『ザ・ベストワン』などで共演しており、さんまとも2019年の『FNS27時間テレビ』内にてクロストークで共演が実現。さらに2022年1月2日放送の『さんまのまんま』にゲスト出演し、ほぼ初となる本格的な共演を果たした[85][86]。また木梨憲武(とんねるず)とは2020年10月30日放送の『バズリズム02』で初共演。 小沢健二とも『バズリズム02』にて2017年以降、小沢の新曲リリースに合わせて対談企画を行っている。なおその中で升野は歴代の彼女が全員小沢のファンだったことを明かしている[87]。 桑田佳祐は2013年に発売された自身のライブツアーDVDの付属本で「(福岡県は)天才が多くてうらやましい…、タモリ、陽水、バカリズム」と綴っている[88]。升野本人もサザンオールスターズのファンであることを度々言及しており[89][90]、『ロンドンハーツ』2022年5月24日放送分にて出川哲朗から「会ってみたい有名人はいる?」と質問された際に桑田の名前を挙げている[91]。 お笑い芸人以外の著名人とも親交があり、堂島孝平の楽曲MVやイベントに参加。堂島に誘われ矢野博康の草野球チームに参加した縁でYANO MUSIC FESTIVALに出演。草野球チームのマネジャーを務めていた土岐麻子の楽曲アルバムにコントや歌唱で参加している。 後に入籍することとなる夢眠ねむとは「バカリズムライブ『サスペンス』」の歌唱参加をきっかけに知り合い、夢眠が自身の誕生日会に小出祐介、土岐麻子、ハマ・オカモト、福岡晃子と升野を招待、意気投合し「升野軍団」を結成[92]。小出は升野作詞のオリジナル曲「AVを見た本数は経験人数に入れてもいい」(CD未発売)の作曲を担当[93]。 一方で、アイドリング!!!メンバーには「みんなを平等に扱いたい」という理由で連絡先を教えていなかった[94]。アイドリング!!!のナンバリングライブには2010年5月に開催された8th以降スケジュールの都合で不参加だったが、2013年12月8日13thライブにサプライズ参加、3年半ぶりの出演となった。 BOSE(スチャダラパー)とは『バカリズムマン対怪人ボーズ』等での共演もあり、2011年には「バカリズムライブ『SPORTS』」のオープニング曲でBOSEが歌唱を担当。RAM RIDERは2011年以降のバカリズムライブの楽曲を担当している。 受賞歴コンビ時代
コンビ解散後(升野個人)
出演テレビ番組現在の番組レギュラー
準レギュラー・不定期出演
過去の番組過去のレギュラー
特番現在
過去
WEB番組
ラジオ番組
テレビドラマ
WEBドラマ
映画
MV舞台
CM
コンビ時代の出演テレビレギュラー番組
単発・特番出演コンビ時代の希少情報のため[124]
ラジオ
作品脚本作品
雑誌現在連載しているもの
過去に連載していたもの
DVDコンビ時代
バカリズムライブ(升野単独)
バカリズムライブ番外編『バカリズム案』(升野単独)
ドラマ・映画
テレビ番組関連をまとめたもの
楽曲歌唱・作詞など
作詞のみ
書籍
グッズ
その他の作品
単独ライブコンビ時代
ピン
バカリズムライブ番外編「バカリズム案」はコントライブではなく、いろいろな案を発表するライブ。タイトルは毎回同じだが内容はオール新ネタ。2011年2月には「バカリズム案」以外のバカリズムライブ番外編として初めての「バカリズムV」が開催された。 2014年以降コントライブを年1回開催する形になったため番外編と銘打ったライブは行われていなかったが、2019年に新たな番外編シリーズ「バカリズム談」が始動。 2020年は例年通り開催予定だったコントライブが新型コロナウイルスの影響で開催中止に。その代わりとして無観客での有料オンラインライブで7年10ヶ月ぶりに「バカリズム案」の開催が決定した。 2023年8月、地元福岡で「バカリズム談」を開催。東京以外でのライブ開催は2006年8月の「宇宙時代」札幌公演以来17年ぶりとなる。さらに2024年11月、「バカリズム案」初の大阪公演を開催。大阪での公演はバカリズムライブ・番外編通じても初[143]。 バカリズム案
バカリズムV
バカリズム談
脚注注釈出典
外部リンク
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