警視庁
警視庁( けいしちょう、英: Metropolitan Police Department、略称: MPD )は、東京都に置かれる警察組織またはその本部であり、東京都内を管轄区域とする。 概要警察法の規定により東京都知事の所轄の下に置かれる東京都公安委員会の管理に服し、警視総監がその事務を統括する。なお、地方警務官以外の警察官などの給与支払者は東京都知事である。 警視庁は、府県警察のように警察庁の地方機関である管区警察局の管理下には置かれておらず[注 1][注 2]、広大な面積を有する北海道警察と同じく警察庁の直接の監督下にある[注 4]。 東京都内を10に分けた方面本部と102の警察署を配置し、2025年(令和7年)4月1日現在の所属警察職員は計46,536人 [3]と、世界有数の規模を誇る警察組織である。
所在地【本部庁舎】- 東京都千代田区[注 5]霞が関二丁目1番1号 (地上18階、地下4階)の高さは塔部込みで123.85m[注 6] 警察庁と警視庁が使用する警察総合庁舎および警察庁本庁が置かれている中央合同庁舎第2号館と隣接している。
【警察総合庁舎】- 東京都千代田区霞が関二丁目1番1号 内堀通り沿い、警視庁本部庁舎に隣接している。本館(地上8階、地下2階)と別館(地上5階、地下1階)があり、ともに組織の大部分は別の建物にあるので、別棟としての使用である。
【新橋庁舎】- 東京都港区新橋六丁目18番8号(愛宕警察署裏手)
【多摩総合庁舎】- 東京都立川市緑町3280番地
警視庁の名称警察法により、都に都警察を置き(36条1項)「都警察の本部として警視庁を置く」(47条1項前段)[注 7][注 8]と道府県警察とは異なる名称が定められており、同法施行令5条1号により本部以外の警察署も警視庁の呼称を冠することになっている[4]。一般的には都警察全体を警視庁と呼称することが多い[注 9]。また本部の所在地付近の旧称「外桜田門」から、通称あるいは隠語として「桜田門」と呼ばれることもある。 戦後、日本の占領統治を担った連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の公安課は、内務省警保局を頂点とする日本警察の一元的な体制に否定的であり、警察制度改革の一環として首都警察である警視庁の特権的地位を剥奪するために、1947年(昭和22年)9月30日付覚書で警視庁 (内務省)を自治体警察にすべきと指示した。1948年(昭和23年)3月7日、警視庁 (内務省)は解体され、国家地方警察である国家地方警察東京都本部と、東京23区を管轄する自治体警察である警視庁 (旧警察法)、八王子市警察に代表される市町村自治体警察が発足した。斎藤昇国家地方警察本部長官によれば、警視庁 (旧警察法)の名称変更を諮ったところ、従来通りとの意見が多かったため、「警視庁」のままにしたという。この際、GHQは警視庁 (旧警察法)に「警視庁」の名称を認めたが、「警視庁の名称については東京のみが違う名称を使うことは好ましくなく、他の都市も同じ名称にすることに反対しないという条件で東京に警視庁の名称を残すことを許した経緯があるから(GHQ)公安課としては警視庁という名を各都市(七大都市)で使うことを希望する」という方針であった。そのため、GHQの強い後押しで大阪市警視庁が設立されている。しかしその後、GHQの占領統治が終結に向かう中、日本政府は数度に及ぶ警察法の改正を行い、住民投票により自治警を廃止できるようにし、その結果、自治警は402まで激減していた。最終的には1954年の警察法全部改正により、GHQ肝いりの自治体警察は消滅し、大都市の自治警は1年後に全て廃止されることになった[5]。1954年(昭和29年)7月1日に大阪府警察が発足したのに伴い、大阪市警視庁は大阪市警察に改称され、1年後の1955年(昭和30年)7月1日に大阪府警察に吸収されて消滅した[5]。以降、警視庁の名称は、新警察法により国家地方警察東京都本部に、警視庁(旧警察法)と市町村自治体警察を吸収する形で発足した、現在の警視庁のみが使用することを許されている。 110番通報の接続先
沿革![]() 以下の略年表は、主に『警視庁百年の歩み』の「警視庁略年表」[6]と警視庁公式ホームページの「警視庁創立150年記念サイト[7]」を参考にしている。 前史
警視庁の設置
予算警視庁の運営費用は、道府県警察と同様に、警察法第37条や警察法施行令第2条、第3条の規定にあるものは国庫が支弁し補助し、それ以外のものについては東京都が支弁する。 人事警視庁における警視正以上の階級の警察官(地方警務官)の任免は、警察法の規定により国家公安委員会が東京都公安委員会の同意を得て行う(警察庁が補佐する)。ただし、警視総監の任免は、国家公安委員会が東京都公安委員会の同意を得るとともに、内閣総理大臣の承認が必要である。なお警視総監たる警察官、副総監、警務部長および主要各部長は、警察庁の警察官から選考される。このため警視庁から採用された場合の最高階級は、警視正までとなっており、一般的な定年退職まで在職した場合は、警部補までである。 なお警視庁の警部補は、他の道府県の警部補とは違い警部相当職となっている。このため方面本部長が実質的な警視庁採用の最高ポストとなっている。そして警視庁は、警備部所属が多く警察官として花形人事を希望する場合は、他道府県警察官を志望するのが一般的である。 警視以下の階級の警察官および警察官以外の警察職員については、警視総監が東京都公安委員会の意見を聞いて任免する。警部以上の人事は警務部人事第一課で、警部補以下の者は人事第二課が担当している。 警察職員出向者警視庁は東京都の警察組織であるが、主要課長および部長級以上の幹部の多くが、国家公務員採用I種試験に合格し警察庁に警察官として採用された、いわゆる「キャリア組」によって占められる。この「キャリア組」は警察庁からの出向者であり、その絶対数は日本の警察本部の中でも首都警察である警視庁が最多である。 本部組織警視庁本部には、警視総監、副総監の監督の下、9つの部が置かれている[13]。各部長のうちの総務・警務・警備・公安・刑事の5部は必ずキャリア警視監が就き、それら以外の4部(交通・地域・生活安全・組織犯罪対策)は2人がキャリアの警視監、残り2人が警視庁採用組の警視長が就く慣例となっている。 なお、「副総監」は階級ではなく大阪府警察でいう「副本部長」に相当する職名であり、階級は警視監である。 総務部
警務部
交通部
警備部
地域部
公安部
刑事部
生活安全部
組織犯罪対策部
警視庁警察学校
犯罪抑止対策本部人身安全関連事案総合対策本部サイバーセキュリティ対策本部方面本部第一から第十方面まで、計10の方面本部が置かれており、霞が関の本部(警視庁本部庁舎)と所轄署の中間的立場として、各所轄の連携と広域対応及び所轄警察署への監察業務を行っている。旧来は第九方面までの計9方面本部体制であったが、2002年に北区・板橋区・練馬区の各区域を分離独立した第十方面が新設され、現行の計10方面本部体制となった。各方面本部長の階級は、第一・四・八の各方面が警視長、それら以外は警視正。
警察署102の警察署を有する。 第一方面第二方面
第三方面
第四方面
第五方面
第六方面
第七方面
第八方面
第九方面
第十方面
階級→「日本の警察官」を参照
日本警察の階級と役職
※表示されていない役職(警視庁理事官・課長代理・班長など)もある。 歴代幹部警視総監→「警視総監 § 歴代警視総監」を参照
副総監
総務部長
警務部長
交通部長
警備部長→「警視庁警備部 § 歴代部長」を参照
地域部長
公安部長→「警視庁公安部 § 歴代部長」を参照
刑事部長
生活安全部長
組織犯罪対策部長
体制令和7(2025)年4月1日現在[17]
特科装備
訓練
広報・運動施設マスコットキャラクター主な式典・イベント・運動
給与・手当2015年4月1日現在 一定の勤務経験のある者は左記の額に所定額が加算される。
扶養手当、住居手当、通勤手当、また、勤務に応じた特殊勤務手当等が支給され、期末・勤勉手当として、年間を通じ給料月額の4.20か月分が支給される。 不祥事・出来事1990年代以前
2000年代
2010年代
2020年代
冤罪事件ここでは警視庁が関わった冤罪が確定(一部も含む)した事件について扱う。
神奈川県警との犬猿関係警視庁と神奈川県警の関係は西の大阪府警と兵庫県警のように不仲として知られる。不仲となった原因には1972年のあさま山荘事件にある。 この事件では警視庁機動隊が現場に動員された。現地は浅間山山中ということもあり日中でも氷点下を下回り夜にはマイナス10度を超えない極寒であるため警視庁は現場の機動隊員らにカップ麺とお湯を用意し50円で販売したのだが、警視庁だけで神奈川県警と長野県警には販売しなかった。これには両県警は激怒し、結局は70円と割高で販売したことにより警視庁と神奈川県警の不仲が決定的になったといわれている。 また、この対立はオウム真理教事件における初動捜査が遅れたことによる混乱がメディアに取り上げられ、一般に知れ渡るようになった[64]。 脚注注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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